心の変化


「失礼しまーす……って、あれ?」

 ある日の放課後、私はパソコン室に出向いた。一応挨拶をして入ってみたものの、誰もいないようだ。
 ちなみに、京ちゃんはお家の用事があるようで今日は帰ってしまった。大輔くんたちはいると思ったんだけど――まだ来てないのかな?

 
「ラブラモン、みんなー……?」

 ラブラモンたちに呼びかけて見たものの、特に応答はなし。まあラブラモンなら私が入った瞬間に駆け寄ってくるし、どうやら本当にいないようだ。
 
 
「ふむ……」
 
 これは俗に言う『ぼっち』というやつかな。流石にちょっと寂しいかも――。
 
 
「ふわあ……湊海?」

 なんて思っていたら、部屋の奥からふ抜けた声が聞こえた。そちらの方を振り返ると、パタモンが目をこすりながらこちらへ向かってきていた。
 
 
「あ、パタモン。他の子みんなは?」

「うーん、わかんない。僕がお昼寝している間にどこかいっちゃったみたいだよ」
 
「あらら、遊びにでもいったのかな?」
 
「そうかも……ふわああ」
 
 私と会話をしている間にも、パタモンは小さくあくびをした。どうやらまだ眠りが足りないらしい。
 
 
「パタモン、眠いの?」
 
「昨日の夜タケルとゲームしてたからかな……何だか寝足りないんだよね……」
 
「だめだよー夜更かししちゃ」
 
「うーん……今日から気をつける……だから湊海……だっこぉ……」

 パタモンはそう言うと、私の胸元に飛びついた。慌ててしっかりと抱きとめる。
 
 
「おっとと」

「湊海、あったかくてきもちい……ふわあ……」

 パタモンは私にすりつくと、そのまま眠りについた。すやすやと寝息をたてている。
 こ、これは――。
 
 
「めちゃくちゃ可愛い……」
 
 私は思わずそう呟いた。元からパタモンは可愛いと思っていたが、こういう風に甘えられることはなかった。ラブラモンはこんなこと絶対しないだろうし、貴重な経験かも……。
 
 
「よしよし」
 
 私はパタモンをそーっと撫でた。ゆっくりとした時間が流れていく。たまには良いかもね。


「ふわあ……」
 
 そうしていると、私もだんだんと眠くなってきた。思わずあくびが漏れる。うつらうつらと舟を漕いでいると、ドアをノックする音で目が覚めた。
 ドアの方を向くと、タケルくんがきょとんとした様子でこちらを見ていた。
 

「……あ、タケルくん」
 
「あれ? 湊海お姉ちゃんだけ?」

「京ちゃん、用事があるみたいで……、大輔くんたちは?」

「大輔くんとヒカリちゃんは日直。伊織くんはさっき会ったけど、剣道の稽古があるから今日は帰るって」
 
「そっか」
 
「……それより、何でパタモンだっこしてるの?」
 
 タケルくんは少しむっとした様子で、パタモンを指さした。
 
 
「何か眠いらしくてね、私の方に飛んできたんだよ。……ふふ、可愛いよね」
 
「ふーん……」
 

 タケルくんはそう言うと、カバンの中からタオルを取り出し、机の上に置いた。そして私からパタモンをそっと抱き上げ、タオルの上に寝かせた。
 するとその後――何故か私の膝の上に乗った。
 
  
「……あの、タケルさん?」

「………」
 
 タケルくんは背を向けているため、表情が全く見えない。な、なんだ……? てっきり私がパタモン可愛がってたからヤキモチやいてるかと思ったのに――違うの!?
 しかし、こういう風にタケルくんと接するのは久々である。タケルくんも大きくなったし、そういう風にするのは何かあれかなと思って控えていたのだが……大輔くんはまた別。タケルくんより大分幼いし。精神年齢的な意味で。

