学パロで同級生九十臨
※原作未読のため、九十九屋さんの口調や性格はすべて想像と捏造です
日直の日誌にシャープペンを走らせていた九十九屋がふと顔を上げれば、前の席に座っている折原の白いシャツが目に入った。本を読んでいるのか、いつもはしゃんと伸ばされた背が、少し丸まって無防備さを晒しているのを何とはなしに見つめる。そして自身の持つシャープペンと交互に見やり、ふむ、と九十九屋は思案顔で目を瞬かせた。
一体なにを思案しているかと訊ねられたならば、悪戯心が働いた、としか言いようがない。
放課後の教室には九十九屋と折原のふたりしかいないのだが、九十九屋は慎重に周囲を見渡してから、
「……ひゃっ、」
折原の無防備な背にシャープペンの頭を向け、つつつ……と下に向かって這わせた。びくりと折原の薄い肩が跳ねて裏返った声があがる。その反応に笑いを堪えながら、うなじの辺りから左右の肩甲骨の間辺りまでを撫でたところで、折原が耐えかねるとばかりにばっと振り返った。
「なに、すんだ!」
「……なに、って。悪戯に決まっているだろう」
悪びれた様子もなくいけしゃあしゃあと返す九十九屋に折原は勢い良く怒鳴りつけようと口を開いたが、勢いだけが先走ってしまい、言葉が出ないままもどかしそうに口をぱくぱくと動かす。みっともない声をあげてしまったのが恥ずかしいのか、若干頬が紅潮している。数秒ばかりそんなことを繰り返していたが、折原は結局なにも言わないまま口を閉じ、それを楽しそうに眺めていた九十九屋を睨みつけて先ほどのように前に向き直ってしまった。九十九屋が悪戯をした拍子に机に投げ出されたらしい文庫本を再び開くのが後ろから見えて、九十九屋は無言の折原の背に声を投げる。
「なんだ、怒ったのか?」
からかうような口調で問い掛けるその声に、折原は素っ気なく「別に」と答える。怒っているじゃないか、先ほどよりやや緊張した様子の背にそう視線で語りかけても、折原は振り返らない。それを少しつまらないと思いながらも、九十九屋もまた再び日誌へと取り掛かる。
放課後の教室は静かだった。グラウンドで部活動をしている生徒の掛け声。廊下を歩く下校途中の生徒たちの話し声。時計の秒針が進む音。九十九屋が日誌にシャープペンを滑らせる摩擦音。折原が本のページを捲る度に擦れる紙のかさついた音。音が絶え間なく溢れる空間の中で、けれど茫洋として取り留めがなく、喧騒はどこか遠い。
日直の名前欄に自分の名前を書き込み、もうひとりの担当者の欄には欠席と書き入れる。ひとりの上に週末で仕事が多かったためか、今日は随分と時間が掛かってしまったなと考えながら時計を見上げ、そうしてまた目の前の背中に視線を移す。
黙って本を読んでいる折原に、別に先に帰っても構わなかったのにと、思いつつもそれを口にするのは憚られた。それはあまりに意地が悪いと思うからだ。先ほど悪戯を仕掛けた身でなにを言うかと思われるかもしれないが、きっとそう口にすれば、折原が「そう、じゃあね」とあっさり別れを告げることを九十九屋は知っている。けれどその後でひとり、傷はつかなくとも、一瞬寂しそうな顔くらいはするだろうということも。
いっそそこで傷つくぐらいの可愛い性格だったならば、もう少しはやり易かっただろうか。そう考えて、折原に見えていないのをいいことに首を横に振る。からかい甲斐はあるとは思うが、まさか積極的に傷つけたいわけではないし、そんな折原の強がりや素直でないところが九十九屋は嫌いではない。むしろそれらがあれの可愛いところだと、彼はひっそり口元を緩める。
そんなことを考えている間に日誌を書き終わり、教室の戸締まりをするために九十九屋は席を立つ。そしてそれに気づいて振り返る折原に笑いかけた。
「さあ、あとは戸締まりをして日誌を職員室に提出すれば終了だ。お前は廊下側の窓を閉めてきてくれ」
「はあ? なんで俺がそんなことしなきゃいけないんだよ、」
まだどこか怒ったような声色の折原は、口ではそう言いながらも本にしおりを挟んでいる。やはりそんなところが可愛い。九十九屋はそう思う。
しかしそれに気づいていないふりをし、彼は椅子に座ったままの折原を見下ろして笑う。
「そちらの方が早く済むからさ。効率的だろう?」
今まで俺を待っていてくれたお前を、これ以上待たせるのは忍びなくてな。
冗談めかしてそう言えば、折原の眉間にぐっと皺が寄った。柘榴の色をした瞳がつり上がり、不機嫌そうに睨みつけてくる。
「……別に、お前を待ってわけじゃない。ただ今日中に読み終えたい本があったから読んでただけだ、」
「ああ、そうだったのか。それは失礼したな」
答えながら、下手な嘘を吐く、と思う。
お前、そんなんじゃあすぐに付け入られてしまうぞ。そんな忠告を飲み込んで、九十九屋は肩を竦めて笑ってみせる。
けれど折原も気づいているはずだ。自身の言い訳の甘さにも、九十九屋の素知らぬ振りにも。だから九十九屋は口を噤んで笑う。お前、先月俺が日直だった時にも、放課後にその本を読んでいただろう。机に置かれた本の表紙に、けれどそんな言葉は不用意に折原の機嫌を損ねるだけだとわかっていたから、九十九屋はなにも言わない。
その代わりに、彼は未だ座ったままの折原に手を伸ばす。後ろから額をやさしく抑えつければ、微かに仰け反った白い喉がぴくりと引きつったのが見下ろせた。安心させるように笑いかける。
突然のことに目をみはる折原の唇に、九十九屋は屈み込んで自分のそれをそっと重ねた。啄むように、何度か角度を変えて薄い粘膜同士を触れ合わせる。やがて反った喉が息苦しそうに上下するのを見て、九十九屋は名残惜しそうに唇を離した。そうして改めて折原の顔を見て、ちいさく吹き出す。
「折原、顔が赤いようだが」
「……っ、う、るさい!」
噛みつくように怒鳴りながらも、折原の頬からは一向に赤みが引かない。
随分と可愛い反応をしてくれる、と九十九屋は額に触れていた手をそのままに、丸みを帯びたそこを短い前髪を掻きあげながらそうっと撫でる。そうすれば折原の悔しそうな手が伸びてきて、抵抗するように九十九屋の手の甲に爪を立てた。文句は言わないものの、喉はまるで威嚇する猫のように唸っている。けれども、そのくせ九十九屋が手を休ませようとすれば余計に深く爪を立ててくるものだから、九十九屋は遂に堪えきれずに破顔した。
「……なんだ、折原、怒っているのか、」
数拍の間を置いてから返ってきた「怒ってない」という呟きに、九十九屋は笑ってもう一度素直でない口唇に自身の唇を落とした。
どうか撫でさせておくれ
20100709