カタ、とティーカップの置かれる音が、深夜の静かな室内に響いた。
 肘掛け椅子の上に腰掛け、テーブル上のモニターを見つめていた竜崎は、傍に立つナナへ視線を向ける。ナナは紅茶と同じく、トレイからポットとシュガーポットを移していた。

「ありがとうございます。まだお休みになってなかったんですね」

「はい……少し、目が冴えてしまって……」

 ティースプーンをソーサーの上に置き、トレイを後ろ手に持ったナナは、かすかに笑みを浮かべて答える。そうですか、と竜崎は相づちを打ち、再び画面へ目を戻した。
 四つに分かれた画面にはそれぞれ、第二のキラ容疑で確保された弥海砂、自分がキラかもしれないと、自ら進んで拘束を受けた夜神月、そして息子の容疑が晴れるまで牢に入ることを決めた夜神総一郎の、憔悴した姿が映し出されている。

「もう、47日になりますね」

 斜め後ろから、ぽつりとナナが呟いた。はい、と竜崎もまた、シュガーポットの蓋を開けながら静かに頷く。
 角砂糖が紅茶に落とされる音、そしてティースプーンと陶器のぶつかる音が、しんとした部屋に響いた。画面中の者たちは、眠っているのか、あるいは憔悴しきっているのか微動だにせず、物音一つしない。
 竜崎が六回目にスプーンを回したとき、ナナは独り言のように話し出した。

「キラの裁きが始まってから32日……このままだと相沢さんや松田さんが、夜神月を出すべきだと言い始めるでしょうね……」

 少し険のある言葉に、竜崎はスプーンを止め、ナナを見上げる。

「鈴木さんは、出すべきではないと?」

「はい……二人を拘束してわかったことと言えば、弥の夜神月に対する異常な愛くらいで、キラに関する情報は何も得られていません。あれだけ夜神月が自ら拘束してほしいと言ったことにも違和感があります……家宅捜索で見つかった、彼の推理が書かれたメモも、私にはただのポーズにしか見えないんです」

「…………………」

「私は、竜崎の言う通り、夜神月がキラだと考えてます」

 彼女の目が、身動きしていない夜神月をじっと見据える。ナナの言うことは主観だ。推測ではなく勘に等しい。しかし、捜査には時に直感も必要であることを知る竜崎にとって、それは問題ではなかった。問題は――

「私は、竜崎を信じています」

 夜神月から目を離し、彼女はこちらを見つめる。
 ――この視線だ。
 この、自分への信頼と憧憬、そして少しの恍惚が入り混じった眼差し。異性に向ける恋慕とは違う。彼女の瞳から感じるのは、ある種の崇拝に似た感情だった。
 画面へと目をそらす。もう一度スプーンを回しながら、竜崎は口を開いた。

「……鈴木さん」

「はい」

 視界の端で、ナナが緊張気味に身じろぎする。

「あなたの目には、私はどんな風に映ってますか?」

 えっ?、とナナは戸惑ったような声をあげた。竜崎は何も言わずに画面を見据える。スプーンを止め、ずず、と紅茶を啜ったところで、彼女はゆっくりと答えた。

「……竜崎は、世界の難事件の数々を解決してきた、とても尊敬できる方です。私がこうしてあなたと一緒に捜査しているなんて、夢のようで……竜崎は、Lは、私にとって神にも近い方で……浮かれちゃいけないってわかってます。でも竜崎を見るたび、個人的な感情が溢れてしまって」

 こんな調子じゃいけないですね、とナナは自嘲気味に笑った。竜崎は無言で紅茶をすする。何とも言えない沈黙が部屋に広がった。しばらくして、ナナがそれを破った。

「……私は、竜崎の命令なら、何でもするつもりです」

 こちらの反応を窺うような声音で、彼女は言った。

「………………」

「『女』を使うことも、死ぬ危険があろうとも……竜崎のために、私は――」

「鈴木さんに、そんな指示は出しませんよ」

 言葉の続きを悟った竜崎は、遮るように言った。カップをソーサーに置き、ナナを見上げる。彼女は驚いたようにこちらを見ていた。

「……鈴木さんは、少し勘違いをしています。確かに私は手段を選ばないですが、倫理に反することはさせません」

 そして、と竜崎は言葉を続ける。

「私は、鈴木さんと同じ一人の人間です。神のような存在ではありません」

 そうきっぱりと言うと、ナナは目を見開き、そして恥じ入ったように顔をうつむかせた。

「……すみません、確かに竜崎の言う通りです」

 私のしてることは、キラ信者と一緒ですね、とナナは呟くように言う。竜崎は答えず、彼女を見つめた。彼女の様子を観察していた。やがてナナは、決意したようにパッと顔を上げた。

「今後は……竜崎を、竜崎として捉えようと思います」

 力強い視線に、竜崎は頷く。

「……そうしていただくと、ありがたいです」

 竜崎はモニターへ目を戻した。四人は先ほどと変わらず微動だにしていない。

「……私、部屋に戻ります」

 後ろから、ナナが言った。わかりました、と返事を返すと、名前を呼ばれる。竜崎は画面から目を離し、再び彼女を見た。ナナは、心配そうな顔をしていた。

「竜崎も、ちゃんと寝てくださいね」

「大丈夫です。仮眠はとっているので」

「なら、いいんですが……では、おやすみなさい、竜崎」

 そう言って、彼女は微笑んだ。こちらを見つめる瞳には、先程向けられた感情はなく、純粋な好意があった。

「……おやすみなさい」

 少し面食らいながら挨拶を返すと、ナナは会釈をして去っていった。ドアの閉まる音が部屋に静かに響く。後ろ姿を見送り、竜崎はモニターを向いた。
 彼女の自分への眼差しは、悩みというほどのものではないが、心に引っかかっていたことだった。彼女の表情から見て、それは解消したように思える。共に捜査する中で、余計なことを考えたくはなかった。
 四人を見つめながら紅茶を啜る。彼女のいれた紅茶は、先程より少し冷め、ちょうどいい温度になっていた。


20180722

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