十代の女の子たちがメイクを覚えたり、お洒落をしたりして外見を整える理由は大体二つある。
ひとつは自分自身のため。爪がつるつるに磨かれ、好きな色で彩られていると、手先を見る度に気分が上がる。鏡を見る度に可愛い自分が誇らしくなる。自信が溢れてくる。
二つ目は他人のため。ただ好きな人の気を引きたくて、自分を装う。彼または彼女の目に映る自分が、できるだけ綺麗に見えるように工夫する。鏡を見る度に、口紅やマスカラが落ちていないか、しきりに気にしてしまう。メイクもオシャレも好きな人と付き合うというゴールのための手段の一つに過ぎない。彼、彼女の反応で自信は上下する。
私は後者だ。好きな人のために紅を引き、瞼に薄く色をのせる。わざわざ朝早く起きて、入念に化粧とブラッシングをするのは彼のために他ならない。振り向いてもらえますように、大人の女性と認識してもらえますようにと、願いを込めながら筆を動かす。
この気持ちを知っているのは私しかいない。きっと同部屋のリサたちは、朝から完璧な姿でいる私をナルシストのように思っているに違いない。彼女たちだってメイクはするけれど、私ほど時間をかけたりはしない。
しかし、そう思ってくれているほうが都合がいい。この気持ちが露わになれば、きっと彼女たちは引いてしまうだろう。どうして、よりにもよってあのスネイプ先生を好きになったのかと。

私とセブルスの付き合いは長い。私の父は学生時代から彼と仲が良く、度々彼を家に招いて、夕食を共にした。
べったりとした長い黒髪、どこまでも黒い瞳、大きくて高い鼻、土気色の肌。第一印象は「暗そう」で、幼かった私は彼との距離感がわからず話したことはなかった。彼もまた、私に近づくことはなかった。
その距離が少し縮まったのが、今から7年前、私が10歳の時だった。日差しは強く、肌がじんわりと汗ばむ夏の日のこと。その日は足を伸ばしてコーンウェルまで来ていた。ポースクルノビーチには、父と母と弟、そしてなぜかセブルスがいた。父も母も薄手の格好をして、私と弟は水着を着ていたから、真夏のビーチで黒ずくめの彼はとても場違いだった。顔色も悪く、彼だけが陽の光が降り注ぐビーチにそぐわない存在だった。後から聞けば、暇を持て余しているだろうと思い、バカンスに誘ったのだと父は言った。
結果的に父の判断は正しかった。彼は私と弟の命を救ってくれた。当時4歳だったドラコが溺れかけているのを見て真っ先に助けに行った私は、ドラコを抱えるとその重さで溺れてしまった。
あの時の恐怖は忘れられない。もがく度に沈んでいく身体。海面が顔に押しかかるように、私の鼻と口を塞いでなかなか息ができなかった。ドラコの呼吸も確保しなければならず、私は必死だった。
母は悲鳴を上げ、父は海に飛び込もうとした。一番冷静だったのがセブルスだ。彼は杖を一振りして私とドラコを宙に浮かせ、浜へゆっくりと下ろした。
その時ほど彼がかっこよく見えたことはない。
「陰険そうな人」という彼の印象はなくなり、「聡明でクールな素敵な人」に塗り変わった。
私はそれから彼とよく話すようになった。と言っても子供の話に彼が耳を傾けてくれることはなく、私が一方的に喋るだけだった。
当時の私はそれで満足だった。その恋心はまだほんの蕾で、中に含まれた彼への想いは大きくはなかった。けれど今は――
「ほう、ミス・マルフォイの水薬はきちんと澄んでいるな。スリザリンに10点」
満足気に微笑むセブルスに笑みを返す。この日のために何度も練習してきたのだから当然だ。
セブルスは今、私の前にスネイプ先生として立っている。「先生」という一言は、私と彼の間の距離を簡単に隔ててしまう。
目が合ったのも束の間、セブルスは「先生」として、他の生徒たちのほうへするりと行ってしまった。
私は鍋をかき混ぜながら、出来の悪かった他寮の生徒たちに減点していく彼の様子を盗み見た。私を褒めている時よりも、減点している時のほうが生き生きとして楽しそうに見えるのは気のせいだろうか。
彼はレイブンクローの様子を見たあと、グリフィンドール生たちのところで立ち止まった。そしてバートを減点すると、クロエ・カヴェンディッシュの鍋を見た。
彼女の水薬は、私のものと同じく水のように澄んでいた。心の中で舌打ちする。セブルスは何も言わず、教壇へ戻った。
「授業を終える。作った水薬は瓶に入れて提出するように」
授業後、私はカヴェンディッシュを呼び止めた。彼女はたっぷりとした赤毛を揺らして振り向いた。透き通った緑の瞳は懐疑心に染まっている。
「……何かしら?」
「今日の水薬は初めて作ったの?」
「そうよ……それを知ってどうするの?」
カヴェンディッシュは腕組みして威圧的に言った。私も負けじと腕組みする。
「別に。あなたのことを知ったところで何の知識にもならないわ」
彼女は鼻で笑った。
「じゃあ、なんで聞いたのよ?」
「……ただの気まぐれよ」
「……ちょっとあなた変よ。まあ、いつも変だけど」
カヴェンディッシュはグリフィンドール生たちと共に去っていった。やり取りを見ていたリサたちに「行きましょ」と急かされる。
「ナマエはどうして穢れた血の相手するの? あなたは純血の貴族じゃない」
「……別に、相手なんかしてない」
カヴェンディッシュは入学当初から薬学がずば抜けて得意だった。だから、私は嫉妬心から彼女に突っかかった。
本人も周りも、その原因がマグル生まれだから(穢れた血、なんて古臭い言葉はナンセンス。何よりセブルスがその言葉を嫌っている)だと思っている。それもまた都合がいいから、放っておいている。

