「魅上さん」より「照さん」と呼びたくて、何度目かの会食の後、ナナは魅上に告白した。もう見知った通りとなっている、人の少ない道を歩きながら、自然と口にしていた。白い息とともに、その言葉は魅上の前に落ちる。
 魅上は、戸惑ったようだった。沈黙が落ち、それから彼は言った。

「……私は、キラに見初められ、キラのそばにつくためにジムに通い、キラを議論するテレビにも出ています。恋愛などに時間を割く余裕はありません」

 今だけでなく、今までもそうだったのだろう。ずっと彼が正義について考えてきたことは、彼の言葉の端々から伝わってくる。恋愛など自分にいらないものと考え、切り捨ててきたのだろう。
 ただ、彼は『恋愛に時間を割く余裕がない』と言った。それはナナの好意を受け止めたうえでの台詞だ。その上で、付き合えないと言っている。これでは期待してしまう。

「……魅上さんは、私のことをどう思いますか?」

 今度の沈黙は長かった。彼が自分の気持ちと向き合うのを、ナナは急かさずに見守った。やがて、魅上は答えた。

「ナナさんは……自分にはない考えを持っていて、話していても楽しいと感じます」

「好きか嫌いかで言うと……どちらですか?」

 心臓がばくばくと音を立てている。魅上は少し考え、言った。

「……嫌いではないと、感じます」

 ナナは立ち止まった。魅上もつられて立ち止まる。やはり、期待してしまっていいのだと、彼の回答ではっきりとわかった。
 近づいて、自分よりも大きな身体にそっと抱きつく。鍛えている、がっしりとした男の人の身体。キラのために鍛えている身体。キラに嫉妬してしまいそうな自分がいる。

「な、なにを……」

 魅上はやはり困惑していた。しかし、引きはがそうとする力はなく、ただ自分の肩に手を置くだけだった。

「……魅上さんの、邪魔はしません。会いたくないときは会わなくて大丈夫です。それでも、私と付き合えませんか……?」

 お互い好き合っているのに、付き合えないなんて考えられなかった。しばらく魅上のぬくもりを感じていると、彼は、ゆっくりと自分の背中に手を回してきた。どのくらい力を入れたら良いのかわからないのだろう。とても弱い力で、抱きしめられる。耳元に、諦めたような声が聞こえた。

「……わかりました。ナナさんがよければ、付き合いましょう」

 それから彼は言った。

「私は、今まで誰とも恋愛をしたことがありません。女性の心の機微も、わかりません。それでもいいですか……?」

「もちろん。それがいいんです。それが、魅上さんだから」

 魅上さんだったら、何でも受け入れられる。自分の好きになった人だから。
 そう言って、顔を上げる。間近に彼の整った顔がある。その薄い唇に、軽く自分の唇を合わせた。きっと、唇を離せば、彼の驚いた顔が見えるだろう。けれど、今はもう少し、彼の唇を堪能したかった。

*

「ただいま」と聞き慣れた声が耳に入り、キッチンにいたナナは包丁を持つ手を止めた。期待とともに、ぱたぱたと玄関へ向かう。そこにはやはり、照がいた。花束を抱えている。頬が緩んでしまうのを感じながら、「おかえりなさい」と優しく迎えた。

「今日は、キラ王国の収録じゃなかったの?」

「ああ。今日は君の誕生日だから、収録には出ずすぐに帰ってきた」

 これを、と花束を渡される。ナナの好きな花々で彩られた、かわいらしい花束。「ありがとう」と目を細める。
 照は時々、こうしてキラよりも妻である自分を優先してくれることがある。その頻度は少しずつ増えてきていると感じる。

「今日の夕飯は?」

 靴を脱ぎながら照が尋ねる。照の好きな料理だというと、彼は微笑んだ。テレビでは見せない、穏やかな笑み。

「ケーキも買ってきたんだ。二人で食べよう」

「……ねえ、照」

 渡されたケーキを持ちながら、結婚してからずっと思っていたことを話す。

「私、照と結婚して、よかった」

「なんだ、いきなり」

 ネクタイを緩めながら笑う照の目は、あたたかい。

「こんなに優しくて、真面目で、私を想ってくれる旦那さん、私にはもったいないくらい」

 ちょっと潔癖なところはあるけど、と笑う。結婚当初は照の徹底した掃除に呆気にとられたものだ。
「それはこっちの台詞だ」と照は応えながら、先にリビングへ歩き出した。少し照れているみたいだ。ゆっくりと彼の背中を追う。
 きっと、独身でなくなった彼を、キラが見初めることはない。だからこそ、結婚という決断に至った照を愛おしく思う。
 ナナはプロポーズされたときから、ずっと頭の隅に置いている思いがある。それは、自分を優先してくれた照を、一生をかけて支えたいという、強い思いだった。


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