学校の授業はつまらない。粧裕はいつもそう感じていた。
 今日もまた、先生の声を聞き流し、ぼんやりと窓の外を見る。夕日で茜色に染まる中庭には、やはり誰もおらず、粧裕はため息をつく。誰かいれば、ずっとその様子を見れたのに。仕方なく教室へ目を移そうとした時、何か黒い物が粧裕の視界に入った。
 ――何だろう?
 目を向けるとそれはノートのようだった。屋上から落とされたのか、ノートはばさりと芝生の上に着地する。後で見に行ってみよう。粧裕はわくわくしながら授業が終わるのを待った。
 放課後、中庭へ行ってみるとまだノートはあった。粧裕はそれを拾い手に取ってみた。それは、真っ黒いノートで、表紙部分には『DEATH NOTE』と白い文字で書かれていた。死のノート。どういう意味だろう。お兄ちゃんに聞けば分かるかな、と思いながらぱらりとノートをめくる。そこにはずらりと英語で文章が書かれていた。思わず粧裕はうう、とノートを離す。やっぱり、お兄ちゃんに聞こう。

「ただいまー」

 ――帰ってきた!
 粧裕はソファから立ち上がり、兄である月を迎える。

「おかえりー。お兄ちゃん、ちょっと聞きたいことがあるんだけど、いい?」

「ん? ああ、いいけど……」

「ちょっと粧裕、何でもお兄ちゃんに頼っちゃだめよ」

 キッチンに立つ母に注意される。粧裕は兄と一緒にリビングを出ながら答えた。

「勉強のことじゃないもん!」

「じゃあ、何のことなんだ?」

「ちょっとね、見てもらいたくて……」

 言葉を濁しながら階段を上り、粧裕の部屋に兄を招く。学習机の上にのっている黒いノートに、月は不可解な目を向けた。

「……ノート?」

「うん、問題はこの中身なんだけど……」

 ぺらと表紙をめくって月に見せる。白い英語の文字があらわれた。

「HOW TO USE……なんだこれ、どこで買ったんだ?」

「買ったんじゃなくて拾ったの。学校で」

「……粧裕、何でもかんでも拾うのはやめたほうがいいぞ」

「だって気になったんだもんー。それよりこの英語、読める?」

 どれどれ、と月はノートにかがむ。数秒ほど経って、兄はふっと笑みを漏らした。

「え、なに笑ってるの?」

「いや、不幸の手紙から何も進歩しちゃいないなと思って……」

「なになに、何て書いてあるの?」

「これに名前を書くと、その人が死ぬみたいだよ」

ええっ、と粧裕は大きな声を上げる。名前を書くと人が死ぬ。その事の重大さに、さっと血の気が引くのを感じた。

「や、やだよー、お兄ちゃんこれいる?」

「はは、怖くなったのか? 質の悪い冗談だよ、これは」

 兄に言われ、胸をなでおろす。そうだ、そんなノートがこの世に存在するわけないのだ。しかし、物騒なことが書かれたこのノートを、普通に使うことにはためらいがあった。

「……やっぱり、お兄ちゃんにあげるよ、このノート」

「いや、僕がもらっても困るな……まあ、少し試してみたい気もするけど」

「何言ってるの! お兄ちゃんが殺人犯なんて、絶対嫌なんだから!」

「ははは、冗談だよ、冗談」

 もう、と粧裕は頬を膨らませる。兄がいらないのなら、このノートはどうしよう。捨てるしかないか、と粧裕はノートを手に取った。

「どうするんだ?」

「普通には使えないし、捨てようかな。ちょうど明日は古紙回収だって、お母さん言ってたし」

「そうか。母さんに知られたら面倒だから、ちゃんと隠して捨てないとな」

「うん!」

 夕食がとうに終わり、皆がそれぞれくつろぐ頃。粧裕は母がお風呂に入った隙を狙い、ノートを部屋から持ってきた。兄と一緒に古紙回収用の袋から、古新聞を半分まで取り出し、ノートを中に入れ、また古新聞を入れる。まとめるのはいつも袋ごとだったと思うので、おそらくこれで見つからないだろう。
 よし、と粧裕と月は立ち上がり、互いに目を合わせる。安心感から笑みが自然と浮かび、月もそれを見て微笑んだ。



