体育祭の二日後。約束は約束なので、ナナは一応作ったお菓子を持ってきた。

 (今日、来るのかな…?)

 昨日は竜崎の姿がなかったため、持って返るしかなかった。体育祭の時は、本当に忙しい中で時間を作って来てくれたんだろう……競技には出なかったけど。
 あれからナナは月に助けられ、どうにか竜崎の手から抜け出すことができた。竜崎はかなり熟睡していて、月に揺さぶられても起きなかったというのに、掴んでいたものがいなくなると、すぐに目を覚ました。意外と、枕が変わると眠れなくなるタイプなのかもしれない。
 そんなことや、ミサたちが嬉々として広めた二人の保健室での逢い引き(………)のおかげで、ナナと竜崎は付き合っているのだとすっかり周りに誤解されていた。月には私情で医務室を使うんじゃないと苦笑いされ、京子には、二人の邪魔はしないから安心してねと言われる始末。元々仲が良かったため、誤解を解くのは難しく、ナナは弁解も何もしなかった。自覚する前だったら、誤解を解こうと躍起になっていたかもしれない。

 自分の机に近づくと、いつもの暑そうな学ラン姿が見え、ほっとすると同時にドキリと胸が高鳴る。竜崎は衣替えになったというのに、冬服を着たままで本をめくっていた。

 (…いやいや、何緊張してるの、わたし。いつも通りに振る舞わないと)

「…おはよー」
「おはようございます」
「衣替えなのに、夏服着ないの?」
「はい、半袖もシャツも着たくないんです」
「…暑くないの?」
「少し暑いですが、まだ我慢できる暑さです」

 そう答える竜崎は、確かに汗一つかいてない。下に長袖とジーンズを着ているとしたら、かなり暑いだろうに。しかし、今や竜崎の存在自体が謎だと思っているナナは、「そうなんだ」と深く考えず頷いた。慣れってこわい。

「…あ、マフィン、作ってきたよ」

 できるだけさりげなくそう言って、机に置いた鞄からマフィンの包み(これもできるだけ地味目の、でも可愛らしい包装紙を選んだ)を取り出す。竜崎は心なしか目を輝かせ、腕を伸ばして包みを受け取った。

「ありがとうございます。私もナナさんに渡すものが――」

 そう言うと、竜崎はごそごそとズボンのポケットを探った。そして中から銀色の細い鎖をつまみ出す。窓からの陽光を受けてきらきらときらめくチェーンに、ナナは顔をほころばせた。

「わあ、それ時計?」
「はい、時計兼GPSつきの緊急呼び出し装置です。このリューズを押せばワタリに連絡が行く仕組みになってます。どうぞ」
「え、わたしに?」
「はい。何か連絡する手段が欲しいと言ってましたから。私は明日からまた長い休みに入るので、何か緊急の事態が起きたらこれで連絡してください。ナナさんの家の近くは、街灯が少なくて危険ですし」

 (それだけのためにこんな凄い装置を? わたし、欲しいとまでは言ってない気がするけど…)

 当然のように言う竜崎に、ナナは戸惑いながらも礼を言って受け取る。
 細い鎖を持ってみると意外に軽く、近くで見れば本当にきれいでシンプルな時計だった。ケース部分には文字盤の間隔に、光の加減で白やピンクに変わる石が嵌められている。光り輝く様はまるで宝石のよう。
 宝石。
 宝石…?

「…ちょっと待って、これ本物の宝石じゃない?」
「違いますよ。化学的に合成された偽物です」
「本当に…?」
「本当です」

 (本当かな、本物だったら受け取れないんだけど…でも怪しんだところで、わたし偽物と本物の違いなんてわからないし……)

「…わかった、つけとくね」
「はい、いつも身につけていてください」

 するすると左手の先から手首までチェーンを下ろすと、竜崎は満足そうに頷き、そして椅子からサンダルをつっかけて立ち上がった。

「では、また一ヶ月後に」
「え、もう帰るの?」

 「はい」と竜崎は包みを摘まんで頷く。時計を渡すためだけに学校に来たようだ。ナナは当惑しながらも、もう一度礼を言い、「じゃあね」と竜崎を見送った。

「おはよ、ナナ……わ、それ時計? すごいきれい…」

 入れ違いにやって来た粧裕が、ナナの左手首に輝く時計に気づき、目を輝かせる。ナナは笑って頷いた。

「おはよ。うん、そうだよ」
「いいなあ…どこで買ったの?」

 前の空席に座りながら、粧裕は言う。その問いに、ナナはどっと冷たい汗をかく。

「ああ…これは……その……」

 買ったと嘘をつけばいい。それはわかっているのだが、どうしても言えなかった。小学校の頃のあるトラウマが、嫌悪感が、嘘をつくことを拒む。
 時計を無意味に触りながら返答に困っていると、粧裕はピンと来たようで、にっこりととてもいい笑顔を浮かべた。

「竜崎くんにもらったんでしょ?」

 ナナは自分の弱さを呪いながら、小さく頷く。と同時に、竜崎から時計をもらったことを改めて実感する。急に照れくささが込み上げてきた。なんとなく伏し目になるナナに、粧裕は笑みを深める。

「ふふ、いいなー……付き合ってるなら、言ってくれてもよかったのに。てっきりお兄ちゃんが好きなのかと」
「それは……好きは好き、なんだけど…」

 言いながら、月への気持ちを考えてみる。近づけば胸が鳴るし、触れられれば眩暈がする。でも、

「なんか、流河早樹を見てるみたいな……教師と生徒の関係を越えたいとは思わないかな」
「やっぱり憧れだったってこと?」
「うん」
「そっか。ごめんね、いろいろ付き合わせちゃって」
「ううん、わたしも確認できたから……あ、竜崎とは付き合ってないよ」

 そこは否定しておかないとと慌てて首を振れば、粧裕はわかっていたようで、やっぱりねと笑った。

「ナナってすごく奥手だもん。それに、よく喋るって言っても竜崎くんはあんまり学校にいないし。でも、身につけるものを…しかも、そんなに綺麗なのをくれるってことは、ナナに気があるんだと思うよ」
「……そうかな?」

 好意を向けられているという気はしないけれど、ただ単に物として執着されているようには感じる。他人からもらった眼鏡を没収したり、医務室に運んでくれたり、この時計をくれたり。竜崎が自分にどういう感情を持っているかなど、まったくわからない。でも、少なくとも友達だとは、思ってくれているだろう。
 上品な薄桃色に輝く、小さな宝石を見つめ、ナナは目を細めた。



20130816
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