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カッターの刃が肌に沈む直前。
呉葉によって止められた手は挙げさせられ、カッターは奪い取られ手の届かないところに放られた。


「なん――ッ」


怒鳴ろうと皆瀬は呉葉を睨みつけて――固まる。
背中から首にかけて走る寒気似た得体のしれないもの。
血の気が引き、指先が冷たくなる。口内が乾く。

皆瀬は気付いてしまった。
呉葉の瞳に浮かぶ嘲笑を彩る狂気に。

女子が向けてきた悪意よりも残忍で、
男子が送ってきた熱意よりも執拗で、
その二つを綯い交ぜにして煮詰めて昏く染め上げたような、狂気。


「大人しくしといた方がいいよ?消えたくないなら、ね」


くすくすと嗤う呉葉に優等生の面影はない。

拘束していた腕を解放してやり、そのまま邪魔な眼鏡を外して鬱陶しい前髪を掻き上げる。
隠れていた美貌と滲み出る妖しさが露わになった。


「な、何なのよ……あんた……ッ」


無理に出したであろう声は上ずり、掠れる。

皆瀬はすでに呑まれつつあった。
悍ましくも不穏な、呉葉独特の雰囲気に気圧される。平静でいられなくなる。

大して歳の差もない少女を“怖い”と感じずにはいられなくなる。


「何ってそうだなぁ……ただの快楽主義者かな。ただの、君と同じ異世界の人間」

「ッ、あんた傍観主ね!?マナを陥れて逆ハーになろうたってそうはいかないんだから!!」


呉葉はきょとんとした後、「あはは!!」と哄笑する。
可笑しくて仕方ないのか、眦には涙すら浮かんでいた。


「ほんと、君って人は自分のことしか考えてないんだねぇ。私は逆ハーなんて興味ないよ。キャラも嫌いじゃないけど、好きなのはストーリーだし。
 そんなの執着してたのは皆瀬サンぐらいだって」


傍観や陥れってのは否定しない。
本人にそのつもりはなかったけど、確かに呉葉がしていたのはそれだからだ。

呉葉の目的とするところが読めず、怯えながらも睨む皆瀬に呉葉は微笑んでやる。


「もちろん、皆瀬サンが逆ハーを望もうが実際にしようがどうでもいい。勝手にしてればいいよ。君の邪魔してやろうと思うほど恨みはないしね」

「だったら……!!」

「――でも、そうもいかないんだよねぇ。なんたってこれは“ゲーム”だから」


さぁーて、どうせだから『現実』というものを見せてあげようか。