――白髪混じりの茶色の髪をしたあの人は、時折、寂し気に目を細めた。

 リーマス・ルーピン教授がホグワーツへ来たのは、ナマエが七年生の頃だった。やつれた青い顔にくたびれた格好を見て大丈夫だろうかと思ったが、その心配は授業を受けた瞬間吹き飛んだ。ナマエが今まで受けたDADAの授業の中で、一番わかりやすく楽しいものだった。授業が分かりやすいこと以上に、ナマエが驚いたのは、彼がとても生徒思いだということだ。一人一人の性格をよく知り、それぞれに合った分担をさせることもあった。
 しかし、二ヶ月に一度か二度、彼は体調不良で授業を休むことがあった。そういう時はスネイプがなぜか代役で来るので、グリフィンドールであるナマエは本当に嫌だった。スネイプは来るたびに、ルーピンを目の敵にしてるのか(きっと、自分が就きたいDADAの職に彼が就いたから僻んでいるのだ)、まだここまでしか進んでないのかと皮肉交じりに言ったり、習ってもいない箇所をレポートでまとめるよう要求したりと、最悪な授業をしていた。そのためルーピンが帰ってきたときは、皆心から喜んだ。
 ある日、ナマエはルーピンに皆のレポートを持ってくるよう頼まれ、彼の研究室を訪れた。ノックをして入ると、そこには様々な魔法生物がいた。頭がつるつるしている河童やグリンデローにデミガイズ、何やらガタガタと揺れているクローゼットもあった。ルーピンはテーブルの上の書類を杖で整理しながら微笑んだ。
「ありがとう、ナマエ。お礼に紅茶でもどうだい?」
 幸い次の授業はなく、ナマエは快く受け入れた。魔法で用意された紅茶を飲む。良い香りのするアールグレイだ。
「先生は、アールグレイがお好きなのですか?」
 向かいに座るルーピンは笑った。その笑みがいつものように草臥れたものではなかったため、ナマエは密かに喜んだ。
「特に好きな茶葉はないよ……ナマエはあるかい? あ、日本人だから緑茶の方が好きかな?」
 ナマエは五年生の時に、日本のマホウトコロからここホグワーツへ転入してきた日本人だった。ルーピンからその話を振ってくれるのが嬉しくて、ナマエは微笑んだ。
「確かに、緑茶の方が好きかもしれません」
「やっぱりそうか。マホウトコロとここでは習う教科も違うかい?」
「そうですね……ルーン文字などは日本では学びませんでしたが、代わりに陰陽道という占い学があったりしました」
「オンミョウドウか、難しそうだね」
「ふふ、私は苦手でした」
「……ナマエはここに来て二年経つと聞いたが、ホグワーツには――というよりイギリスには慣れた?」
「最初は戸惑いましたが、今では慣れました。英語もこんなにうまくなりましたし」
 ルーピンは笑った。
「確かに、君の英語は完璧だ」
 つられてナマエも笑う。こうして話していると、ルーピンが体調を崩しがちと言うことを忘れてしまう。彼にはどこか影があったが、今話す限りではそれが見当たらない。だからナマエは尋ねてしまった。
「……先生は、何か持病があるのですか?」
 ルーピンの顔が一瞬硬くなった気がした。しかし次の瞬間にはゆるく微笑んでいた。
「持病はないんだ……ただ、昔から体が弱くてね。たまに体調が悪くなってしまうんだ」
 ナマエはその言葉を信じた。彼の表情の変化には見て見ぬふりをした。深掘りしてはいけないと、無意識に心が警鐘を鳴らしていた。
 しかし、ナマエは気づいてしまった。N.E.W.T試験に向けて、DADAの復習をしていたときに。
 ちょうど開いた三年の教科書に、狼男は満月に変身する、という一文があった。ナマエはもちろんそのことを知っていたが、その一文を読んだ時、何故かルーピンが思い浮かんだ。まさかと思いながらも、ルーピンが授業を休んだ日と月の満ち欠けを比べてみる。
「嘘でしょ……」
 予感は当たった。当たってしまった。決まって満月の日の近くに、彼は授業を休んでいる。
 しかし、それだけでルーピンが狼男だと確定はできない。気のせいだと、ナマエはこのことを忘れることにした。見るたびに彼がやつれているのも、気のせいだということにして。

 その日は、嫌になるくらい天気が良く、雲ひとつない青空だった。夏の強い日差しの中、ナマエは必死に、継ぎ接ぎだらけのジャケットを着た後ろ姿を追いかけていた。次の授業へ移動する生徒たちなど、眼中に入らなかった。
「ルーピン先生!」
 呼びかければ、彼は立ち止まり、振り向いてくれた。ルーピンは驚いた様子だった。
「ナマエ? どうしたんだい、授業は?」
 追いついたナマエは、息を切らしながら首を振った。授業など、どうでもよかった。
「先生は、ここを辞めてしまうんですか?」
 ルーピンは寂しそうに微笑んだ。いつも自分たちに見せる笑みとは、少し違った。
「ああ……誰かに聞いたんだね。そうだよ、今日、辞表を出したんだ」
「そんな……!」
 夢であってほしいと、ナマエは願った。スネイプがルーピンを憎むあまり吐いた嘘なのだと、思いたかった。ルーピンに、満月と体調不良が重なるのは偶然だと言ってほしかった。だって、授業もわかりやすく、生徒思いのこんなに良い先生が、ホグワーツからいなくなるなんて、信じられない。
「先生、私は先生の授業をずっと受けていたいんです……人狼だからとか、関係ないんです! 私は先生を尊敬しています。先生がいたから、私は教師になろうと思ったんです……!」
 思いの丈を言うと、ルーピンは困ったような笑みを浮かべた。ああ、こんな表情をさせたくはないのに。
 歯がゆい気持ちでいると、彼は穏やかに、諭すように言った。
「ナマエにそう言ってもらえて嬉しいよ。ただ、私が人狼だと知れてしまえば、君たちの保護者だって心配するだろう。私はどっちみち、ここにいるべきじゃなかったんだ……」
 寂しげに、呟くようにルーピンは言った。ナマエはその表情を見て、何も言えなかった。人狼として生きている彼の苦悩は、自分には計り知れないものなのだとわかってしまった。
「……そろそろ行くよ。また会えたらいいね」
 古びた鞄を持ちなおし、ルーピンは去っていく。
 本当は、手紙を送ってもいいか、とか、また絶対に会いましょうとか、言いたいことは沢山あったのだけれど、言葉は出てこず、ナマエはただ、そのくたびれた後ろ姿を見つめることしかできなかった。

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