04望
故郷──その離れ小島で、切れ切れに聞こえる漣
少年が二人、その浜辺の木に寄り掛かりながら並んで座っている
全ての戦いは終わった
XIII機関と云う組織の頭を倒し、もう光の世界が闇によって荒らされる事は無くなった
彼等は世界を救ったのだ
「…なぁ」
「うん?」
先に口を開いたのは、銀髪の少年だった
海を眺めていた茶髪の少年は、彼の方へと視線を向ける
「ノーバディは──あいつ等は──本当に心が無かったのか…?」
「ええ?」
「──消える時のサイクスの台詞、覚えてるか?」
「……うん」
『──くっ…』
──最期の一撃を受け、クレイモアを手放した
彼の蒼い髪が揺れる
苦しげな呼吸が、静か過ぎる部屋に幾つも谺して消えた
『俺にも…心があれば……ッ』
傷だらけで、最早立っているのがやっとの状態の身体を引き摺り、薄く色付いた窓硝子へと歩み寄る
身体中から垂れた血が、白い床によく映えた
『俺に…ッ心を』
腕を伸ばす
だが、月に届く筈は無く──
『…本当に』
伸ばした指先が零れていく
その侵食はやがて髪を、腕を、脚を、全てを蝕んでいった
『本当に──愛していた…
ノーウィス──…』
「あの後…血に紛れて──」
赤い──まるで薔薇を散らせた様な──点々と零れていた血
その中に、数滴紛れていた、色の無い液体
「…涙、だよね」
「それから──ルクソード」
『ッ──酷いな…ロクサス…』
膝を着き、途切れながら言葉を紡いだ
赤い水と、カードが辺りに散乱する
『ノーウィスが…泣いていた…』
存在が、バラバラに砕かれる
──霞んでいく視界
『今ならまだ…遅くはない
戻ってやれ──ロクサス』
「シグバール」
『──はん…やるじゃねぇか』
武器が重量感のある音を立てて地に落ちる
それはすぐに空間に紛れ、やがて何も無くなった
どうして"ロクサス"なのか──ソラが訊ねるが、男は血塗れの唇を不敵そうな笑みに歪め、くつくつと笑うのみ
『裏切るのが悪いんだぜ』
低い声でそう笑って──嗤って──ソラを、…ロクサスを見つめる
『ノーウィスを泣かせた罰だ
…混乱してろ──』
「ザルディン」
『これは思わぬ不覚──』
六つの槍が渦巻く風に溶ける
しゃがれた声は更に擦れ、呼吸する度に耳障りな音が喉奥から聞こえた
『俺が──終わるのか』
すう、と体温が下がっていくのを、ただ感じていた
視界を支配するのは、自分から流れる一色のみ
『もう…槍龍には乗せてやれない
すまない…ノーウィス──』
「デミックス」
『ッえ!?、う、うっそーん!!』
シタールが水へと戻り、デミックスの手を擦り抜けた
巫山戯た様な言葉とリアクションを見せたが、その表情は確かに恐怖と絶望に濃く彩られていた
『うあ、ああぁぁぁ…』
ガクガクと震えの止まらない身体
消えていく指先を見つめて、唇を噛み締める
『連れて帰れたら…喜ぶと思ったのに…』
強くその手を握り締め、もうぼんやりとした影しか見えない眼を瞑った
『俺…消えちゃうみたい……』
ぼたぼたと落ちる雫が地面を濡らす
『約束、守れないや…
ごめんね、ノーウィス──』
「あれが…演技だなんて思えないんだ」
「…うん」
「それに…ゼムナスのあの行動──
あれだけ欲しがっていた心を…解放するなんて」
「……俺達は…間違ってたのかな
ノーバディの事…本当は、もっと違うやり方があったのかな──」
「分からない…でも──この結末に納得出来ない…」
リクは長い前髪を掻き上げ溜息を吐いた
つられて、ソラも小さく息を吐く
遠く続く海の向こう、止まない波の音
──あの、キングダムハーツの女の子はどうしただろうか
そんな事を、ぼんやりと考えた
◆
(──此処、何処?)
遥か彼方、その思考は谺する
何も無い空間、迫り来るのは犇めき合う闇
──彼女は恐怖した
──飲まれてしまう、あの闇に
逃れようとして、彼女は走り出した
けれども闇は彼女を追ってくる
目の前は黒で埋め尽くされている
果たして真直ぐ進めているのだろうか──そもそも走っている感覚がしなかった
ただ、足は痛み身体中軋み出し、ひゅうひゅうと喉が耳障りな音を立てて、口内には血の味が強かに広がっていく
涙が溢れるが、視界から黒は消えなかった
(たすけて──)
もう声も出ない
助けを請う言葉は彼女の中で小さく散っていった
──ノーウィス──…
不意に、自分を呼ぶ声が聞こえた──気がした
定かでは無い呼び声だが、しかし彼女は足を止めてしまった
その場に崩れ、横たえて苦しく痛い胸を押さえる
涙が止まらないのは、走り疲れていたからでも、喉や足が痛いからでもなかった
──迫る闇に恐怖した、と云うのに酷似したが、しかしそれでもなかった
──やだ、やだよぅ
皆何処へ行ったの
置いてかれちゃった
──ノーウィス──…
もう一度、先程よりも強く聞こえた
その声の主が誰なのかは判らなかったが、それでもよかった
名を呼ばれた事が、ただただ嬉しかった
『──ノーウィス──…』
これは、はっきりとした声だった
それでも誰の声なのかは判らなかった
聞いた事の無い声だとは思う
しかし、何処か温かいものだと云う気がした
──この声が
皆の声なら
ゼムナスの声ならいいのに
身も心も疲れ果てている中、うっすらとそんな事を思った
涙は止まらず、この哀しみと絶望が交ざり合ったような感情は尚もノーウィスを蝕んでいった
息苦しい呼吸を続けていたら、突如更に辛い苦しさに襲われた
苦痛が剥がれない喉を掻き毟る様に押さえ咳き込むと、その小さい唇から何かが吐き出される
ぬるりとした液体の感触と、独特の鉄の匂い、口内に強く広がるその味で、それが自分の血なのだと分かった
消えちゃう
…皆みたいに?
