※この話はギャグです










「……あれ?」

意気揚々と取り出した写真に、しかし折原はいささか拍子抜けしたような、きょとんした様子でちいさく疑問符を零した。きっと平和島がいかにも好きそうな、純真そうで可愛らしい女子生徒がカメラに向かって微笑んでいる写真が入っているのだろうと想像していたのだが、取り出したそれはなんてことのない、ありふれたクラスの集合写真だった。
ざっと写真全体を眺めてみると、端の方に平和島が写っていた。こめかみには見慣れた青筋が浮いていて、隣を鬼のような顔をして睨みつけている。ゆるく拳が振りかぶられていた。その視線と拳が向かうであろう先には笑っている折原がいて、そのまた隣では、あらぬ方を向いてなにやら叫んでいる様子の岸谷がいた。ああ、と得心がいく。これは折原たちが高校一年最後の終業式の時に撮った写真だ。平和島も折原も岸谷も、見知った他の顔も、みんないまより随分と幼く見える。三年に進学したいまでは、たった一年と少し前のことがひどく遠い昔のように感じられた。
一年の時、当事者たちにとっても周囲の人間たちにとっても不幸なことに、平和島と折原は同じクラスだった。教室だろうが授業中だろうが関係なく喧嘩三昧の一年間を送っていたふたりが、二年に進学した時に別のクラスに振り分けられたことは至極当然の成り行きだった。というよりも、学校側の意向に加え、折原が教師陣に“提案”を持ちかけて仕向けたことだった。その内容とは折原と平和島のクラス配分についてのものであり、ふたりの教室も靴箱も一番離れていて、もちろん合同授業では決して一緒にならないどころか、各クラスの時間割りを調節させて移動教室の際にもまずすれ違うことのないようにと綿密に計算し尽くされた、完璧なクラス配分だった。最初は平和島と折原が離れることに手を挙げて喜んでいた教師陣でさえ、さすがにちょっと青ざめるほどの徹底ぶりだった。しかし折原は大満足だった。そして有無を言わさず、それをまるっきりそのまま採用させることに成功したのだった。
ちょうどこの写真を撮った終業式前には既に折原と平和島のクラスは決められており、折原は晴れ晴れとした気持ちで来たる春休みへと胸を踊らせていた。これでいままでのように平和島に余分な時間を割かずに、趣味の人間観察に精を出すことができるというものだ。さすがの平和島も、ここまでお膳立てしてやったのだから折原があからさまにちょっかいでもかけない限り、わざわざ殴り込みにくることはないはずだ。
折原の心はまさに春風のごとく、穏やかで爽快なそれだった。つまりは機嫌がよかった。どれくらい機嫌がよかったかと言うと、

『や、シズちゃん』

春休みを前にして浮き足立つクラスメイトたちを横目に、どこかむすっとした様子の平和島に「久しぶりだねえ」と笑いかけるほどに、折原の機嫌はよかった。
ちなみに社交辞令でもなんでもなく、実際に久しぶりだった。何せ折原は毎日クラス分けや時間割りの調整と教師陣への“提案”に忙しく、ここ最近は平和島を嵌めることもなかったし、テストが終わった後の授業はほとんどサボタージュしていたため、同じクラスであるにも関わらず、平和島と顔を合わせる機会はまるでなかったのだった。平和島はにこにこと上機嫌な折原に妙な顔をして、けれど、おう、とぶっきらぼうに返事を寄越した。いまにして思えばふたりの間にまともに会話が成立した貴重な瞬間だった。たったそれだけのやり取りでクラスメイトたちは戦慄し、ふたりの周囲は十戒のごとく人が後ずさってぽっかりと空間が出来上がっていた。遂に戦争集結か、はたまた天変地異の前触れか、と思われたその時、担任の教師が「集合写真撮るから三列に並べー」と集合をかける声があった。なので、なんとなく。そう、なんとなく、折原は平和島の隣に並んだ。まさか平和島と隣同士で写真を撮りたかったわけでもなければ、別に嫌がらせのつもりでやったわけでもなく、本当に、単なる位置関係による成り行きだった。このままわざわざ離れたところに並び直すというのが面倒だった、ただそれだけのことだ。平和島は一瞬驚いたような顔をしていたが、結局それに対してなにも言わなかった。久しぶり、と折原が声をかけた時の妙な顔で、そっぽを向きながらその状況を甘んじていた。機嫌がよかった折原は、シズちゃんもなにかいいことがあったんだろうなあ程度にしか思わず、担任がカメラを調節している間も、ねえ、と極々自然に平和島へと語りかけた。

