お母さんへ
お元気ですか? 私はまあまあ元気です。
アメリカに来て一ヶ月。知り合いはできましたが、文化の違いに戸惑うことがあり、なかなか馴染むことができません。
続きを書こうとしたところ、部屋のブザーが鳴り、ナナは手を止めた。知り合いはできたが、まだ自分の住所を教えていない。誰だろうと訝しく思った瞬間、その答えがドアの外から返ってきた。
「宅急便でーす」
「……はーい」
ほっとしながら立ち上がり、まだところどころに置かれた段ボールを避けてドアを開ける。目の前に立つその人に、ナナは呆気にとられた。
宅配業者の制服を着た、金髪ボブのその人は、板チョコを咥えていた。
「サインください」
ナナの様子を気にも留めず、その人は板チョコを片手に持ち直し、荷物を掲げて無愛想に言う。彼の顔の半分に、大きな傷跡があった。何の傷かはわからないが、彼の三白眼との相乗効果で、急にその人が怖くなってしまった。慌てて目線を下げ、持っていたペンでサインする。
「あざーっしたー」
荷物を受け取ると、その人は気だるげにトラックに乗り込み、去って行った。ナナはドアを閉め、動機を落ち着かせる。今の人は何だったのだろう。再び机に向かい、早速ペンを走らせた。
驚いたのが、板チョコを咥えている宅急便の人がいたことです。こっちでは板チョコを咥えて仕事する人が多いのでしょうか。
そしてその人の顔に大きな傷跡がありました。タトゥーを入れている人は町で見かけるけれど、あんな傷跡は初めて見ました。目つきも悪く、とても怖いです。
あの人が私の担当区域だったら、今後も会うことになります。どうしよう。こっちでやっていけるか、ただでさえ不安なのにもっと不安になってしました。
でも夢のために、その人と向き合おうと思います。身体に気をつけて。
ナナより
*
メロはその日、幼なじみであるマットとともにニューヨークを歩いていた。最近発売されたマットの欲しいゲームがマイナーなものだったため、わざわざ都会へ出たのだった。マットはいつも外出を嫌うが、なんでもそのゲームはインターネットで購入できないのだという。普段なら一人で行けと断るのだが、メロはメロで、ニューヨークの馴染みの店で板チョコを仕入れたかったので、彼に付いてきた。今日は二人とも仕事はなかった。
「そのゲーム屋ってのはどこにあるんだ?」
「あの角を曲がったところかな」
マットが「あの角」を指さす。昼間だというのに薄暗く、嫌な予感しかしない。
「あの角を曲がらなくても、そっち曲がれば行けるんじゃないか?」
「そっち」を指させば、マットは笑った。
「あの角を曲がったほうが近いんだ、ネットで見た。それとも、メロ、お前怖いのか?」
猛烈な苛立ちを感じたが、挑発には乗らなかった。無言で「あの角」を曲がる。
「お」
「ん?」
狭い通路で、見覚えのある顔の女が男となにやら揉めていた。
「返してください、私の命の次に大事なものなんです!」
「てめェ、まだ諦めねェのか」
体格の良い男が呆れたように、自分の足にしがみつく女に言う。男の手には、小ぶりのケースが握られていた。
「返してもらうまで、私は諦めません!!」
女の真っ直ぐな言葉に知らず知らず口角が上がる。普段仕事で見る、怯えた態度とは正反対だ。
「……へえ」
メロは彼らの元へ歩き出した。「おっ、助けるの?」とマットも付いてくる。
男が振り向いた瞬間、メロは彼の顔をぶん殴った。マフィアに入っていた経験が、ここで活きた。
気絶した男の手からケースを取ると、呆然といている女に渡した。特に用もないので、そのまま去ろうとする。「え、女性の名前くらい聞こうぜ」と小声が聞こえてくるが無視する。
「あ、あの!」
陽光を浴びる手前で、女が声を出した。立ち止まる。
「ありがとうございます、あなたはいつも配達してくださってる方、ですよね……?」
振り返って「そうだ」と頷く。女は助けられたからか、それとも逆光で自分の顔が見えないからか、怯えてなどいなかった。ただ純粋な、親しみの目を向けられる。
「私、お礼がしたいです。今、お時間ありますか?」
女は、鈴木ナナと名乗った。日本人だ。ここ、アメリカに留学しているらしい。
「ジュリアード音楽院に通ってるんです。ヴァイオリニストになるために」
広場へ向かう道中、彼女はケースを掲げた。中に入っているのはヴァイオリンらしい。メロもその音楽院を知っていた。ニューヨークにある、有数の音楽院だ。
