09



手で仰いで頬の熱を冷まし、すっかり冷めてしまった紅茶を飲み干す。
ようやく落ち着いたことに安堵した臨也は名前が電話にしてはやけに遅いことに気付いた。

名前は基本礼儀正しい。
招いた客を長々と放っておくまねはしないだろう。

臨也は躊躇いつつもリビングを出て部屋の一つ一つの様子を窺っていく。


「名前?」


コンコン、と鍵のかけられた一番奥の部屋をノックすれば、扉の向こうで身動ぎした気配がした。

名前はここにいる。
確信した臨也がまた声をかけようとすると、その前に中から小さな声が聞こえた。


「……見た、よね?」


今更「何が?」なんて尋ねたりはしない。


「……まぁ、」

「えっと……ごめん。今日は帰ってくれないかな。ちょっと合わせる顔なくて……」

「何で、合わせる顔がないの」


言葉尻に向かうにつれて小さくなっていく声に思わず微笑んだ。
トン、と扉に背を向けて寄りかかり、優しい声で問う。


「だって、……だって狡いでしょう?私は自分のことしか考えてなくて、臨也くんに碌な説明もしなくて……なのに今更……」


ごまかせばいいのにと思う。
得意の演技でもして何喰わぬ顔してごまかせばよかった。

それをしないのは、やはり不器用だからかもしれない。


「今、扉から離れてる?」

「?そうだけど、」

「そこから動かないで」


言うや否や、臨也は扉に向き直ると足を引いて距離を取り、一息吐いた後にそのまま扉に蹴りを叩き込んだ。

ジンと痺れる感覚が足に走ると同時に派手な音を立てて吹き飛んだ扉。
予期せぬ暴挙に唖然とした名前と目が合い、拒まれた部屋の中に踏み入れる。

名前はまだ頭が状況に追いつかないのか臨也が側に来て、その手が頬に添えられるまでしきりに言葉ですらない言葉を繰り返し零していた。


「え?ちょっ、ドアが……」

「あぁ、心配しなくていいよ。修理代は俺が払うし」

「そうじゃなくて……!」

「いいから黙って俺のこと見て」


強めに言えば、ぐっと黙って揺れる瞳が臨也の姿を映す。


「今なら、告白すれば付き合ってくれるんだよね?」

「え、」

「好きだよ。今も昔も、ずっと名前だけを愛してる」


初めて告白した時と違って、頬が色づいて恥ずかしそうに目を逸らす姿が愛しいと思えた。
余裕がある今ならわかる。

名前はいつだって臨也に対して真剣で、不器用なくらい素直で、女優としてではないただの女の子としての自分を見せてくれていた。


「名前は?名前は俺のこと好き?」


もう気持ちはわかっているが、本人から直接聞かないと意味がない。
……いや、意味がないというより、臨也が名前自身の口から聞きたかっただけかもしれない。

けれど名前は、そんな臨也の望んだ通りに、小さな声であっても確かに今まで聞けなかった二文字を紡いだ。


「すき、」


重なる影と吐息。
学生の頃から密かに募らせていた想いが、ついにこの瞬間結ばれたのだった。




数ヶ月後、女優『名無し』が一般人の交際していると報道され、紙面を賑わせることになるのだが――今はまだ誰も知らない。




fin.