やっぱ、来なきゃよかった。
黄色みがかったアイスティーのグラスに口を付けながら苦い気持ちを抱く。
いつもは円になったテーブルに座り、主に自慢話で始まって終わる『スラグ・クラブ』。
スラグホーン自身が言ったように今日はそのいつもとは違って立食形式になっており、話の内容もいつもよりは気安い談笑になっている。
何にせよ、ノアの興味を引くものではないのだが。
全ての視線を避けるように壁の花を決め込むノアに、一人の男子が近付く。
「こんばんは、ノア先輩」
「……何でだろ。アンタのその笑みがすっごく腹立つんだけど」
つまらない会に参加することになった元凶に当たっても文句は言えまい。
そんな八つ当たりじみた言葉に、レギュラスは堪えた様子もなくノアの横に並ぶ。
整った容姿を持つ二人が並べば絵になっていたが、長く観賞することはノアもレギュラスも許さなかった。
「やぁやぁ、ノアにレギュラス!楽しんでおるかね?」
「えぇ。お招きくださってありがとうございます、先生」
「……」
正直に楽しくないとは言えないし、嘘をつきたくもなかったノアは黙ったまま。
だが代わりにレギュラスが答えたのがよかったのか、それともノアが口数の少ない生徒だと思われているのかスラグホーンはにこにこと笑っていた。
魔法界にしかない紫色のアイスティーが笑う度に揺れている。
「今日は魔法省に勤めている友人を招いてね……もちろん、私の昔の教え子なのだが。どうだろう、向こうで話でも?」
「いえ、僕達はここで大丈夫です。ありがとうございます」
さすがにこれ以上、ノアの機嫌を損ねるわけにいかないと判断したのか、レギュラスはやんわりと断った。
一つ下のレギュラスはともかく、ノアはそろそろ進路について仄めかされることが増えるであろう時期だ。
現在当主を務めている父親からは好きにすればいいと言われているが、いずれは当主の仕事も継がなくてはならなくなるだろう。まぁ、肩書きが変わって貴族をあしらう回数が多くなるぐらいだが。
スラグホーンからしてみれば、ぜひともノアに魔法省の役人になってほしいのだろうが……興味など欠片もないため実現はまずない。
そもそも上下関係のある立場は好んでいなかった。
「そうかね。私も無理強いはするつもりはないが、気が変わったなら来てくれ。君達ならいつでも歓迎しよう」
残念そうに眉を下げたスラグホーンは最後に「楽しんでいってくれ」と言い残して他の生徒の元へと去って行く。
この部屋にいる全ての人と言葉を交わすには時間が足りないに違いない。
下手に引き止められなくてよかったと内心安堵するノアの腕を、レギュラスはそっと引いた。
「先生に挨拶は済みましたし、もう帰りませんか?先輩も、長々といたいわけではないんでしょう?」
「……アンタがさ、何で私を無理矢理連れてきたのかさっぱりわかんないんだけど」
「あぁ、それは……先輩のドレス姿を見てみたかったからですよ」
「……、」
さらっと吐かれた台詞に思わずノアが沈黙する。
格式あるパーティーではないため正装とまではいかないが、それなりのドレスコードは指定されていた。
ノア自身も場に合ったワンピースタイプのドレスに身を包んでいる。
「そんなことのために……?」
「そんなことって言わないでくださいよ。先輩ってパーティとか全く出ないので見る機会もないんですから」
理由はどうであれ、帰ることに不満はないノアは取り敢えず引かれるがままについて歩いた。
部屋を出るまでにかけられた声に全て失礼のない程度にあしらいながら。
レイブンクローとスリザリンの寮に向かう道の分岐点まで来ると、ノアは「ここまででいい」と言って今まで掴まれたままになっていた手を振り払う。
「僕は寮まで送るつもりだったんですけど。今日は僕の我儘に付き合わせてしまいましたし」
「わざわざ送ってもらわなくて結構。てか、我儘だってわかってんなら自重して」
「気を付けます。……ノア先輩、」
すでに寮に向かっていた足を一旦止めて顔だけ振り返ったノアに、レギュラスは腰を屈めて視線を合わせると――
「……え、」
「おやすみなさい、ノア」
遠ざかって行く背中にノアは何も答えることができない。
呼び捨てにされたことはどうでもよかった。
それよりも、間近に迫った灰色の瞳が。頬を擽った吐息が。一瞬の間、分け合った唇の体温が離れない。
俗に言う、ファーストキスを奪われたのだと気付いた時にはレギュラスの姿は曲がり角へと消えていた。