(どうしてこんなことに…)

 ナナは車窓越しに飛んでいく景色を見ながら、ガクリと肩を落とした。どんどんどんどん学校から遠ざかって行く。
 お腹はペコペコだし、粧裕はわたしに何があったのかわかってないだろう。京子ちゃんに言付けをしてきたけれど。
 ナナは隣で前を見据えている彼を、軽く睨んだ。


 きっかけは昨日の休み時間。ロッカーから教科書を取ろうと廊下に出ていたナナに、彼が話し掛けてきたのが始まりだった。

「君が学年一位の佐藤くんか」

 いきなり問い掛けてきた、色つきの洒落た眼鏡をかけ、髪がきちっとセットされた男に、覚えのなかったナナは戸惑う。

「…うん、その枕言葉は要らないけど、そうだよ……えーと…」
「隣のクラスの樹多だ。よろしく」
「よろしくお願いします…?」

 右手を差し出してきた樹多に困惑しつつも手を握った。敬語になってしまうのは、彼の堅苦しい口調と態度によるものだ。

「で、早速本題なんだが…君は竜崎の住所を知らないか?」
「? 知らないけど…知ってどうするんですか?」
「……少し話が長くなるんだが…私は奈南川達と会社を起業するためのグループを組んでいるんだ。まあ、ちょっとした暇潰しだ。中にはヨツバを継ぐと決まっているやつもいる」

 そういえば、そんな話を前に奈南川がしていたようなと思い出す。
 ヨツバと言えば、日本のみならず、世界的にも有名な大企業だ。奈南川はヨツバアメリカ本社社長の息子だと聞いたことがある。眉目秀麗、頭脳明晰の帰国子女、血統家柄も文句なし。女子からの人気が高いのも当然だ。

 (…そういえば、竜崎も帰国子女だ)

 隈のある特徴的な目は不健康そうに見えるけれど、パンダと同じようなものだと思えば、可愛らしいとも言える(………)し、よく見れば外国の血が混じっているのか彫の深い顔立ちをしていて、頭脳明晰なのは言うまでもない…おまけに高級車で送迎されている。

「……あれ、結構女子受けする要素がある…」
「何だ?」
「…あ、いえ、何でも」
「そうか? …私は竜崎をグループに入れられないかと目をつけた。ただ、校則を破っても何も注意されないなど、色々と気になることがあるだろう? だから勧誘する前に彼の情報を見てみたんだ」
「…ハッキングですか?」
「そうだ」
「…………」

 生徒二人に破られるこの学校のセキュリティは一体……。

「しかし、何もなかったんだ…名簿には竜崎という名前すらなかった、おかしいだろう?」
「はい…」
「純粋に興味を持った私は、彼に勉強を教わったという君に、こうして情報を聞いているというわけだ」
「…でもわたし、何も知りませんよ」
「本当に? 電話番号も何も?」
「はい…」

 がっかりしたようにため息をついた樹多は、口に手を当てて何やら考えた後、思いついたようにナナを見つめた。

「…佐藤くん、少し協力してくれるか?」

 嫌な予感がしつつも、恐る恐る聞いてみる。

「何に…?」
「竜崎を尾行することに」
「尾行…!?」

 目を丸くするナナをよそに、彼はペラペラとまくし立てた。

「君がいてくれれば、バレたとしても安心できる。そうだな…午前の授業が終わった頃に彼が早退したら、一緒に尾けていこう。大丈夫、タクシーは用意しておく。エラルド=コイルにでも頼みたいところだが、生憎金がないからな。では、そういう事で」
「待っ…!」

 言いたいことを言って、予鈴とともに樹多は去っていく。そのきびきびした後ろ姿を呆然と見つめながら、ナナはあんまりだ、と思った。何故自分を巻き込むのか。そんなに知りたかったら、直接本人から聞きだせばいいのに…!