 
「おーい、どうしたの? タケルくん」

 私が再度そう訊くと、タケルくんはちらっとこちらを振り返り、小さく呟いた。
 

「……前は、あんなに可愛がってくれたのに」

「……へ?」
 
「膝に乗せてくれたり、頭撫でたり、手繋いだりしてくれたのに、今は全然してくれないよね」
 
 タケルはそう言い終わると、ふいっと前を向いた。しばらく呆気にとられていたが、思わずぷっと吹き出す。
 

「ふっ、ははは!」
 
「ちょっと、何笑ってるの」
 
「ご、ごめんごめん……! なるほど、そういうことね」
 
 私はタケルくんの頭をゆっくり撫で始めた。
 
 
「よしよし、タケルくんは可愛いね」
 
「……ん」
 
 タケルくんはしばらく私に頭を撫でられていたが、急に私の方を向いて座り直した。
 
 
「ど、どうしたの」
 
「……何か違う」
 
「撫で方が嫌だった?」

「そういう違うじゃなくて……」
 
 タケルくんは私にぐっと顔を近づけた。
 
 
「僕、湊海お姉ちゃんに甘えたかったわけじゃないみたい」
 
 タケルくんはにこりと笑うと、私の頬をそっと撫でた。それがくすぐったくて思わずぴくりと反応する。


「ふふ、可愛い」

「うう……」
 
 タケルくんはその様子を見て微笑んだ。それは今まで見たことのない表情で、胸が高鳴る。私は思わずタケルくんから顔を背けた。
 そんな私にお構い無しで、タケルくんは更にこちらへ近づいた。
 
 
「ねえ、どうして避けるの?」
 
「あ、あのねぇ……いくら私でも流石にこの距離は……」
 
「嫌だった?」
 
 タケルくんは私をぎゅっと抱きしめ、そう呟いた。タケルくんの温もりに、私の体温も上がっていく。体がとても熱い。心臓は今にも爆発しそうだった。
 
 
「い、嫌じゃないよ……嫌じゃないけど……」

 ――もう限界だった。私はそっと、体からタケルくんを離した。
 
 
「……湊海お姉ちゃん?」
 
 タケルくんはきょとんとした様子で私を見つめる。
 
 
 
「タケルくんがかっこよくて……私もう……駄目かも……」
 
 私は火照る顔を抑え、小さな声を漏らした。
 
 
 
「へ?」
  
「……こっち、見ないで」
 
 私はふいっと顔を逸らした。普段言わないようなつっけんどんな台詞だが、この際構ってられない。早く心臓を落ち着きさせたかった。

 

「ご、ご、ごめん! 僕……!」
 
 タケルくんは慌てて立ち上がると、ランドセルを背負い、パタモンを抱えてドアへ駆け出した。
 
 
「た、タケルくん?」

「とにかくごめん! また明日!」
 
 タケルくんはそのまま、パソコン室の外へ出てしまった。
 しばらく呆然とドアを眺めていたが、途端に気が抜けて椅子へ座り込んだ。椅子にだらんと体を預け、上を見上げる。
 自分で自分のことが、分からなくなっていた。

 
   
「はあ……何だったんだろう……」

  
「さあ、何だったんでしょうね」
 
 
「うわっ!?」 
 
 その声に思わず飛び上がると、いつの間にか目の前に光子郎さんがいた。
 
 
 
「こ、光子郎さん……」
   
「湊海さん、気をつけてくださいね」
 
「な、何を……?」
 
「色々と、です」
 
 光子郎さんはにこりと笑うと、私の頭を撫でた。その笑みに恐怖を感じたのは気のせいだろうか。
 


「まあ僕たち、難しい年頃ですから」
 
「難しい年頃?」
 
「体も心も、どんどん変化していくってことです」
 
「ふむ……」
 
 
 確かに、いつの間にかタケルくんは大きくなっていて、かわいい男の子からかっこいい男子になっていた。
 私自身も、タケルくんに対する気持ちが変わったように思える。以前は可愛い弟のように思っていたが、今は――。
 
 
 
「湊海さん?」 
 
「……難しいですね、人の心って」

 
 さあ、どうやってこの気持ちに向き合おうか。私は胸をぎゅっと抑えた。
 
 
 
 
 
 


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