私がそれを発見したのは、その日の夕食後のことだった。地下室へ下りて談話室へ向かう途中の通路に、なぜか瓶詰めにされた催眠豆が置かれていた。毒々しい緑が詰め込まれている。
「何それ?」
「今日使った催眠豆みたい……ちょっと先生のところに置いてくるわ」
平静を装いながらも、心の中は歓喜で打ち震えていた。ホグワーツでセブルスと個人的に話す機会はないに等しい。その貴重な機会を――しかも彼の部屋へ行ける権利を――得られた喜びは大きい。
セブルスの部屋のドアをノックすると、「誰だ?」と低く威厳のある声が返ってきた。
「マルフォイです」
「……入れ」
そっと扉を開ける。セブルスは机に座り、書き物をしていた。羽根ペンを走らせる音が暗い地下室に反響して聞こえる。
「何かあったか?」
顔を上げた彼に、催眠豆を見せた。
「これが地下の通路に置かれてたから、返しに来たの」
思わず敬語を使わずに話したが、彼は気にかけなかったようだった。瓶を受け取ったセブルスは、眉間の皺を一層増やした。
「なぜこれが置かれていた?」
「知らないわ。誰かが教室に置かれてるのを見つけて、届けようとしたけどやめて、通路に置いたのかも。あなた、他寮から見ると怖いから」
特に一年生の怖がりようったら。想像して笑ってしまう。セブルスもふっと笑みを浮かべた。
その微かな微笑みに胸が高鳴る。思えば、彼と二人きりで話すのは初めてだ。休暇中はどうしても家族の目がある中でセブルスと接しなければならない。家族にも未だにセブルスがすきということは秘密にしているから、彼への眼差しだったり話し方だったりに気をつけなければならない。
けれど、今は違う。二人きりだから存分に彼を見つめることができるし、愛を伝えることもできる。
これはチャンスだと頭の隅で私が言う。一方でまだ告白はしない方がいいと警告する私がいる。
私は、私を無視した。
「……ねえ、セブルス」
彼に少し近付いて、甘えるように名前を呼ぶ。こんな「女」の声を初めて出したから、自分の声でないように聞こえた。
セブルスは私を見上げた。私がこれから話すことを察しているかのように、警戒した目で私を見ていた。
私は怯まなかった。もう後戻りもできなかった。この場ですべて話してしまおうと、決意してしまっていた。
「……あなたが私とドラコを救ってくれたこと、覚えてる?」
セブルスは「ああ」と短く答えた。私は少し息を吸って肺を満たし、そして、心の中でうずくまっていた言葉を空気とともに引き出す。
「私、あの時からずっと、あなたが好き。ずっと、ずっと好きだった」
もっと言いたいことはあった。けれどセブルスを前にして出てきた言葉はそれだけだった。
沈黙が二人の間に落ちる。セブルスはじっと探るように私を見つめる。私はただただ、彼が口を開くのを待つ。願わくば、良い返事でありますように。私の初恋が実りますように。
しかし、彼の返事は良くないものだった。
「……好意を抱いてくれているのは嬉しい。だが、私は君をそんな目で見れない」
静かな声で、セブルスはそう言った。私はその返事を受け止めようとしたけれど、心はかき乱されて言うことを聞かなかった。私は私が思うより子供だった。
「……どうして? 私、本当にあなたのことが好きなのに……」
頬を冷たい何かが伝って、それを手の甲で拭った時、初めて自分が泣いていることに気づいた。私の心は傷ついていた。その傷は思っているより何倍も深い傷だった。
セブルスが立ち上がる気配がした。
「……すまない、私は君の想いに応えられない」
謝られるのが何よりも堪えた。
泣いてもどうにもならないとわかっているのに、どうしても涙が止まらない。彼をこまらせるだけだとわかっているのに。
やがて上からため息が落ちてきたかと思うと、そっと抱きしめられた。初めて彼の体温を感じられたというのに、まったく嬉しくなかった。鼻を啜れば薬品の匂いがする。
「すまない、ナマエ……」
背中をゆっくりと、落ち着かせるように擦られる。その角張った手の優しさは、あくまで家族に対するものに感じられて、それが余計に涙を誘引させた。


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