そしたら
皆に、会えるかなぁ──…?
消える事に抵抗は無かった
──ゼムナスと一つになった時、ノーウィスの意志や意識は完全に封じられていた
存在が無くなってしまう事に辛さは感じたが、あの時の感覚が死や消滅を意味すると云うならば怖くはないと思った
この生命を代償に皆と会えるのなら、ノーウィスにはそれが嬉しかったし何より望んだ
淋しい──
『──ノーウィス──…』
思考と共鳴するかのように、再び名を呼ばれた
誰なのか興味はあったが、訊く気力は最早無かった
『ノーウィス──可愛い私の子よ──…
可哀想に…助けてあげましょう』
そう聞こえた途端、闇が消えて無くなった
黒を認識する事は無くなり、代わりにまばゆいものに視界は支配された
身体の苦痛も無くなっていた
『──ノーウィス──…』
「──だ、れ?」
声も出せるようになっていた
ただ、涙だけは止める事が出来なかった
『──ノーウィス──…
私が判りますか──私は貴方の──』
「──おかあさん…?」
『そう──私はキングダムハーツ…』
「皆は…ゼムナスは何処に居るの?」
『彼等は居ません──けれど、貴方は消させない
──私に還りなさい…ノーウィス』
「……みんなは?」
『──…』
「…もう、会えないの?」
『もう全て終わったのです
私に還りなさい──…』
「……やだ…皆居ないのは…やだよぅ…」
『──ノーウィス──…』
「ねぇ、助けてくれるんでしょう?
なら、皆を助けて、皆と会いたい…!」
『いけませんノーウィス、それは──それだけは望んではいけない
光と闇は相容れない…交わってはいけないのです』
「──っじゃあ、皆と過ごした時間は何…?
会っちゃ駄目だったなら、どうして!」
『……』
「どうしてわたしは生まれたの? 皆と仲良く出来たの?」
『……ノーウィス』
「どうして…わたしだけ助かったの? 皆と一緒に居られないの? ねぇ…どうして」
『……』
「どうしてわたしだけ消えられなかったの──!?」
『ノーウィス、そんな言い方はいけません』
「だって…!」
『──ノーウィス
彼等は心が無いと云われています
その為に彼等は闇の世界へと追放され──無いものとして扱われていました
──彼等と時を過ごした貴方にだからこそ問います
ノーウィス、貴方は──彼等には本当に"心"が無いと思いますか──?』
「──ううん…」
『やはり…そう言うと思っていました
ですが──"心"が無いと云うのは確かな事です
人がハートレスになる時、同時にノーバディが生まれます
一般にハートレスは本能の塊、ノーバディは脱け殻──理性と意志だけが残ったもの──
──心と感情は必ずしも同一の物では無いのです』
「…うん……難しいね」
『そうですね…しかし理解はしているでしょう?』
「うん…分かってる」
『彼等はノーバディ──ならば心は──』
「──おかあさん?」
『そう──私が持っています
正確に云えば──壊れてしまった私にはもう彼等の心しか残っていないのです
だから…私が彼等に還りましょう』
「…おかあさんはどうなるの?」
『彼等に戻るだけ…大丈夫──彼等と会う時は私と会う時です』
「じゃあ──いつでも会えるね」
『最後に──覚えておいて下さい
心、非ず事は悲しく…
人の夢は儚いもの
けれど──人の幸せは、やはり倖せなのです』
「うん──」
『また会いましょう…生まれ変わった、新しい私達と──…』
◆
──ノーウィスが眼を醒ましたのは、殺風景な城の最上層だった
其処から見える空に、もう月は無かった
「…おかあさん、」
呼んではみたが、やはりあの声は聞こえなかった
──しかし、確かに誰かの声が耳に届いたのを感じた
「──ノーウィス」
振り返ると、望んだ複数の人影が瞳に映った
「みんな、」
「ノーウィス」
「ラクシーヌ、マールーシャ、ルクソード、デミックス、アクセル、サイクス、ゼクシオン、レクセウス、ヴィクセン、ザルディン、シグバール、──ゼムナス」
「ただいま──ノーウィス」
「──おかえりなさい!」
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