『シズちゃん、明日から春休みだねえ』
『そうだな』
『どっか行くの?』
『……別に、決めてねえ、けど、』
『ふうん? そうなんだ。まあ俺もだけど』
『……へえ』
『春休みって長いようで短いよねえ。なにしよっかなあ……。ああ、そういえばさ、シズちゃん。二年になったらクラス替えだね』
『……………』

そこで平和島は不機嫌そうにぐっと眉を顰めた。否、不機嫌そうというよりも、なにかを不安がっているような顔という方が近かった。おや、と先ほどまではまるで普通のクラスメイトのように接していた平和島のその表情に首を傾げつつも、もしかしたら来年度からも折原と同じクラスになってしまったら、と危惧しているのかもしれないと納得した。折原にとっても最悪の一年間だったが、それは平和島にとっても同じだ。警戒する気持ちもわからなくはない。だが、なにも折原が手を加えなくともふたりのクラスが別になることは確定されていたであろうから、杞憂もいいところである。そんなに心配しなくてもいいのに、と内心ほくそ笑む折原だった。
心配しなくても、俺とシズちゃんのクラスは別々だよ。
そう親切に教えてやろうとした折原だったが、しかしそれよりも先に平和島が低くぼそりと呟きを落とした。

『……次は、死んでも手前なんざと同じクラスにはなりたくねえ、』

ねえ、また、同じクラスになれるといいね。

そう言って、前に並んでいる女子生徒たちが笑い合っている。よかったね、君たちは来年度も同じクラスだよ、心の中でそう答えながら、折原は平和島の呟きに、不覚にも硬直していた。なんかもう硬直などしている自分への衝撃で更に硬直しているという堂々巡りだった。いやいやなにをショックを受けることがあるんだ折原臨也。お前も同じことを思って、更にはそれを揺るぎない現実にするべくここ数日奮闘していたんだろう。大体この男が自分を嫌っていることなど今更なのだし、普段から嫌いだ死ねと罵倒し合っている仲である男の、死んでも同じクラスになりたくない、たったそれだけの言葉に、なにをショックを受けることがあるというのだ。
折原は混乱していた。なんかもう平和島の言葉に混乱などしている自分への混乱で更に以下省略だった。いつもならばすらすらと出てくる嫌味がひとつも出てこない。ひくりと口元を引き攣らせる折原の顔を、平和島が訝しげに──たとえ一瞬でも心配しているような顔だと思った自分を折原は殴ってやりたい──覗き込んできた。カメラの準備できたぞー、担任のそんな声が聞こえたが、やけに遠いところで響いているようだった。折原はもう限界だった。反射的に袖口のナイフを取り出し、切っ先で平和島のブレザーのボタンをひとつ、弾き飛ばした。一瞬呆気に取られたような顔をした平和島の顔が、みるみると怒りに満ちていく。平和島にナイフを向けるのも、いつも折原を追い掛け回していた時に浮かべているその表情を見るのも、思えば随分と久しぶりだった。ああきっとだからなのだと、折原は自身へと言い聞かせた。
久しぶりだったから。だから、一瞬戸惑ってしまっただけなのだ。そうとわかれば、折原にはもうなにひとつ取り乱す理由などなかった。いつも通りに口元に笑みを浮かべ、ナイフを揺らして平和島を挑発してみせた。

『俺だって、きみなんかと同じクラスは死んでもごめんだよ、』



───そうして高校一年最後の戦争勃発の瞬間を捉えた貴重な写真が、これというわけである。

折原はわずか一秒間の間に走馬灯のごとく駆け巡った当時のことを思い出していた。ああそういえばそんなこともあったね。写真を見下ろしながら折原は目を伏せる。
結論だけ言うならば、二年生の時にも折原と平和島の喧嘩の頻度は大して変わらなかった。折原の努力の甲斐あってか、偶然すれ違うことこそなかったものの、それでも折原は変わらず平和島にちょっかいを出し、平和島はいつだってどこまでだって折原を追いかけた。折原がなにもせずとも、「むしゃくしゃしていたから」という理不尽極まりない理由で平和島が折原を襲撃してくることもあった。折原の画策などまるで意味がなかったかのように、また、最悪の一年は繰り返された。三年に進学する際にも当然ふたりのクラスは別だったが、その際には折原は学校側になにも言わなかったので、偶然すれ違うことも多くなった。さすがにすれ違うだけで喧嘩に発展することは少なかったが、互いに睨み合うくらいのことは当然だったし、そんな日は放課後まで気分が悪くなった。きっと平和島だってそうだろうと思うと少しは愉快な気分になるのだが、なぜか時折、ちくりと胸が痛むのだった。そんな時にはより一層、自分は平和島が嫌いなのだと折原は再認する。
だからにちがいないのだ。この写真を見て、当時のことを思い出して、折原がこんなにも苛立っているのは。
そしてなにより腹立たしいのは、平和島がこの写真をこんなにも大事に隠し持っていたということだった。いまでは少しは友人が増えたようだが、一年の時の平和島には岸谷以外の友人はいなかった。折原は当然平和島の友人などではなかったし、二年に進学した際に折原と同じクラスになった門田とは、まだ知り合ってもいなかった。折原と同じクラスだった上に、そんな風に孤立していた一年間は、平和島にとっては嫌な思い出しかないはずだ。平和島がこのクラスが好きだったとは到底思えない。それにも関わらず、平和島はこの写真を持っている。ということは。