 そして今日、タイミング良く(悪く?)竜崎は昼休みに帰ろうとし、ナナはあっという間にタクシーの中へ引きずり込まれてしまったというわけだった。「前の車を追ってくれ!」とドラマさながらに叫ぶ樹多に、運転手も乗り気なようで、制服姿の二人に気を留めず必死にハンドルを回している。

「…もう戻ろ? お腹すいたし、授業に間に合わなくなる…」

 ダメ元で言ってみれば、樹多はやはりじっと前を見据えたまま首を振るだけだった。

「ここまで来たんだ、引き返すわけにはいけない」

 やっぱり、とナナはため息をついて、再び窓の外を見る。視界の端に伊達眼鏡のフレームが映っていて、何だか変な感じだ。これは樹多が一応の変装だと言って、ナナのためにわざわざ作ってきた物。必要ないと返そうとしたが、無理矢理掛けさせられたのだ。最初は嫌がっていたナナも、 「よく似合っている」と言われて悪い気はせず、大人しく眼鏡を掛けている。自分でも単純だと思う。

 (って、この景色見覚えがあるような……)

「…すいません、気付かれたみたいです。さっきから同じところをぐるぐる廻ってます」

 ナナの感じた違和感は間違いではなかったらしい。運転手が振り向いて言った言葉に、樹多は少し焦る。

「何…!」
「あ、車寄せましたね…こっちも寄せますか?」
「…ああ、頼む」

 チカチカとウィンカーを出して停車すると、見覚えのある帽子を被った運転手が、前の車から降りてきた。やはり気付かれていたようだ。
 樹多はすぐさま財布から一万円札を取り出し、ドライバーに握らせる。その慌てぶりを不思議に思っていると、彼は「すまない佐藤くん…!」とタクシーから降り逃げ出してしまった。

「え、ええー…」

 バレても安心ってこういうことだったのか。怒りを通り越して呆れる。
 取り残されたナナはどうすることもできず、ワタリが来てもお久しぶりですとぎこちなく挨拶しかなかった。



 ワタリは車の中からナナたちの姿を認めていたようで、驚きもせず挨拶を返し、二言三言質問した。それだけで事情は分かったらしくナナは 咎められなかったが、逆に罪悪感を感じてしまう。しかも学校まで乗せてくれると言うのだ。もちろん断ったが、財布も何も持ってきてないことを見抜かれてしまい、結局リムジンに乗り込むしかなかった。
 開けられたドアから中に入ると、いつもの座り方で缶入りのチョコレートを食べている竜崎と目が合う。彼もわかっていたのか、ナナを見て驚きはしなかった。

「…さっきぶりですね」
「そうだね…」

 なんだか少し気まずい。
 ドアが閉められ、車が発進する。巻き込まれただけだったが、竜崎をつけていたことに変わりはない。後ろめたさを感じて何も話せなくなってしまう。最も、ナナの気持ちの問題で、二人とも気にしている様ではなかったけれど。

「……ナナさん」

 窓の外を見ながら 一人落ち込んでいると、ふと後ろから声をかけられた。振り向くと、竜崎は指をくわえて、何も言わず自分の顔を眺めている。

「ど、どうかした?」
「…眼鏡、似合いますね」
「え…?」

 一瞬何を言われたかわからなかったが、やがて理解して驚いた。あの、外見にいかにも頓着なさそうな竜崎が、自分の眼鏡姿を褒めている!