リンカーン・センターに到着する。広い芝生の中で、人々が思い思いにのんびりと休日を過ごしている。メロとマットが空いているスペースに腰を下ろすと、ナナはケースを開き、丁寧にヴァイオリンを取り出した。弦を震わせ、音を確かめると、立ち上がった。
「これがお礼になるかはわからないんですが、私にはこれしかないので」
ナナは恥ずかしそうに笑い、それから首元にヴァイオリンを固定した。途端に彼女の表情が真剣なものとなる。隣にいるマットが、息を詰めたのがわかった。
音楽に疎いメロには、演奏している曲が何かはわからないが、彼女の出す音がとても心地良く、思わず聴き入ってしまった。一音一音が優雅で、繊細で、心に響いた。ずっと彼女の音を聴いていたいと思わせる、何かがあった。
拍手の音で、メロははっとする。いつの間にか彼女の周りにギャラリーが集まり、一斉に拍手をしていた。隣にいるマットはどこか夢見心地で、ぼんやりと拍手していた。きっと、自分もそう見えていることだろう。
照れたようにお辞儀する彼女は、こうした拍手にまだ慣れていないようだった。この先、ナナは多くの拍手を浴びるだろうという確信があった。人々が去って行くのを待ち、メロは立ち上がった。
「ありがとう、俺は音楽には詳しくないが、ナナの演奏はとてもよかった」
「俺、感動しちゃったよ」
ナナは褒め慣れてもいないのか、はにかみ、そして「ありがとう」と嬉しそうに笑った。
無垢な笑みをあまり向けられたことがないメロは、反応に困り、マットを見る。マットはこちらに気づかず、「本当に良かったよ」と興奮していた。
これから授業だという彼女と別れ、マットと本来の目的であるゲーム屋を目指す。
「いやー、本当、ナナの演奏良かったなあ」
「……そうだな」
「おまけにかわいいし……連絡先交換しとけば良かった。メロは、配達先だから彼女の家も知ってるし、また会えるんだろ?」
「ナナ宛の荷物があればな」
「いいなー、俺も配達員やろうかなー」と暢気に言うマットの横で、メロは彼女の笑顔を思い返していた。
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お元気ですか? 私はまあまあ元気です。
アメリカに来て一ヶ月。知り合いはできましたが、文化の違いに戸惑うことがあり、なかなか馴染むことができません。
続きを書こうとしたところ、部屋のブザーが鳴り、ナナは手を止めた。知り合いはできたが、まだ自分の住所を教えていない。誰だろうと訝しく思った瞬間、その答えがドアの外から返ってきた。
「宅急便でーす」
「……はーい」
ほっとしながら立ち上がり、まだところどころに置かれた段ボールを避けてドアを開ける。目の前に立つその人に、ナナは呆気にとられた。
宅配業者の制服を着た、金髪ボブのその人は、板チョコを咥えていた。
「サインください」
ナナの様子を気にも留めず、その人は板チョコを片手に持ち直し、荷物を掲げて無愛想に言う。彼の顔の半分に、大きな傷跡があった。何の傷かはわからないが、彼の三白眼との相乗効果で、急にその人が怖くなってしまった。慌てて目線を下げ、持っていたペンでサインする。
「あざーっしたー」
荷物を受け取ると、その人は気だるげにトラックに乗り込み、去って行った。ナナはドアを閉め、動機を落ち着かせる。今の人は何だったのだろう。再び机に向かい、早速ペンを走らせた。
驚いたのが、板チョコを咥えている宅急便の人がいたことです。こっちでは板チョコを咥えて仕事する人が多いのでしょうか。
そしてその人の顔に大きな傷跡がありました。タトゥーを入れている人は町で見かけるけれど、あんな傷跡は初めて見ました。目つきも悪く、とても怖いです。
あの人が私の担当区域だったら、今後も会うことになります。どうしよう。こっちでやっていけるか、ただでさえ不安なのにもっと不安になってしました。
でも夢のために、その人と向き合おうと思います。身体に気をつけて。
ナナより
*
メロはその日、幼なじみであるマットとともにニューヨークを歩いていた。最近発売されたマットの欲しいゲームがマイナーなものだったため、わざわざ都会へ出たのだった。マットはいつも外出を嫌うが、なんでもそのゲームはインターネットで購入できないのだという。普段なら一人で行けと断るのだが、メロはメロで、ニューヨークの馴染みの店で板チョコを仕入れたかったので、彼に付いてきた。今日は二人とも仕事はなかった。
