夕焼けが地面や遊具たちを赤く染め、ブランコに座る少女をも照らす。少女、ナナは赤い地面を向いたまま何度目かのため息をついた。
 最初は些細なことだった。宿題をやったか母親に聞かれ、やったと嘘をついた。そしてそれがバレ、怒られた。反省するふりでもいいからすればよかったが、ナナはそれをせず逆に怒ってしまった。宿題や勉強のことしか言わない母親に、我慢が尽きたのだ。もういい、と家を飛び出し、近くの公園であるここへ勢いで来てしまった。
 何故母親は、こんなに勉強を強いるのだろう。昔からそうだ。幼稚園受験も無理やりだったし、小学校受験だってそうだった。そして何故か受かってしまったから、どんどん母親の勉強させたい熱は高まっていった。
 悶々と考えていると、隣からキィと軋んだ音がした。見ると、白い長袖にだぼだぼのジーンズを履いた、『大人』の男の人がいた。普通に座れば良いのに、何故か両足を持ち上げてブランコに乗っている。手には大きなキャンディを持ち、男の人はただ前を向いていた。その真っ黒い目の下には、これまた真っ黒な隈があった。不思議な人だ、とナナが眺めていると、その男の人は不意にこちらを向いた。思ってもなかったことに、ナナはびくっと体を揺らす。男の人は口を開いた。


「……私の顔に、何か付いてますか?」
「い、いえ、ついてないです……」

 そうですか、と男の人はまた前を向いた。ナナは、まだドキドキしながら彼から目を逸らした。
 夕日の眩しさに目を細める。太陽って、こんなに明るかったっけ。遊びに行くことを許されず、家にこもっていたからか久し振りに太陽を浴びた気がする。

「……あったかい」

 独り言のように口から出た言葉は、隣にいる男の人に聞こえたようだった。

「……そうですね。太陽は大体1500万度で燃えてますからね」
「あっ、それ理科で習いました!」

 彼の言葉に思わず反応する。こちらを見た男の人の視線に、恥ずかしくなった。彼は何を考えているのかわからない、無表情に近い顔をしていた。

「小学生ですか?」
「そ、そうです。4年生です」
「そうですか」

 彼はまた前を向く。ナナはずっと聞きたかったことを尋ねることにした。

「あの、何でブランコの上に乗ってるんですか?」
「普通に座るより、こっちの方が頭が回るんです」
「そうなんですか……」

 何に対して頭を回さなければならないのか。そこまで聞くのは野暮な気がして、ナナは聞くのをやめた。
 徐々に日が落ち、辺りは紫色になっていく。寒くなって来た気がする。母親は心配しているだろうか。

「まだ、帰らないんですか?」

 ナナの心を読むように、男の人が話しかけて来た。

「はい、ちょっとお母さんと喧嘩しちゃって……」
「そうなんですか」
「お母さん、勉強のことしか考えてないんです……お兄さんは、勉強しろとかお母さんに言われましたか?」

 男の人はいえ、と首を振った。

「言われたことはないですが、私は自分の興味のあることを追求してきました」
「例えば、どんなことを?」
「そうですね、例えば事件とか」
「事件……?」

 この人は刑事か何かなのだろうか。問いかけようとしたとき、彼は口を開いた。

「あなたも、好奇心を持って周りを見たらいいと思います」

 言って、男の人はブランコから降りた。

「帰っちゃうんですか……?」

 急に寂しくなり、問いかける。男の人は、薄く微笑んだような気がした。

「……はい、帰ります。あなたも早く帰った方がいいですよ。お母さんも心配してるはずです」

 では、とナナに言うと、男の人は公園の入り口へと歩き出した。そこにはいつから停まっていたのか、黒塗りのリムジンがあった。高級車の横には、白髪の紳士(きっと外国の人だ)が立っていて、彼が近づくと同時に後部座席のドアを開けた。男の人は慣れたように中に入り、ドアが閉められた。
 すごい待遇だ。ぽかんとその様子を眺めていると、だんだん知っている声が聞こえてきた。
 ――お母さんだ!
 ナナは立ち上がり、自分の名前を呼ぶ声の方へ駆け出す。秋の涼やかな空気が頬を撫でた。『好奇心を持って周りを見る』。彼の言葉のおかげで、随分気持ちは楽になっていた。
 ナナが世界を股にかける探偵、Lのことを知ったのは、前代未聞の全世界同時中継(実際は関東でしか放送されていなかったが)が行われたときだった。

20171127

back

- ナノ -