「あ、ありがと…」
「それは自前ですか?」
「ううん、さっき樹多くんにもらった…」

 そう言うと、彼の目がほんの少し細くなる。

「……じゃあ、駄目です」
「え?」

 何がダメなの、と聞く前に白い指が鼻の辺りに伸びてきて、思わず目を瞑る。するりと眼鏡が外される感覚に目を開けてみれば、竜崎は眼鏡の弦を摘んでいた。

「竜崎…?」
「これは私が貰っときます」

 そう言うと、眼鏡を折り畳み、ズボンのポケットにしまいこんでしまった。そして何もなかったかのようにチョコレートを食べ始める。

 (…何だったんだろう)

 と、 不思議に思いながら竜崎を見る。長い指に摘ままれた甘い塊は、随分凝った作りをしていた。「どうぞ」と渡されたそれを、お腹が減っていたため断ることなく 口に含む。瞬間口内に広がった、上質なカカオの香りに驚いた。市販のチョコとは違う、しっかりした濃厚な味……ゴディバだ! チョコレートブランドといえばゴディバしか知らないので違うかもしれないけれど、高級チョコレートだというのはナナにもわかる。

 (いいなあ、日常的にこういうのが食べられて…)

 きらきらと羨まし気に自分を見つめるナナの胸中など知らず、竜崎は口を動かしながら「彼とは面識があったんですか?」と聞いた。

「…ううん、昨日初めて声かけられた……お金があったらエラルド=コイルに依頼しようとまで考えてたよ、樹多くんは」
「…コイルを知っているんですか?」
「うん、樹多くんから教わるまでは知らなかったけど。世界的な名探偵なんて、漫画の中の話みたいで信じられないよね」

 苦笑いを浮かべながら同意を求めるように隣を見る。が、同意は得られなかった。

「…そうですかね、いてもおかしくはないと思いますよ。この世には、コイルを含め三人の世界的探偵がいると言う人もいますし」

 (あれ、信じてるんだ……)

 少しムッとしているのが面白い。信じてないふりをして、もう少し反応を見てみよう。そう思い、わざとらしく聞こえないよう注意しながら答えた。

「ええー、何それ。そんなすごい人が三人もいたら、今頃未解決事件は無くなってるんじゃない?」
「…コイルは法外な額の依頼金をふっかけると聞きますし、もう一人は自分が興味のある事件しか受けないらしいです」
「はは、ホームズみたい。余計信じられないなー」
「……わざとらしいですよ、ナナさん」

 胡乱な目にギクリと体を強張らせた。

「…はは、わかった?」
「バレバレです」

 (でも、竜崎だってムキになってたような)

 それを言っても言いくるめられるのは目に見えているので、もう一つ、別に思ったことを口にする。

「…でもやけに詳しいね、ネットで調べてもコイルの情報すらほとんど出てこなかったのに」

 おかしなことは言ってないはずなのに、竜崎のチョコを摘まむ手がピタリと止まった。そのまま何も言おうとしない彼を不思議に思い、呼びかけようとする。が、声を出す前に動き出した。

「……私の父は警察関係者なんです」
「ふっ…」

 竜崎が言い終わるや否や、前から吹き出すような声が聞こえてくる。何だろうと耳を傾けた途端、すぐに咳へと変わった。なんだか少しわざとらしいような。

「?」
「…………」
「ゲホッゲホッ…失礼、喉の調子が悪いもので…」
「…大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫です…ご心配なく」

 ミラー越しに写る、誤魔化すような笑みに怪しく思いながらも、ナナは微笑み返し、また隣へ目を戻す。竜崎は不機嫌そうに目を細めて、運転席を睨んでいた。

「…どうかしたの?」

 そう問いかけてみれば、彼は無表情に戻り、此方を向いて首を振る。

「何でもありません、気にしないでください」

 (そう言われても…)

 一応頷いてはみたものの、ワタリの笑いといい、竜崎の不機嫌な表情といい、気になるものは気になる。
 本当に彼の父が警察関係者だとしたら、相当高い位にいるのだろう。竜崎が忙しいのは、もうすでに捜査を手伝っているから……彼の頭の良さを考えれば不思議ではない。それと、前に西風庵で言っていた『ゲーム』。これが事件のことだとすれば辻褄が合う……が、

 (何か、怪しい……わたしまでコイルに頼みたくなってきた…)


2012/09/05
- ナノ -