Lが死んだ、と聞いた時の衝撃と、込み上げる深い悲しみを、私は生涯忘れないだろう。

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「これ、ください」
 Lから最初に掛けられた言葉はそれだった。パチ、パチ、とパズルを埋め込むのに夢中だった私は、その声が自分にかけられたものと思わなかった。無視しているともう一度声が降ってきて、私はようやく顔を上げた。
 Lという人物が、最近ワイミーズハウスにやってきたことは知っていたし、見たこともあった。だから、その独特な風貌に驚きはしなかった。けれど、初めて声をかけられたので、どう反応していいかわからなかった。
「それって……これのこと?」
 私はとりあえずその意味を知ろうと、パズルの一片を掲げた。Lは頷いた。
「今、私が遊んでるからダメ」
 Lが喧嘩に強いことは知っていた。知っていたけれど、パズルで遊びたい欲が勝った。答えたあとで、Lが力づくで奪ってきたらという考えがふと過ぎって、急にこわくなった。けれど、Lは足を出してはこなかった。ただ、「そうですか」と言って、おもちゃ箱の方へ歩いていった。
「……ねえ、一緒に遊ばない?」
 その背中が寂しそうに見えた訳でもないし、Lが後ろ髪を引かれるような雰囲気だった訳でもない。ただ、一緒に遊べば楽しいのではないかと思って声をかけた。何でもそうだ。食べ物は分け合った方がおいしいし、遊びも一緒にした方が楽しい。
 Lはくるっと振り返って、言った。
「嫌です。私は1人で遊びます」
 ああ、そう。
 私は気を回したのを少し恥ずかしく思いながら、またパズルに没頭していった。

 次にLと会話したのは、それから少し経った、夏の日のことだった。Lは何かを探しているようで、キョロキョロと辺りを見回しながら廊下を歩いていた。気になって私は「何探してるの?」と声をかけた。Lはワイミーを探しているのだと言った。
「ワイミーさんなら、今日は出かけてていないよ。何かあったの?」
「そうですか。いないならいいです」
 Lは私が気遣ってかけた言葉を無視して、通り過ぎようとした。私はLの態度に腹が立った。こないだは怒りは湧いてこなかったけれど、こう何度も不遜な態度を取られるとさすがに腹が立ってくる。喧嘩が強いなんて、知ったことか。思わずその手を掴んだ。
「あなたはワイミーさんしか見えてないみたいだけど、私もちゃんと存在してるんだからね!」
 立派に反論してやった、と心の中で私を称える間もなく、Lは「そうですか」と何の感情も見せず言った。私はその態度に、今度こそ腸が煮えくり返った。
「そうですか、って何よ! その一言で全部片付けないでよ。そう言われた人がどんな思いをするか、想像したことある!?」
 Lは私が怒っているのを特に気にする様子もなく、「ないです」と答えた。
「じゃあ、今から想像してみてよ! 怒ってる人がいます、怒られてる人はすべて『そうですか』と返します。さて、怒ってる人の心中は?」
「……暖簾に腕押し、と思うでしょうね」
「違うでしょっ! ……まあそれもあるけど、先に悲しさがあるでしょ! その人のためを思って怒ってるのにいくら言っても響かないんだから」
「……悲しさですか」
「そう、悲しさ! やっとわかった? あなたは今人を悲しませてるの!」
「あなたじゃないです、Lです」
 変なところで変な返しをされたので、言葉が詰まった。
「……そう」
 Lの言葉ですっかり熱が冷め、冷静さを取り戻してしまった。Lはといえば、私が怒っている時から変わらず、冷静な目をこちらに向けている。
「L。私、ナナっていうの。よろしくね」
 思えば互いに名乗ってはいなかった。怒る前にまずは名乗るのが先だったかもしれない、と考えてしまうほど、彼の声は平静だった。言って手を伸ばせば、Lは私の手を握り返してくれた。
「とりあえず、覚えておきます」
 相変わらず不遜な態度を崩そうとしない。カチンときたけれど、私は怒りを抑えてこう言った。
「私の名前、覚えといて損はないわよ。だって私は将来ノーベル医学賞を取るもの」

