04亡
「じゃあ俺は、俺のままでいいや
リクの友達で居られるから──」
茶髪の少年が、銀髪の少年にそう言った
銀髪の少年は、深く傷を負っている
最後の決戦を終えて、二人は海岸に肩を並べ笑った
その時、水平線から光が広がり始めた
二人は顔を見合わせ頷いた
立ち上がり、支え合いながら、二人は満ち引きを繰り返す海の中へ歩んでいった
そして、更に強い光が二人を包み──
「──え…!?」
──光と共に、闇に飲み込まれた
「な…なんだよコレ…どうして…
先刻の光は──俺達の世界の光だったのに…!」
二人は、元の居場所に帰る事が出来る筈だった
その光が、一瞬の内に無くなってしまった
ソラは驚愕した声を上げる
リクはその闇の中に、何かを見付ける
「……おい、ソラ…あそこ、人が居る」
「え? …あ、本当だ!」
二人は闇の中を駆ける
段々と、その人物の影がはっきりと浮かぶ
肩を震わせて嗚咽を漏らす金髪の少女が、蹲っていた
「あ…キングダムハーツの…」
「良かった、ゼムナスから解放されたんだな」
「怪我とかしてないか? 大丈夫?」
少女の按配を気にして問い掛ける
その肩に触れようとした──が、それは叶わなかった
目の前の少女に、その指先を振り払われたからだ
「えっ…」
僅かに痺れる指先を押さえて、ソラは驚愕した声を漏らした
「ご、ごめん、突然。でも俺達別に怪しい奴じゃなくて──」
「──て」
「え?」
「──て、よ…!」
「なに? 聞こえないよ、もっとハッキリ──」
再び彼女に触れようと手を伸ばしたが、またも弾かれた
しかし、彼女の手に弾かれたのではなかった
少女はソラに触れていない。その手を動かしてはいない
結界が張られ電撃が流れているかの様に、空中で弾かれたのだ
異常を察知してリクが剣を構える
ソラは──そのまま少女を見つめていた
「ソラ、この子は危険だ、剣を構えろ!!」
「……あ…」
「ソラ!!」
「駄目だリク、駄目なんだよ
ノーウィスを傷付けちゃ駄目なんだ!」
ソラが叫ぶ
リクは怪訝な顔でソラを見た
「ノーウィスって…この子の名前か?
ソラ、なんで──」
「あ──…え?」
ソラ自身も困惑していた
何故、この子の名前を知っているんだろう?
この子とは、ほぼ初対面だ。それなのに──
「…そうか、ロクサスの記憶が逆流してるんだ」
リクの声に、ぴくんとノーウィスが反応する
「…ろくさす……」
顔を上げたノーウィスの濡れた瞳とソラの目があう
「…うそつき」
ノーウィスの声を聞いて、胸が締め付けられるような感覚がした
「帰ってくるって、言ったのに、」
ズキズキと頭が痛む
これが罰なんだろうか。守れもしない約束をした、自分への罰なんだろうか
約束? この子と? 一体いつ?
記憶が混ざりあう。ソラは混乱する
「ロクサスもナミネも嘘吐き!
ソラもリクも、ロクサスもナミネもきらい! 皆キライ!!」
わあっと顔を地に伏せて泣き叫ぶ
泣きたいのはこっちだ、とソラは思う
嫌われてしまった。愛していたのに、この想いは本物だったのに
「返してよ、皆を、返してよぉ──っ!!」
──ノーウィスがそう叫んだ瞬間、ソラとリクの意識が一瞬弾けた
瞼を上げると、其処にノーウィスの姿は無くなっていた
「あ、あの子は…?」
「…分からない。けど、此処には俺達しか居ないみたいだ
…何の気配もないな。不気味なくらいだ」
ノーウィスは居ない。ソラはほっと息を吐いた
もう、あの泣き顔を見るのも、泣き声の罵声を聞くのも御免だった
「でも、此処は何処なんだろう」
「…しっ。ソラ、何か…聞こえないか…?」
リクが人差し指を唇に押し当て、辺りの様子を探るように息を潜めた
ソラも耳を澄ます
──確かに、何か聞こえた。それは人の話し声のようだった
「…これ…XIII機関の奴等の声だ」
ソラが気付く。中には、あの少女の声もあるようだ
賑やかな食事風景。庭に出て走り回ったり、木陰で昼寝をしたり。一緒に本を読んだり、絵を描いたり、談笑したり
「これが本当に──あいつ等なのか…?」
その全て、ノーウィスを中心に、十三人と一人の男女は笑い合って過ごして居た風景胸の中がざわつく。自分はこの風景を知っている
『そうです。これはノーウィスと彼等の記憶です』
「っ!? 誰だ!?」
突如聞き慣れない声が響き、リクは再び剣を構えた
ソラもそれに倣う
しかし"声"はそんなものを気にもしない風に再び響いた
『貴方達はノーウィスが彼等に幽閉されていたとでも思っていたのでしょう。それは間違いです
ノーウィスは好んで彼等と共にありました。彼等もまた、ノーウィスと居る事を望みました
しかし、貴方達がその幸福を壊してしまった』
「そんな事言われたって…あいつ等は悪者だろ!? 仕方ないじゃないか!!」
『…"仕方ない"
そうやって、真実を見ようとも、彼等を理解しようともせず、自分達を正義だと傲って疑わずに
……私は、心無き者が、心在る者や私達を理解してくれれば良いと…そうすれば、こんな無駄な争いは無くなると思い、あの子を彼等の所へ送りました
…でも…それは間違いだったのですね
本当に、理解が必要だったのは…貴方達の方だった』
「あの子を送った…?