 翌日。粧裕は学校が終わり、真っ直ぐ家に帰った。ドアを開けてただいまーと言えば、おかえりとリビングから母の返事が聞こえた。粧裕は手を洗ったあと、着替えるために自分の部屋に直行した。

「何これ……!?」

 部屋に入った直後、ふと机の上を見れば、そこには見慣れたノートがあった。
 ――な、なんでここにノートがあるの!?
 動転した粧裕は、兄に報告しようと月の部屋に入った。月は粧裕より早く帰っていたらしく、ちょうどブレザーを脱いでいた。

「おいおい、ノックしろって言ってるだろ」

「お、お兄ちゃん、ちょっと来て……!」

 なんだよ、と月は不審がりながらついていく。粧裕の部屋に入り机の上を指差せば、さすがの兄も冷や汗をかいたようだった。

「な、なんでここにあるんだ……?」

「どどどどうしようお兄ちゃん、このノート呪われてる……!」

「落ち着け粧裕。とりあえず母さんに聞いてみよう」

 月の言葉に促され、一緒に一階に降りてリビングに行く。母は夕飯の用意をしていた。

「母さん」

「あら、なあに、二人して」

「ちょっと聞きたいことがあるんだけど……このノート、粧裕の机の上に置いた?」

 兄が持って来たノートを見せる。母はああ、と頷いた。

「今朝新聞捨てる前に、気に入ってた記事を取っておこうと思って漁ったの。そしたらそのノートが出て来たから、もったいないと思って粧裕の机に……」

「な、何で私のだと思ったの?」

「死のノート、なんて月は作らないでしょ? 消去法で粧裕だと思ったのよ」

「ええー、偏見だよ! お兄ちゃんだってこういうの作るかもしれないのに」

 ねえ、と兄を見上げる。いや、僕は作らないと兄は真面目に答えた。

「それで、それは粧裕のだったの? 使えるものは使わなきゃダメよ」

 拾ったと言えば怒られそうな気がして、粧裕は押し黙る。そろそろ行こうか、と兄に促され、二人はリビングを出た。また粧裕の部屋に戻り話し合う。

「で、どうするんだ? そのノート」

「どうって……もう燃やすしかないと思う」

「……そうだな、それが一番いいかもしれない。庭で燃やすのはできないから、そこの廃墟に行って燃やそう」

 もうノートを手に取ることも嫌だった粧裕は、また月にノートを持ってもらった。母にちょっと出てくると言い、二人は家を出る。近くの廃墟にはやはり誰もいなかった。
 外にあるドラム缶の中にノートを入れる。月がライターをつけようとした時だった。

「燃やしちまうのか?」

 後ろから聞こえた声に、二人は振り向く。そこには、黒く大きな化け物がいた。

「きゃああああああ」

「うっ、うわあああああ」

 二人で悲鳴をあげる。粧裕はとっさに兄の背後に隠れた。

「な、なんだお前は……!」

「俺はそのノートの持ち主、死神のリュークだ」

「死神? てことはこのノートは……」

「ああ、本物だ。名前を書けば人が死ぬ」

 粧裕は後ろのドラム缶へ目を向ける。本当に人が死んでしまうノートと知り、ぞっと背筋が凍った。

「それで、ノートを燃やしちまうのか?」

「……そうだ。こんなノート、燃やした方がいい」

「なんだ、つまんねえの。少しは退屈しのぎになるかと思ったが……ちょっとどきな」

 近づいて来た死神に、月と粧裕はさっと退く。死神はドラム缶の中へ手を伸ばし、ノートを取った。

「じゃあな」

 言って、死神は背中から黒い翼を出すと、ノートを持って飛び去っていった。
 腰が抜けた粧裕は、その場に座り込む。

「な、何だったの、今の……?」

「……わからない」

二人は、死神が飛び去っていった空をしばらく見上げていた。


20171129

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