新セル前提・微静臨フラグの新臨で中学時代捏造です










今朝のセルティはね、そしてセルティがさ、ああ、あとセルティが、セルティが、セルティが。
淀みのない流水のようにとめどなく、そして矢継ぎ早に語られる彼女の話は、けれどその名前を発音する慎重さやそれを口にした後に愛おしげに結ばれる唇の笑みの形で、彼の愛がいかに丁寧で底が見えないものであるかをいつも臨也に知らせる。
どうやら岸谷新羅という男は、分単位で「セルティ」という名とその名の人物(正しくは人間ではないが)に対する愛を語らなければ気が済まないらしい。授業の間の休み時間ごとにわざわざ離れた臨也の席までやって来る新羅にいい加減うんざりしつつも、「へえ」「ふうん」「そう」という三パターンの相槌をローテーションさせながら臨也は聞いている素振りですぐ横にある窓へとぼんやり視線を流す。雲ひとつない快晴の空とグラウンドで次の体育の授業の準備を行っている生徒たちの姿が、視界に入ってはいるものの意識には留まらないまま、スライドショーのように少し疵の入った窓ガラス越しに映し出されている。

「それでね、セルティったらまた砂糖と塩を入れ間違えちゃってさ、」
「へえ」
「そんなドジっ子なところは勿論、肉袒負荊とばかりに必死に謝ってくるセルティの愛らしさといったら、もう森羅万象この世のすべての言語を駆使しようとも表現しきることは出来ないほどの素晴らしさであって……ああもう、彼女のあの鏡花風月のごとき美しさを言葉に出来ないのがもどかしくて仕方ないよ!」
「ふうん」
「……臨也、聞いてる?」
「そう」
「……俺、ずっと隠してたんだけど実は女だったんだ」
「へえ」
「うん、聞いてないね、」

まったく、秒刻みで更新されるセルティの魅力を聞き逃すなんて!
上の空で気のない返事ばかりを寄越す臨也に、新羅はそう嘆かわしそうに溜め息を洩らす。意識はほとんど向いていないものの、声は聞こえてはいるので抗議してやってもよかったのだが、結局臨也が聞いていようが聞いていまいが新羅の話は止まらないのだから、つけあがらせない方がいいだろうと判断して臨也は口を噤む。そしてまたセルティがと語りはじめた新羅の声に、再び気のない素振りでそっと耳を傾けた。
岸谷新羅という人間が好きか嫌いかと問われたなら、折原臨也は「好き」だと答える。では彼のどこが好きかと問われたなら、臨也は間髪入れずに「声」であると答えを返す。前者の理由に第一として挙げられるのは、岸谷新羅が折原臨也の言うところの人類愛の範疇に当てはまる「人間」だからということだが、それ以上に比重を置くのは後者の理由だった。
臨也は新羅の声が好きだった。よくわからない医術の専門用語を連ねたり世間話をしている時の声には特になにを思うわけでもなかったが、彼がデュラハンであり同居人でもあるセルティ・ストゥルルソンに対しての愛を語る時の声だけは好きだ。こういってはなんだが、語る内容はどうだっていい。セルティのどこが魅力的か、新羅は彼女のどこを愛しているのか(恐らく彼はそのどちらに対しても全てだと公言するだろうが)、そんなことは臨也の耳を右から左へと通り抜けていく。臨也が好きなのは、あくまでも愛を紡ぐ新羅の声だ。彼の彼女への愛を音にする、口唇の振動、吐息、それらがもたらす一点の澱みもない声。それを聞いた時、臨也は鳥肌が立つような底知れぬ快感と、微睡みを誘うようなやさしく柔らかい、それでいて揺るぎのない絶対的な充足感とに満たされる。
安定した彼の愛が好きだった。
不安を感じさせる暇すら与えない、完全で綻びのない、嘘も打算も駆け引きもない、彼の愛が好きだ。もう他の誰も愛せない深淵に浸かりながらも、幸福そうに笑ってひたすらに彼女を想う彼の一途な愛が好きだ。
そうして彼に愛される彼女を、うらやましいと思ったことがないと言ったら嘘になる。その際限のない愛情を一心に注がれるのは、どれほどに心地いいものだろうか。あるいはどれほど息苦しいものだろうか。そのどちらも臨也にはわからない。わからないからうらやましいのだと思う。
けれどまさか彼に、岸谷新羅に、その愛の矛先を向けられたいなどという欲求は、臨也の中には欠片も存在しなかった。そもそもそれは万が一にもありえない現象だが、そのような状況を想像しただけで臨也は絶望的なまでのおぞましさに肌を粟立たせ、ふるりと身震いする。岸谷新羅がセルティ・ストゥルルソン以外に愛情を向けるなどあってはならない事態なのだ。その、細い糸で広大な模様を編んでいくような緻密で途方もない愛は、その一割でさえ他者へと向けられてしまった時点で、完全なものではなくなってしまう、糸がほつれてしまう。それは臨也にとってなにより耐え難いことだ。
自分は人間を愛しているのだから、人間もまた自分を愛するべきだ。そう豪語する臨也だが、新羅だけはその限りではない。新羅は臨也を愛さない。だから臨也は安心して新羅の声に耳を傾け、満たされることが出来る。