…お前がキングダムハーツ…なのか?」
『……そうです。勇者である貴方達と、彼等によって作られた…人工の心
…いえ、もう貴方達は勇者ではない』
「勇者じゃない? 一体どう──」
言いかけて、リクは異変に気付く
手にしていた剣が、朧気に揺らぎ、そして
「な──」
完全に、姿を消した
『貴方達は光に選ばれた勇者。あの子は幼くても光そのもの。貴方達はその光に否定されてしまった
…これがその答えです』
「そんな…キーブレードが…!」
『そして…もう勇者でない以上、光の加護は受けられない。光の力も使えない
…故郷へも帰れない
このまま常闇の世界を彷徨う事になるでしょう
さようなら、高慢な勇者達』
静寂が訪れる
キングダムハーツの声が終えると共に、二人は黒に飲み込まれてしまった
『片付いたかい』
『…ええ』
声が二つ谺する
その場に何かの姿は無い
『悪い事をした。私の人選ミスで愛娘を殺してしまった』
『…』
『怒ったかい? …怒っただろうね』
『…あの子は、生きています』
『ええ? まさか』
『生きています』
『ふうん。では捜してみるか
…あぁ、一つ言っておくが──ただ其処に居て、息をしているだけでは、"生きている"とは言わないのだよ。それは生命活動が停止していないだけだ。…分かるね』
少女の母の声は何も答えない
はあ、ともう片方の声は溜め息を吐く
暫くも経たない内に、声の主は少女を見付けた
闇の中に映像が現れる
『居た居た。あの城に送り返したのか
……しかし、あれでは』
『…いいのです。あれが、今のあの子にとっての幸福です』
『……』
今度は、もう片方の声が黙る
母である方は台詞とは裏腹に苦い声色をしていた
闇の中に映し出されたこの城の様子を、あの勇者だった子供達が見たら何を思っただろうか
やはりノーバディは存在すべきでないと主張しただろうか
こんなのは幸福とは言わないと、自らが集めた心の集合体に叱咤しただろうか──
◆
ノーウィスは閉じていた目を開ける
どれ程かは分からないが、どうやら気を失っていたようだ
まだ視界は霧が張ったようにぼやけているが、自分の周りに幾つかの人影が見えた
仰向けの体を起こそうとしたが、その人影にそれを阻まれる
両腕は頭の上で押さえ付けられているらしい。更に人影の内の一人が馬乗りになっていて、体の自由はまるで無かった
不意に頬を撫でられる。この指先を、自分は知っている
「……ぜむなす…?」
声が上手く出せない。舌足らずな幼い声は、あの時を思い出す。彼に拾われた、あの日を
「ノーウィス」
名を呼び返された。この低く響く声は、ずっと求めていた人のものだ
ぼやけていた目が、はっきりと見えてきた
自分に馬乗りになっているのは──褐色の肌に琥珀色の瞳。透き通る銀色の髪
「ぜむなす」
自分を囲むのは、この城で共に過ごした男女だった
──涙が溢れる
もう会えないと絶望していた。母にそうされたように、彼等にも捨てられてしまった
のだと、独りぼっちになってしまったのだと思っていた
けれど、それは違った。彼等は来てくれた。そして、こうして自分に触れてくれる
「ぜむなす…」
うっとりとその名を口にする
ノーウィスの声に応えるように、ゼムナスはノーウィスの唇に自らの唇を寄せた
◆
『……あれが幸福か』
『…ええ あの子は勇者を否定してしまった。光が闇でないものを拒んだり…まして、消滅を願うなど、最大の禁忌。あの子はもう私に還る事も出来ず、ただ消えてしまうだけの運命です
それならば、せめて最期の瞬間は、孤独に泣きながら迎えるよりは…笑っていた方が──』
『だからと言って、彼等の配下ノーバディを幻術で彼等に見せるなど…
彼女は無防備過ぎる。あれでは飢えた狼の群に小羊を放り込んだ様なものだ
見ろ、ノーバディ達は彼女の体を喰らい始めているぞ。あの様子じゃ痛みは無いようだが、あれでは余りにも──』
『ではどうすれば良かったのですか…!?
もうこれしか無かったのです、あの子が笑ってくれる事も、私が母として出来る事も、この方法しか…!!』
『それが母親心と云うやつか? 私には理解出来んな
本当に幸福だと言うなら、逃げずにちゃんと見ていろ。愛娘の最期を
…私は見るに堪えない』
そう言って、声の一つは無くなった
母の方は、映像と共にその場に残される
『ノーウィス、ごめんなさい。ごめんなさいね…』
母の謝罪を、ノーウィスが聞く事は最早無いだろう
「ぜむなす、だぁいすき…」
ノーウィスは心無き者に抱かれ、確かに安らぎを感じている
それを求めていた温もりと信じて、疑わずに──
「ずぅっと、いっしょ…」
暗い城の祭壇で、ノーウィスは幸せそうに微笑み、
そして意識を闇に堕とした
(恋人の亡骸を抱き締めて)
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