漆-夢見るアップルパイ

「…と、云う訳で貴方が裸だったのは海水で濡れて、それを洗濯したからなんです。決して邪な気持ちがあって脱がしたんじゃないんです」
「や、あの、分かったんで顔上げて下さい
 謝るのとお礼言うのこっちだし…」

ごりごりと地面に頭を擦り付けて土下座をしながら謝罪を述べるリキッドに、彼女は困惑しながら言った
彼女が海岸で倒れていた所から現在に至るまでを彼女と雌雄同体に一通り説明して、破廉恥疑惑は何とか解けた

「おねーさん、こんな下僕に敬語なんか使わなくていいよ」
「え、でも」
「いーんだってば!
 僕はロタロー、こっちがパプワ君、チャッピー、そいつが下僕」
「…リキッドです」
「えーと…名前分かんないんで自己紹介出来ないんですけど…」

自分の名すら分からない、彼女はやはり記憶を失っているようだ
ならばこのまま自分の身分や任務は知らない方が望ましい

「あ、そう言えば、おねーさんの持ってたお守りに名前っぽいの書いてあったよ」

ロタローが言うと、彼女は首から垂らしていたお守りを見つめる
手作りらしいそのお守りには──

「えーと…"大好きなシグレちゃんへ ウマ子より"
 …どっちが私だ?」
「シグレじゃないの?  ってゆーか、おねーさんがウマ子だったら全力でシグレに改名する事を命じる」
「命じるって何その上から目線!
 …まぁ、私が持ってるんだから私がシグレなんだろうね
 このウマ子って子は…私にとって大切な人だったんだと思う。…分かんないけどね」

そう言って笑った彼女は何処か淋しそうだった
その"ウマ子"と云う人物の記憶が無い事を悔いているのだろう

「あっ、あのねっ、おねーさん!
 僕もシグレおねーさんも海で溺れた悲劇のヒロインで記憶喪失だから、仲良くしようね
 その子の事もその内思い出すよ!」
「(…ヒロイン?)うん…ありがとね
 でも仲良くするのに記憶喪失は関係ないんじゃないかな、ロタロー君」
「(あります、大いに関係します。だって、商売敵だし)」

リキッドは怯えるような気持ちで居た
どちらも記憶が蘇ってしまえば、大変な事になる

「僕もチャッピーもロタローが記憶喪失じゃなくても友達だぞー」
「わう」
「えへへ、僕もだーい好きだよぉ! シグレおねーさんもね。家政夫は…どうでもいいや
 それより早くまともなご飯の用意しろよ! 僕もおねーさんも記憶喪失なんだから甘やかしてよね」
「どーゆー理屈だ、そりゃ
 …仕方ない、じゃあ今から採り行くぞ」
「あの、その前に服を…」

布団にくるまったまま、シグレはリキッドに問い掛けた
そう云えば、シグレは未だ裸なのだ
先程見てしまった光景が、鮮明にリキッドの脳内で蘇る。顔を赤くして、リキッドは答えた

「あ、あー…
 実は、着てた服、破れてる所があったから…まだ返せないんだ」

それは嘘だった
背に負った"誠"の文字を見てしまえば、記憶が戻ってしまうかも知れない

「…じゃあこのままで居るしかないの?」
「僕達の服じゃ大きさ合わないもんね
 …あ、ねぇ、アレは? おねーさんが倒れてた近くに落ちてたやつ。あれ、おねーさんのじゃないの」
「ああ──アレか」
「え、アレって?」

まぁ見りゃ分かる、と言ってリキッドは洗濯籠からごそごそとそれ等を取り出し、床に並べた

「…これ、私の服…なの?」
「…多分」

綺麗に洗濯され丁寧に畳まれ、そして並べられた服
それを見てシグレは信じられない、──否、信じたくない、と首を振った

「セーラー、バニー、メード、ナース、巫女、スク水、婦警、チャイナ、…その他諸々…」

──この全て、近藤イサミが出発時に持たせたものだった
しかしリキッド達はそれを知らないし、シグレにもその記憶は無い

「わ、私は…こう云う趣味な人間だったのか…」
「だ、大丈夫だよ、シグレおねーさん可愛いから需要はあるよ!」
「(需要って何だ需要って…)
 はぁ…でもまあ着ない訳にいかないからなぁ
 …じゃあこれにしよ。動き易そうだし」

シグレが手に取ったのは体操服
下がブルマーなのが気になるが、パプワ島の気候なら問題は無い。この島は奇妙なナマモノだらけで人間は数少ない為、人目を気にする必要もない

「えっと…」
「あ、わ、悪い。俺達は先に外に出てるから」

リキッドは慌てて二人と一匹を抱えて外に出ていく
家の中で一人きりになると、何故だか途端に泣きたくなった

「…覚えてなくって、ごめん」

御守りを握り締めて、呟いた

「ウマ子、ちゃん…かな?」

自分は、この"ウマ子"と云う人物とどんな関係だったのだろうか。何と呼び合って、どんな会話をしたのだろうか
もしも会う事が出来たとしても、今のシグレはそれが怖かった。顔も声も思い出せない自分を、この子は「大好き」と言ってくれるのだろうか
切なさと悔しさと、そして愛しさとがシグレの中で渦を巻く