「……ああ、そういえばこの間たまたま小学生の頃の幼なじみに出会ってんだけどさ、」

それまで息継ぎをする間すら惜しいとばかりに「セルティが」と語り続けていた新羅の声が急に調子を変え、臨也は目の前でぱちんと泡がはじけたような感覚に、赤い双眸を瞬かせた。なんだ、もうセルティについて語ることに満足したのか。唐突に打ち切られたそれに、こちらの方こそが満たされないような、物足りないような、そんなすっきりしない思いに、臨也は不機嫌そうに小さく眉を顰めた。果たして新羅がそれに気付いたのかどうか、彼はうれしそうな笑みを浮かべて「その友人がさ、どうやら僕と志望校が同じみたいでね。楽しみだなあ。また、彼のあの───」と、どこか恍惚とした様子で言葉を続ける。臨也は今度こそ意識の矛先を新羅から外し、つまらなさそうに机に突っ伏した。
新羅はまだその幼なじみとやらのことをどこか興奮気味に話しているが、臨也にはもう興味のないことだった。それでもおざなりに、くぐもった声で再び適当な相槌を打ちながら、そういえば新羅はどこの高校を受験するつもりだったろうかと記憶を巡らせる。しかし忘れてしまったのか、そもそも新羅から聞いていなかったのか、答えにはたどり着かないまま臨也はゆっくりと微睡んでいく。昨晩は双子の妹たちが夜中にぐずり出して、寝かしつけるのに大変であまり睡眠をとることが出来なかったのだ。頭の中に時間割を思い浮かべ、次の時間の授業内容が特に聞いていなくても差し支えのないものであることを確認し、臨也は昼休みまで眠ることにした。昼休みになればどうせ新羅が起こしにくる。昼食を食べるために。そして、またセルティの話をするために。

「臨也? 寝ちゃったのかい?」

まだ眠ってはいなかったが、狸寝入りを決め込むことにした。眠りの世界の入り口に立っている今、顔を上げてしまえばそこへと踏み込む機会を失ってしまいそうだった。どうせあと数秒もすれば眠ってしまう。臨也の意識はもう朦朧としていて、これなら熟睡出来そうだなと思った。ただ、新羅が彼女の話をしていないことだけが残念だった。あの声に見送られたなら、どれだけ安らかに眠ることが出来るだろうか。そう考えて、新羅に隣で話をしてほしいと思った。そんな自分が、母親か父親に寝物語を強請る幼子のように思えて、臨也は自嘲した。そんなくだらないことを考えている間にも、着々と微睡みが臨也を覆う。
完全に意識が落ちる寸前に、新羅が「また夜更かしをしたのかい」と苦笑していたが、彼女へと向けられたものではないにも関わらず、その声は存外心地よいもののように臨也の鼓膜をそっと撫でた。ああ、なんだかまるで、愛されているようだ。そう錯覚しそうな声に溶かされるように、臨也の意識は静謐な水底へと沈んでいった。





わたしを愛さない人
20100730

もう少し続きます