第一印象は最悪だった。
 シリウスは初めて許嫁と対面した日のことを、今でもまざまざと思い出せる。親の言うことに何の反発も見せず、「はい」しか言わない女。幼いながらもはっとするような見た目の美しさと相まって、彼女は親に操られる人形のようだった。母に促されて二言、三言言葉を交わしてみるも、ただ、彼女は自分と会話する気がないとわかっただけだった。
 ホグワーツに入ってからも、彼女の印象は変わらなかった。彼女の周りには取り巻きができ、彼女はその中で気取っていた。自分がグリフィンドールに入って一番よかったことは、彼女が許嫁でなくなったことだと、シリウスは思っていた。
「ナマエは、周りが望む純血貴族を演じてるんだ」
 いつだったか、グリフィンドールで仲良くなったジェームズがそう言った。ジェームズと彼女は幼馴染みらしく、よく知った仲だという。シリウスは彼の言葉が信じられなかった。もし、あの傲慢さがわざとだったとしたら――シリウスの中で、天と地がひっくり返ってしまう。彼女に当て嵌めていた像が、まるっきり壊れてしまう。
「そんな馬鹿な……じゃあ、なんでわざとそう見せてるんだ?」
 シリウスは突っかかるように言った。彼女を知るジェームズにも、見破れなかった自分にも苛立っていた。
 ジェームズは、まるで家族のことを話すように、穏やかな声で言った。
「ナマエは、周りの期待に応えちゃうんだ。俺は何度もそれはよくないって説得したんだけど、結局直らないんだ……」
 親の操り人形であるミョウジは、取り巻きの人形とも化しているということか。シリウスはやはり信じられなかった。試しに彼女を観察するも、彼女は高飛車に取り巻きへ命令したり、マグル生まれを笑ったりしていた。シリウスはジェームズの言葉を打ち消した。ジェームズは騙されているのだろうと思った。
 それが本当かもしれないと思い始めたのは、例の惚れ薬事件の時だった。
 シリウスたちはある日、スリザリン生である、男のような体格をした女が座る昼食の席に、アモルテンシアを仕込んだ。彼女をスネイプへ惚れさせるという悪戯だ。男女に絡まれるスネイプは、さぞ見物だろう。シリウスたちは期待を胸に、スリザリンのテーブルを見守っていた。
 しかし、作戦は上手くいかなかった。なぜかミョウジがその席に座り、ゴブレットを傾けてしまった。とっさにジェームズが走っていくがもう遅い。ミョウジは離れた席にいたスネイプに抱きついた。
「早く、二人っきりになりましょう? セブルス……」
 吐息混じりの声に、色気がたっぷりと含まれていた。なるほど、そうやって日頃から男を誘っているのだ。何かと脚光を浴びるミョウジは、性に奔放だという噂がまとわりついていた。シリウスはそれを信じていたのだった。
 ジェームズは悲鳴を上げ、すぐにミョウジを引き離そうとするが、彼女は嫌そうに手を払いのけ一向に体を離そうとしない。
「いいんじゃないか、このままで」
 シリウスはミョウジたちへ近づいた。
「お前もやっと、卒業できるだろ。よかったな、スニベルス」
「シリウス!」
 ジェームズが咎めるように叫ぶ。幼馴染みだからといって、なぜ彼女の肩を持つのか、シリウスはわからなかった。毎日のように、誰それの男を寝とったと噂されているミョウジだ。スネイプと体を交えても減るものはあるまい。しかし、予想外にもミョウジは牙を剥いてきた。
「それの、何が悪いのよ!」
「おい、ミョウジ……」
「見境なく相手するより、よっぽどましだと思うわ!」
 シリウスは大声で怒鳴るミョウジに驚いていた。普段の毅然とした態度とは程遠い。これは面白いことになりそうだ。シリウスは口角を上げた。
「へえ。薬で本性あらわしたな、ミョウジ。それは自分のことを言ってるのか? この前は誰の彼氏を寝とったって?」
「寝取ってなんかないわよ、私、誰とも寝たことないもの!」