「そのゲーム屋ってのはどこにあるんだ?」
「あの角を曲がったところかな」
マットが「あの角」を指さす。昼間だというのに薄暗く、嫌な予感しかしない。
「あの角を曲がらなくても、そっち曲がれば行けるんじゃないか?」
「そっち」を指させば、マットは笑った。
「あの角を曲がったほうが近いんだ、ネットで見た。それとも、メロ、お前怖いのか?」
猛烈な苛立ちを感じたが、挑発には乗らなかった。無言で「あの角」を曲がる。
「お」
「ん?」
狭い通路で、見覚えのある顔の女が男となにやら揉めていた。
「返してください、私の命の次に大事なものなんです!」
「てめェ、まだ諦めねェのか」
体格の良い男が呆れたように、自分の足にしがみつく女に言う。男の手には、小ぶりのケースが握られていた。
「返してもらうまで、私は諦めません!!」
女の真っ直ぐな言葉に知らず知らず口角が上がる。普段仕事で見る、怯えた態度とは正反対だ。
「……へえ」
メロは彼らの元へ歩き出した。「おっ、助けるの?」とマットも付いてくる。
男が振り向いた瞬間、メロは彼の顔をぶん殴った。マフィアに入っていた経験が、ここで活きた。
気絶した男の手からケースを取ると、呆然といている女に渡した。特に用もないので、そのまま去ろうとする。「え、女性の名前くらい聞こうぜ」と小声が聞こえてくるが無視する。
「あ、あの!」
陽光を浴びる手前で、女が声を出した。立ち止まる。
「ありがとうございます、あなたはいつも配達してくださってる方、ですよね……?」
振り返って「そうだ」と頷く。女は助けられたからか、それとも逆光で自分の顔が見えないからか、怯えてなどいなかった。ただ純粋な、親しみの目を向けられる。
「私、お礼がしたいです。今、お時間ありますか?」
女は、鈴木ナナと名乗った。日本人だ。ここ、アメリカに留学しているらしい。
「ジュリアード音楽院に通ってるんです。ヴァイオリニストになるために」
広場へ向かう道中、彼女はケースを掲げた。中に入っているのはヴァイオリンらしい。メロもその音楽院を知っていた。ニューヨークにある、有数の音楽院だ。
リンカーン・センターに到着する。広い芝生の中で、人々が思い思いにのんびりと休日を過ごしている。メロとマットが空いているスペースに腰を下ろすと、ナナはケースを開き、丁寧にヴァイオリンを取り出した。弦を震わせ、音を確かめると、立ち上がった。
「これがお礼になるかはわからないんですが、私にはこれしかないので」
ナナは恥ずかしそうに笑い、それから首元にヴァイオリンを固定した。途端に彼女の表情が真剣なものとなる。隣にいるマットが、息を詰めたのがわかった。
音楽に疎いメロには、演奏している曲が何かはわからないが、彼女の出す音がとても心地良く、思わず聴き入ってしまった。一音一音が優雅で、繊細で、心に響いた。ずっと彼女の音を聴いていたいと思わせる、何かがあった。
拍手の音で、メロははっとする。いつの間にか彼女の周りにギャラリーが集まり、一斉に拍手をしていた。隣にいるマットはどこか夢見心地で、ぼんやりと拍手していた。きっと、自分もそう見えていることだろう。
照れたようにお辞儀する彼女は、こうした拍手にまだ慣れていないようだった。この先、ナナは多くの拍手を浴びるだろうという確信があった。人々が去って行くのを待ち、メロは立ち上がった。
「ありがとう、俺は音楽には詳しくないが、ナナの演奏はとてもよかった」
「俺、感動しちゃったよ」
ナナは褒め慣れてもいないのか、はにかみ、そして「ありがとう」と嬉しそうに笑った。
無垢な笑みをあまり向けられたことがないメロは、反応に困り、マットを見る。マットはこちらに気づかず、「本当に良かったよ」と興奮していた。
これから授業だという彼女と別れ、マットと本来の目的であるゲーム屋を目指す。
「いやー、本当、ナナの演奏良かったなあ」
「……そうだな」
「おまけにかわいいし……連絡先交換しとけば良かった。メロは、配達先だから彼女の家も知ってるし、また会えるんだろ?」
「ナナ宛の荷物があればな」
「いいなー、俺も配達員やろうかなー」と暢気に言うマットの横で、メロは彼女の笑顔を思い返していた。
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