 有言実行とは私のためにある言葉だ。
 私は言っていた通り、医学に関する大きな発見をして人々の命を助け、ノーベル医学賞を受賞した。私ってすごい! 素晴らしい! 優秀すぎて困っちゃう! 私がいなければこの病で亡くなる人の数は減少しなかっただろう。私はこうして、生きている価値のある人間になった。思えばそのために努力してきたようなものだった。
「で、何の用ですか?」
 私の知能はより多くの人々を救うために使われなければならないというのに、なぜか私は今、後ろ向きでソファに座るLと対峙している。
「Lの健康診断をしてほしいのです」
 隣に立つワイミーが言った。
「健康診断? そんなの、毎年診てもらってる先生にやってもらえばいいじゃないですか」
「Lは健康診断を毎年受けてないんです」
「え?」
「今まで私が代わりにやってましたが、やはり専門の医師に診てもらった方が良いだろうと思い、ナナに来てもらいました。ノーベル医学賞、おめでとうございます。とても素晴らしい栄誉ですよ」
「あ、ありがとうございます……じゃなくて! 私じゃなくても医者なんていっぱいいるでしょう?」
「やはり医者ならば、身内のナナが良いと思いまして。腕も確かですし」
 まあ、そうだけども……。
「L、ナナと挨拶してください」
 Lはソファの縁から手を離してこちらを向いた。相変わらず隈はひどいし、痩せている。不健康そうだ。
「……こんにちは、ナナ」
「……こんにちは」
 他人行儀に挨拶され、こちらも他人行儀に返す。まあ、言うほど仲が良かったわけでもない。たまに会ったときに言葉を交わすくらいの仲だった。
「私は健康診断なんてやりたくないですよ……」
 Lは眉根を寄せて、ワイミーに言った。先ほどからの不躾な態度は私と会ったからではなく、健康診断を受けたくないからだったようだ。そう言われても、私は自分の貴重な時間を割いて来てあげたのだし、ワイミーが謝礼を出してくれるというので(Lはこの世で最もお金を稼ぐ生き物と言っても過言ではない)、Lの服を引き剥がして鼓動を聞き、身長体重血圧を測り、血液を採った。不健康そうな外見をしていても、中身は健康そのものだった。ワイミーが食事管理をきちんとしているからかもしれない。
 それから、ワイミーはちょくちょく私を呼んだ。Lの健康診断はもちろん、風邪を引いたときや(あのLも風邪を引くことがあるらしい)食事の相談など、Lに関することは私に任せるようになった。Lのかかりつけ医は私と言っても過言ではない。Lも嫌々ではあるものの従ってはくれるため、やりやすくはあった。たまに、昔のように何てことはない会話をしたりもした。
「ワイミーさんは相変わらず、あなたに過保護ね」
 診断が終わった後、ワイミーが出て行って二人きりの部屋。私はLの世話のために動き回るワイミーに呆れて、そう言ったことがある。Lはただモニターを見つめながら(彼は即座に仕事モードに入る)、こう答えた。
「別に、過保護と感じたことはないですよ。彼はすべての人に平等だと感じます」
「それは、私にとってもそう?」
「もちろんです」
「ふーん」
 私はソファに寝転がってみる。
 嘘だと思った。ただLがワイミーのために嘘をついたのだと思った。
 Lにはかなわない。それは幼い頃から感じていた降伏。Lは私たちとは次元の違う、特別な人間。特別な人だからこそ、ワイミーはLとともに行動をするし、世話をする。
「……特別な人っていいわよね。私も、誰かの特別になりたかった」
 思わず呟く。予想外にもLはこう答えた。
「……何を以て特別と見なすのかわかりませんが、ナナを特別と思ってる人は多くいると思います。かく言う私もその一人です」
「またまた、そんなこと言って……」
「本当です。多くの命を救おうと尽力する姿勢は純粋に尊敬しますし、ナナにしかできない事だと感じます……少なくとも、私には出来ません」
 寝転がったまま、目を動かしてLを見る。Lは変わらずモニターを見つめている。
 私は「ふーん」としか言えなかった。突然褒められて気恥ずかしい気持ちがあったから、話を終わらせてしまった。あの時、もう少しLと話すべきだったと思う。でもあれが最後の会話になるなんて、思ってもみなかった。
 





 L。
 あなたの功績でキラはいなくなった。あなたの意志を継いだ者が、キラを窮地に追いやった。
 世間には、その意志を継いだ者とLが、同じ人だと思われている。けれど私は、それがニアとメロであってLではないと知っている。世間に知らせようとは思わない。私がLを知っていれば、私の記憶にLが刻まれていれば、それでいい。
 Lの守った世界は、今も変わらない。変わらないというのが、一番の平和の証だ。私は何にも煩わされず、私の仕事を全うできる。この幸いな世界を取り戻そうと――Lのことだから単純にゲームをしていたとか言いそうだけれど――キラと戦ったあなたのことは、一生忘れない。忘れられない。
 言いたいことは沢山ある。けれど今は、ゆっくり休んでと言ってあげたい。ずっと回転させていた頭をゆっくり休ませて、深い眠りについていることを願う。

221020

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