08



「そもそもさ、どうして名前は俺から離れようとするのかな。俺のこと、好きなくせに」

「ッ……逆に私の方が訊きたいよ。どうして私に構うの?私は家政婦でもなければ臨也の玩具でもないんだよ?私のことなんか放っておいてよ……!」


背中を向けたままでの会話。
振り返って臨也の目を見る勇気はなかった。

もし臨也の目を直視しようものなら、きっと泣いてしまう。

くだらない女のプライド。
なんとか保ってきた矜持を最後の最後で崩したくはなかった。


「名前はさぁ、何でそんなに悲観的になるの。俺のこと好きななのに他の男と恋人になって、俺から離れようとして、俺が名前のことどう想ってるか知らないくせに。
 どうして俺が、名前を一人の女の子として好きなんだってわからないの……!!」


聞き間違いだと、思った。
それぐらい有り得ないことだと早々に諦めていたから。

捕まれた手首が痛みを上げるぐらい強く握られて、ようやく「う、そ……」と絞り出せた言葉は意図せずして震えていた。


「……嘘、だ。だって臨也、そんな素振り……」

「信じられないのはわかってる。俺は名前のこと蔑ろにしてきたからね。急に信じてもらえるなんて虫のいい話だってわかってる」

「も、やだ……!これ以上、私を振り回そうとしないでよ!せっかく決心したのに!新たな一歩を踏み出そうって決めたのに!
 どうして臨也は私を解放してくれないの……!!」


堪えていた涙がついに零れてしまう。
今更遅いかもしれないとわかってはいたが、最後ぐらいは毅然として別れようって決めていたのにそれももう意味はない。

震える肩に臨也の腕が回って優しく抱き締められた。
それも嫌で、腕や足を振り回して暴れて抵抗しても、臨也は容易く丸め込む。
いつだってそうしてきたみたいに。


「今のままじゃダメだと思ったから離れようって決めて、できる限りの努力して、頑張って……!
 じゃあ、私はどうすればよかったの!どうしなきゃいけなかったの!?もう、私、わかんないよ……ッ」


前進した結果がこれだというならば、なんてやるせないんだろう。

逃れられない距離は生殺しもいいとこで、臨也が言う『好き』を信じることもできない。
信じるにはもう心が廃れすぎてしまったんだ。

だから、楽になることを望んでもいいでしょう……?


「お願いだから、もう私を楽にしてよ……お願い……ッ」


懇願だけはしたくないって思ってた。
どんな意味を持とうとも縋りつくことだけは絶対にしないって。


「……ごめん。ここまで名前を追い詰める気はなかったんだ。自分が最低だっていうのは自覚してる。いつだって俺は名前に酷いことばかりしてきたからね。
 でも、どんなに罵られても憎まれても、手放すことだけはどうしても嫌だ」

「ッ……」

「好きなんだよ、名前が。他の誰よりも愛してる。名前以外の奴が俺の隣りにいるなんて考えられない。俺のこと憎んだっていいし、名前が望むことなんだってするから、だから、
 俺から離れようとしないでよ……!」


どうか愚かな女だと嗤ってくれ。
蔑まれようと弁解などできやしない。

それでも、この最低な男が好きなんだ。


「……私が、いていいの?私が隣りでいいの……?」

「俺が選んだ君が悪いわけないだろ……!」





物語の結末はいつだって予想外で、
ハッピーエンドは願ったって叶うとは限らない。

それでも、隣りにアイツがいることが大切なんだって思えた。






fin.