それでもこの写真を持ち歩くほどに好きな人物が、この写真に写っているということなのだろう。

折原はぐしゃりと写真を握り潰した。
それ以外に考えられない。つまりはこういうことだ。平和島には一年の時からクラスに好きな女子生徒がいたが、二年に進学した際にクラスが離れてしまった。平和島のことだから、クラスが離れて接点がなくなってしまい、しかし無駄に奥手で初心な彼が自分から声など掛けることなどできるはずもなく、それ以来ずっと彼女のことを遠くから眺めることしかできなくなった。そんな彼が唯一持っている彼女の写真がこれなのだろう。写真部か知り合いに依頼してその女子生徒の写真を撮ってもらうという発想などなかったであろう平和島は、後生大事にこの写真を生徒手帳に隠し持っていた。この一年と少しの間、ずっと。大嫌いな折原が写っていても、それでも手放せないほどに好きな相手のことを思って。
ふふんなるほどね。折原は納得した。いかにもありえそうな話だ。なるほどなるほど。折原と毎日喧嘩をしていたあの教室の中で、平和島は、ずっとその相手のことを熱い眼差しで見つめていたというわけか。折原と喧嘩している間もずっと、折原のことなど眼中になく、適当にその辺のものを放り投げながらもその相手のことを考えていたというわけか。折原が二年になったらクラス替えだねと言ったあの時の、あの不安そうな顔は、折原とまたクラスが同じになることを危惧したものではなく、愛しい彼女とまた同じクラスになれるかどうかを案じていたというわけか。ほほう。なるほどなるほど。折原は誰にともなく頷いた。
なぜ気づかなかったのだろう。一年のあの時、平和島とずっと同じ教室にいたのに。ずっと平和島を見ていたのに。ずっと、平和島はその女子生徒のことを想っていたのに。

「………」

折原は写真を平和島の手帳に戻そうとして、しかしぐしゃぐしゃになったそれに手を止め、結局自分のズボンのポケットへとねじ込んだ。そして“ただの平和島静雄の生徒手帳”になってしまったそれを、まるでなにごともなかったかのように元の場所へと無造作に放り捨てた。乾いた音を立てて落ちたそれを見下ろす。平和島など、ずっと大事にしていたこの写真をなくしてしまったことに、精々傷つけばいいのだ。
写真を見るまでの、あの高揚した気分がいまはまるで嘘のようだった。一年の時に平和島と同じクラスで、それ以後は彼とはクラスが別れている女子生徒を調べれば、簡単にその相手は絞り込むことができるだろう。しかし、折原は彼にとっては朝飯前のその作業をする気には、どうしてもなれなかった。なんだか急に、いろいろなものがあまりに馬鹿らしくなってしまった。せっかくの天敵の弱味を前にして、それに手を伸ばそうという気が起こらない。
ああそういえば、と折原は目を瞬かせる。そういえば、折原は今日は一度も件の平和島とは顔を合わせていなかった。クラスがちがっても毎日当然のように顔を合わせていたのに、珍しいこともあるものだ。確か平和島は今日は日直だったはずだから、まだ校舎内に残っているだろう。それに自分が生徒手帳を落としたことに気づいているならば、今頃ちょうど校内を探し回っているところかもしれない。
なんだか、いまは無性に平和島に喧嘩を売りたい気分だった。折原は袖口から昨晩手入れをしたばかりのナイフを取り出し、ばちんと音を立てて開いた。それを睨みつけながらぼそりと低い呟きを落とす。

「……今日こそは、その息の根とめてやる」

埃の溜まった廊下の隅に落ちている生徒手帳の持ち主を脳裏に思い浮かべ、折原はその人物を探すべく、荒々しい足取りでその場を後にした。





はやとちり 3
20110107

そしてこのテンションの差
3話完結にならなくてごめんなさい、次こそ終わらせます