ただのリア充なふたり
ツンとキャラが行方不明です










深い眠りに就いていた身体は、香ばしいトーストのにおいに反応して臨也に覚醒を促す。シーツに顔を半分埋めた状態の臨也は、うすく目を開いて、隣にぽっかりと空いたひとり分のスペースを確認するとゆっくりと起き上がり、ううんと唸りながら伸びをした(その際に腕やら肩やらの関節が軽妙な音を立て、二十代半ばにしてなんだかしみじみと老いを感じてしまった)。
素足のままベッドから下りれば足の裏からぞくぞくとフローリングの冷たさが伝わってきて、ぱたぱたと小走りで部屋を出る。洗面所で顔を洗ってからキッチンに駆け込むと、ちょうど静雄がテーブルに焼きたてのベーコンエッグを置くところだった。臨也の存在に気づいた静雄が、彼にはややサイズのちいさいエプロンを外しながら顔をあげる。

「よお、」
「……やあ、」

互いにそう挨拶を交わし、そのまま向かい合って席につく。
テーブルの上にはベーコンエッグにトースト、サラダ、静雄用の牛乳と臨也用のコーヒーが並べられていて、臨也はこんがりと焼き目のついたトーストに手を伸ばし、むしゃむしゃと咀嚼をはじめた。そしてしみじみと呟く。

「……シズちゃんってさあ、如何にも生活能力がなさそうに見えて、意外と料理が出来るよねえ……、不思議だなあ」
「トーストは料理には入んねえだろ」
「そう?」
「たぶんな」
「ふうん、そっかあ……」

うんうん、と臨也は目を瞑って頷く。見ようによってはうつらうつらと船を漕いでいるようにも見え、静雄が「まだ寝ぼけてやがんのか?」と訊ねると、「俺はいつだって人ラブだ!」となぜか憤慨した様子で返してきたので、なるほどこれはまだ頭が起き上がってないのだなと静雄はひとり納得した。
そして静雄はすこし考えごとをするような顔つきでトーストの焦げた部分をフォークで引っ掻いてから、おもむろにスラックスのポケットからなにかちいさなものを取り出し、それをテーブルの真ん中に置いた。臨也はかりっとしたベーコンを口の中で噛みながら、まだどこか眠そうなとろとろとした目を細めてそれを見つめる。

「……低血圧かつ起き抜けでぼんやりしている俺の脳が感知する視覚情報には一切の信頼性がないわけだけれど、それでも敢えて目の前にあるものを視認した結果を簡潔に述べるのなら、いま俺と君の間に存在するそれは、なんか、指輪みたいだね」
「そりゃあ指輪だからな」

実際指輪だった。
起き抜けと言う割にはすらすらと口からすべり落ちた臨也の長台詞に、静雄は一言であっさりとそう答える。
それは細い飾り気のないシルバーの指輪だったが、表面は上品な光沢を放っている。きれいだねと臨也は呟きながら、起きてからなにも水分を取っていなかったことを思い出して急に喉の渇きを感じ、コーヒーに口をつけた。

「昨日仕事で渋谷に行った時に、路上販売で見つけた」
「ふうん、路上販売ねえ。結構高価そうに見えるのに」
「他にもいろいろあったんだけどな、これが一番気に入ったんだ」

そう言って静雄はうれしそうに笑う。
この男がアクセサリーなどの装飾品に興味を持つなんて珍しいなと、普段からあまり装いに気を遣わない彼(何せ年がら年中バーテンの服を着た男だ)を知っている臨也は首を捻りながら、三分の一ほど残っていたトーストを口に押し込む。
すると急にその手を静雄がぐいっと掴んで引き寄せ、指先についていたパンくずをべろりと舐めとった。そして、指に粘膜が触れたその感触に臨也が反応する前にテーブルに置いてあった指輪をひょいと摘みあげ、それを彼の指にはめようとする。が、第二関節のすぐ上の辺りの位置で指輪が動かなくなってしまい、静雄はむむ、と首を傾げた。

「……入らねえぞ」
「……そりゃあ、女物だからね、これ」

どっからどう見ても。
当たり前だとばかりに告げる臨也に、静雄は「そうなのか」と目を瞬かせる。そして脱力したようにうなだれて、はあ、とアンニュイな溜め息を吐いて、掴んでいた手を離した。
そんな彼を心底不思議そうな顔で見つめながら、臨也は空いた手でトマトにフォークを突き刺す。

「指輪のサイズなんてよくわかんねえよ………あー、失敗したな」
「……というか、これはなんでおれの指にはめられてるわけ?」

自由になった手の先の、指のとても中途半端な位置にはまっている指輪をすっかり冴えた目で見つめていると、静雄は「そりゃあ手前に渡すつもりだったからな」とあっさり答えた。
しばらくの沈黙の後、臨也は首を傾げる。

「……今日は、なんかあったっけ? サラダ記念日? シズちゃんの命日?」
「プロポーズしようと思ったんだよ」

臨也のフォークからぽとりとトマトが落ちた。
テーブルにちいさな飛沫を作ったそれには気づかず、彼は呆然とした顔で「プロポーズ、」と繰り返す。静雄はさりげなくその手に不安定に持たれているフォークを取り上げ、皿の上に置いた。

「……誰が、誰に」
「俺が、手前に」
「……君が、俺に、」
「……の、つもりだったんだけどな。まさか、女物だったとはなあ……」

そう言って静雄は悔しそうに溜め息を吐く。ちゃんと恋人に渡すやつだっつっただろうがあの野郎、と恐らくは路上販売をしていたであろう相手に向かってぶつぶつ呟いているが、普通は女物で正解だと臨也は心の中でひっそりと思う。まさか、相手もその恋人とやらが男だとは夢にも思わなかっただろう。あまりに突然で突拍子もない静雄の言動に、臨也はやけに甘ったるく感じるサラダをかじりながら、現実逃避をするように茫洋とした思考を巡らせる。
が、静雄の携帯電話がぶるぶるとテーブルの端で振動する音が響き、真っ白な思考に石を投げ込まれた臨也はびくりとちいさく肩を揺らした。静雄はディスプレイを確認し、「トムさんからだ」と独り言のように臨也に告げて席を立つ。
そのままぱたんと音を立てて閉じられたドアと、その向こうに消えた背中を呆然と見送ってから、臨也は「プロポーズ?」と誰にともなく問いかけ、もう一度自分の手をまじまじと見つめた。
左手の薬指でははまり損なった指輪がきらりと光っていて、不恰好なそれとじんわりと熱を持っている自身の赤い頬に、とりあえず静雄が戻ってきたらまずなにから言うべきかと悩む臨也だった。





砂糖漬けサラダと
コーヒードレッシング
20100711

昔、某女優さんが「プロポーズされるなら朝ご飯を食べている時がいい。起きたばっかりでぼんやりしている頭が一気に「え? ええ?!」って目覚めるようなプロポーズが理想的」と言っていたのをふと思い出して、かわいいな〜と思ったので静臨でやってみたらすごく残念なことになってしまいました