「記憶が戻るなら…一番に君を、思い出したいな」

握った御守りに口付けをして、シグレは信じてもいない神に祈った

「──お待たせ。遅くなってごめん」
「いや、構わねーよ。…躊躇するよ、あの服の大群は」
「サイズがぴったりなのが何ともヤな感じだよ」

リキッドは苦笑いをしながら言った
遅れたのは他の理由だったが、服の所為にしておこう、とシグレも笑う

「よし、そいじゃあ行くか!」



「…つっかれたぁー! 何だよコレー! こんなトコ登るなんて聞いてないよぉ、詐偽だよ、訴えて勝つよぉぉ!!」
「ま、まぁまぁ、ロタローくん。食前の軽い運動だと思えば」
「ぜんっぜん軽くないよぉ!
 …おねーさん、よく平気だね」
「あぁ、なんかあんまり疲れなかったなぁ。記憶ある時は運動してたのかも」
「(そりゃあ心戦組の稽古の賜物だろうなぁ)
 …ロタロー、そんなとこで座ると虫にたかられるぞ」

地べたに座り込むロタローに、リキッドは言う
虫くらい何て事ないもん、と言ったロタローだったが、突如聞こえた大きな羽音にビクッと肩を震わせた

「な、何この凄い羽音!」
「いや、ロタローくん…羽音じゃないみたい、だ…」

シグレがロタローの後方を指差す
振り向くと其処には──鼻血を吹き出す奇妙なナマモノ

「なんだよアレー!!」
「巨大害虫の鼻血ブースケだ」
「気を付けろよ、ブースケの鼻血は服に付いたら中々落ちないからな…」
「鼻血は大体そうだよ! ってゆーかアンタ家事の事しか頭に無いの?」

なんだかんだと言いながら、目的地に辿り着く
その間に朝会ったオカマなナマモノ、イトウくん・タンノくんに再び会い、その時は「あらシグレちゃん」と呼ばれたので、ちゃんと破廉恥疑惑は解けているらしい
シグレは心底ほっとしたのだった

「わー、マツタケだぁ!」

着いた場所の景色を見て、ロタローは感嘆の息を漏らす

「ロタローくん、マツタケ好きかい?」
「うんっ、僕は高いものなら大概好きだよ」
「うわっ、ヤな子供だなロタローくん」
「ははは…良かったよ君がそんな性格で。じゃあ早速焼くか」

じゅう、と云う音と共にマツタケの香りがふわりと舞った

「わーいわーい、いい香りー! 早く焼けないかな、ぁ…?」
「ろ、ロタローくん、目の前のソレは…」

焼かれるマツタケ
それと共に網の上に寝そべる何か

背中に"しねじ"…もとい、"しめじ"と書かれたキノコらしきもの

「どけよ毒キノコ! あからさまに嫌な誤字しやがって!」
「おぉ、ドクツルタケのコモロくん」
「ドクツルタケて…猛毒だね」
「やぁパプワくん〜。そちらは新入りさんかにゃー?
 じゃあ早速焼く? 米に混ぜて炊く?」
「食べないよ。記憶喪失のヒロイン二人に毒食わすなよ!
 僕等は高級キノコのマツタケ食べるんだからっ、君みたいな禍々しいキノコはどっか行ってよね」
「最近の子供はキレ易くて生意気だにゃー」
「なんだとー!?」

二人のどつき合いが始まる
シグレは止めたいとは思うものの、罵声と胞子が飛び交う其処に割って入る勇気は出なかった
──暫くして、ロタローの攻撃が止んだ

「…ロタローくん、先刻は蹴散らしたのに」
「コモロくんの胞子でトリップしたな」

ロタローは、美味しい美味しいと言いながらイトウくんの天使ちゃん達を頬張っている──

「大方、お菓子の国の女王様になった夢でも見てんだろ
 幻覚、覚めない方がいいかもな…」



「──ヒドイよぉー!
 危うくオカマになっちゃうトコだったよっ」
「いやでもコモロくんかじって男に戻れて良かったな!」
「うっかり死ぬとこだったよもう!
 はぁー、今日はロクな物食べられなかったよお」

溜め息を吐くロタローに、チャッピーが何か差し出す

「あ…リンゴ!」
「お前が夢見がちだった頃に皆で採りに行ったんだ」
「リキッド特製アップルパイも焼けたぜ! シグレも手伝ってくれたしな」
「やだな、私は材料を切ったくらいだよ
 はい、ロタローくんは一番大きいのだよ」

シグレから皿を受け取り、ロタローはアップルパイをフォークで口に運ぶ

「どーだ? お味は」
「ん…シグレおねーさんがくれたから美味しい」
「素直じゃないなぁ
 ねぇ、おかわりしていい?」
「おう、いっぱい作ったからな」
「おかわりー」
「ほいよパプワ」
「あ…ぼ、僕も!」

こうして、シグレの記憶喪失一日目は(割りかし)穏やかに終わった
彼等は知らない。その頃、ガンマ団の刺客が、海岸で夢見がちに踊っている事を──







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