彼女はいつも、黒いフリルのついた服を着ている。それから金色に染まった髪を二つに束ねて、ピョンピョン髪を踊らせるように、内股気味に軽やかに歩く。
 とても楽しそうに。幸福しか味わったことがないみたいに。





 彼女――弥海砂が、ナナの隣に越してきたのは4月の初め。女性専用アパートだからか、今時珍しく、海砂は八つ橋を手に挨拶しに来てくれた。
 ナナは一瞬彼女の格好に戸惑ったが、少し話すうちに、『とてもかわいい感じの良い子』へ印象が変わっていった。同い年とわかって、嬉しくもなった。海砂には、仲良くなりたいと思わせる、カリスマめいたものがあった。
 それからナナは、海砂がゴミ捨てに行く時間を計らい、偶然を装って挨拶した。寝起きなのか髪はおろしたまま、寝ぼけ眼で挨拶を返してくれた彼女は、やっぱりかわいかった。それが二週間も続くと、一緒に部屋に戻りに行くようになった。海砂とのちょっとした会話が、ナナの一番の楽しみになった。
 一ヶ月も経つと、彼女が暇なときに遊びに来てくれるようになった。最初にピンポンを鳴らされたときは、心底驚いた。ナナは丁寧に掃除した部屋で、海砂と色々な話をした。学校のこと、アルバイトのこと、そして――巷を騒がすキラのこと。
 意外なことに、海砂はキラ信者だった。いや、信者というよりは、キラに恋い焦がれているかのようだった。『ミサ、キラに会ってみたい』と彼女が呟いた瞬間、瞳が赤く光ったような気がした。

 海砂は、自分のことをあまり話さない。ただ、ゴスパン系が好きで黒猫を飼っていること以外、ナナは何も――彼女の職業さえ知らなかった。

「ね、ナナの隣に来た人って、ミサって言うんだっけ?」

 食堂で昼ごはんを食べている最中、向かいに座る友達が唐突に言った。ナナはチャーハンを冷ましながら、そうだよと頷く。海砂が来た当初は、すごくかわいい子が来たと皆に言いふらしていた。

「もしかして、名字は弥…?」

 うん、とまた頷くと、彼女は何故かぎょっと目を丸くした。

「その子、ミサミサだよっ!」

「…ミサミサ?」

「エイティーンのモデル!! もう疎いんだからナナは…」

 お昼を食べたあと、ナナは大学の生協へ連れて行かれた。そして、エイティーン5月号を渡される。半信半疑に捲ってみると、そこには、ドレスのような服を着て、廃墟に佇む彼女がいた。
 ナナは雑誌を買ってすぐさま家に帰り、パソコンの電源を入れた。起動するまでの時間がこんなに長く感じたのは初めてだった。逸る気持ちでネットを開き、『ミサミサ』で検索してみる。トップにはヨシダプロダクションのプロフィールや、海砂の画像がわんさか出てきた。これほど有名な人だったのだ。
 上から目を通すにつれて、ナナは優越感に浸っていった。彼女の隣に住んでいること、この部屋で彼女と話したことが、とても誇らしく思えた。
 しかし、ページの真ん中にあった『弥ミサ専用スレ』を開いたとき、その優越感はたちまち消え失せてしまった。



 その日は、朝から雨が降っていた。
 しとしとと密やかな雨音を背に、ナナは綺麗にテーブルを拭く。
 今日は海砂が訪ねてくる予感があった。そして、その勘は当たった。

「お邪魔しまーすっ」

 インターホンを鳴らして入ってきた海砂は、いつも通り元気な声で挨拶する。そして、いつも通り厚底の黒いブーツを脱いで、ドクロ柄のミニスカートを揺らす。

「いやー、最近雨降りすぎ! 髪の毛セットするの大変よもう」

「あはは、わたしも毎日格闘してる」

 テーブルの座布団にペタンと座った海砂へ、ナナはアイスティーを持っていく。前はジュースを出していたけれど、モデルとわかった手前、糖分は控えてあげた方がいい。

「あ、ごめんね、いつもありがとう」

 コップを受け取り彼女は微笑む。
 ――お礼を言うのはこっちの方だよ。わたしは海砂が来てくれるだけで嬉しいの。
 そんな言葉が出かかったが、ナナは笑って首を振るにとどめた。

 生暖かい湿気が、しっとりと肌を包む。部屋には、柔らかな雨の匂いが漂っていた。
 やっぱりナナの部屋落ち着くー、と海砂が伸びをすると同時に、甘い匂いが香る。天真爛漫な彼女に合う、魅惑的な香り。

「…海砂の部屋は落ち着かないの?」

「んー…あっちは落ち着きより、ミサの好きなもので囲んじゃったからね。すっごく幸せになれるけど、落ち着き悪いかも」

「そうなんだ……ね、海砂ってさ…」

「うん?」

「モデルさん、だったんだね」

 そう言った途端、海砂はほんの少し目を丸くして、それから悪戯がバレた子供のように笑った。

「…あはっ、バレた? ミサのこと知らないみたいだったから、特に何も言わなかったの。大学の子に教わったの?」

「うん……それで、ネットで検索して、色々見ちゃったんだけど…」

「ん?」

 こんなこと、言わない方がいい。人の心に土足で踏み込むようなものだ。
 一瞬そう思ったが、次の瞬間、ナナは口に出していた。
 黒、白、赤――そして金。彼女を彩るすべてのものを取り去った、そのままの姿が見たかった。

「……海砂の両親が、殺人事件に遭ったっていう話…本当、なの…?」

 どんな反応が返ってきても、受け止める覚悟はしていた。
 しかし、彼女は怒りもせず悲しみもせず、ただ口を結んで頷いただけだった。

「ん、そう…すごいね、そんなことまでわかっちゃうんだー。あ、某巨大掲示板ってやつ?」

 ミサ、ネットあんまやらないから見たことないなー、と話す彼女の声に、感情を誤魔化す色はない。ナナは呆気に取られていたが、海砂の本心が気になり、そっと尋ねた。

「…その…こんなこと言うのもあれだけど……悲しみとかは、もうないの…?」

「…殺されたって知ったときは、すごく悲しかったよ。正直、今も悲しい……でも、くよくよしてたってしょうがないじゃん? 前向きにならないと…ほら、キラはその強盗を裁いてくれたし!」

 今のミサには、二人のナイトがいるしね!
 海砂はそう言って元気に笑う。その笑顔が、ナナにはとても眩しく見えた。
 彼女は強い。自分と比べ物にならないくらいに。自分より小さな身体に、誰よりも大きなエネルギーを持っている。
 だから、こうして惹かれるのだろう。容姿や脚の美しさ、彼女を飾る装飾品以前に、内面が輝いているから。

 その日はいつもよりずっと打ち解けて、二時間近くお喋りした。芸能界にいる彼女の裏話は、とても面白かった。その日の夜、ナナは彼女と話せることを楽しみに、眠りに就いた。
 ――しかし、その楽しみが訪れることはなかった。
 代わりに訪れたのは、かごに入った黒猫だった。玄関先に置かれていたその猫は、白い首輪をしていて、ほんの少し目付きが悪かった。ナナは、その猫を飼うことにした。
 猫の名前は、前の飼い主が付けていたものにした。猫を呼ぶたび、猫を撫でるたび、猫が部屋の中で気ままに過ごしているのを目にするたび、ナナは軽やかな足取りで歩く、天真爛漫な彼女のことを思い出した。

20140307
恋煩い様提出
※海砂はこの時、罪のない人間を殺してます

back

- ナノ -