08



先生に半ば押し付けられた教材を持って廊下を歩く名前。
両手にかかった重みに溜め息を零す。
嫌な顔はせず引き受けたが、面倒なものは面倒。本音は嫌だった。

『社会科準備室』とプレートが下げられた扉をスライドさせる。
年月を感じさせる古っぽい匂いが名前の鼻孔をくすぐった。


「えっと、ここに置けばいいのかな……?」


同じようなものが積まれた横に置く。

取り敢えずこれでいいだろう。
踵を返そうとした名前の耳にカタンッと小さな物音が届いた。


「え……」


誰かいる……?
そっと奥を覗いた名前は、そこに蹲っていた人物を見てすぐさま顔色を青くした。


「折原くん!?大丈夫!!?」

「……はは、これで大丈夫に見えるなら君の目は節穴だね」


いつもの調子で憎まれ口を叩いているが、額には脂汗が滲んでいる。
大丈夫ではないのは一目瞭然だ。


「今、先生呼んで……」

「いい」

「でも……っ」

「いいって言ってるだろ」


冷たい目で制され、名前は渋々臨也の足元に座る。
見た感じ出血はしていない。おそらく静雄の拳か蹴りを腹に喰らったのだろう。
せめてもと思いハンカチで汗を拭った。


「……君って本当、よくわかんないよ。
 好きって言ったり嫌いって言ったり……今だって俺のこと放っておけばいいのにさ」

「放っとけるわけないよ……」


好きな人が苦しんでるのに放っておけるわけない。

泣き出しそうな顔で呟く名前に臨也はもう一度「わからないな」と吐き捨てる。
名前は黙っていたが、しばらくしてからポツリと話し始めた。


「……折原くんさ、平和島くんといる時自分がどんな顔してるか知ってる?」

「は?」

「すっごく忌々しそうに、敵意の混じった顔で平和島くんを睨んでるの」


自他共に認めるほどの仲の悪さ。
会う度に良い顔はしないのは当たり前で。

何を言ってるのか、と訝しげに見つめられながら名前は続ける。


「気付いてないかもしれないけど、折原くんが素で接するのって平和島くんぐらいだよね」


あんな顔するんだって、ある意味衝撃を受けた。
どんなに悪意の形相でも本当の表情には違いなくて。

もっと見たいっていつの間にか目で姿を追うようになって、それが恋だって気付いたのはいつだっただろう。


「私はね、折原くん。別に折原くんが私を好きになってくれなくていいし、私に素で接してくれなくてもいいの」


名前は小さく臨也に笑いかけた。
寂しげで胸を突くような、でもその儚げな雰囲気がとても綺麗な笑顔。

思わず臨也は目を見開いた。


「他には何も望まないから、だから……失恋、させてくれないかな?」



そうしてようやく、二年以上に渡る一つの恋が終わりを告げる。