 広間が静まり返った。彼女の怒り具合からして、それが嘘だとは思えなかった。シリウスはその事実に衝撃を受けた。まさか、ミョウジに関する噂が偽りだったとは。
「ナマエ、落ち着くんだ」
 ポッターがようやく口を開き、彼女の肩をおさえようとしたが、ミョウジは手を払いのけ、スネイプの細い腕を取った。
「行きましょう、ここは邪魔が多すぎるわ」
 それからジェームズと解毒剤を作り、スネイプにそれを渡した。ジェームズはしきりにミョウジが手を出されていないか気にしていたが、スネイプは何もしなかったようだった。まあ、奴にそんな勇気はないだろう。
 後日、ジェームズはミョウジからの手紙を受け取った。解毒剤を作ってくれたことへの感謝が綴られていた。
「……俺も作ったんだがな」
 ジェームズにだけ手紙が来たのが面白くなかった。そうこぼすと、ジェームズは楽しそうに笑った。
「なんだい、シリウス。ナマエを好きになったのか?」
「……いや、そうじゃない」
「ナマエって、あのミョウジかい?」
 隣でジュースを飲んでいたリーマスが話に交ざってきた。彼の声には「まさか」という驚きがあった。シリウスは言葉に詰まった。ジェームズが代わりに答える。
「そうさ、あのナマエ・ミョウジだ」
「へえ!」
 リーマスはまじまじとこちらを見た。
「確かに、彼女は綺麗だとは思う……」
「ぼ、僕はお似合いだと思うよ」
 向かいでパンを食べていたピーターが小声で言った。二人に気を遣われている恥ずかしさで、顔に熱が集まるのを感じた。
「だから俺は、ミョウジを好きじゃない!」
「あら、そう」
 後ろから冷たい声が落ちてきた。振り返れば、ミョウジが悠然と立っていた。
「ミョウジ……!」
「奇遇ね、私もあなたのこと好きじゃないわ。むしろ嫌いなの。その整った顔も、甘ったれた性格も」
 シリウスは立ち上がった。彼女に嫌いと言われたショックより、怒りの方が勝っていた。
「ミョウジ、それを言いにわざわざここまで来たのか?」
 ミョウジは口の端を上げた。悪意に満ちた笑みだったが、憎らしいほどに美しかった。
「私の話をしてるようだったから、通りすがりに聞きに来ただけよ。あなたが私を好きじゃないって聞いて、私もあなたへの印象を話さなきゃと思ったの。女子なら誰でもあなたを好きになると思ったら大間違いよ」
「俺がそう思ってると、いつ、誰が言ったんだ?」
「さあね。でも普段のあなたの振る舞いからわかるわ」
 ミョウジは肩をすくめると、広間の出入り口へ去っていった。去り際に、ジェームズと目を合わせて微笑んだのを、シリウスは見逃さなかった。ドサッと椅子に座り込む。すっかり食欲はなくなっていた。
「……なんなんだ、あいつ」
 リーマスとピーターは、何も言わないでいようと決めたようで、黙々と朝食を食べていた。ジェームズは重苦しい空気の中、ぽつりと言った。
「でもナマエ、一人だったな。取り巻きは離れたみたいだ」
 今の言葉も本心みたいだったし、やっと自分を出せるようになったんだな。
 その小さな言葉はシリウスの胸を抉った。ジェームズはハッとしたように自分を見て、それから肩に手を回した。
「……気にするな、パッドフット。嫌い嫌いも好きのうちって言うじゃないか」
 シリウスは何も言えなかった。ミョウジがジェームズに見せた笑みを思うと、何も言えなかった。

 ジェームズの言う通り、ミョウジの取り巻きは離れたようだった。彼女が一人でいる姿を廊下や階段で見かけるようになった。
 そのうち、こんな噂がグリフィンドールの談話室に飛び交った。ミョウジがデスイーターとの婚約を断ったというものだった。
 それが原因で、スリザリンから浮いてしまったようだ。一人でいる彼女は、孤独など感じていないように風を切って歩いていたが、前よりも痩せたように見えた。シリウスは彼女に声はかけないものの、その変化が気になっていた。退屈な授業を受けている間や、談話室でジェームズたちと話している時に、ふとミョウジを思うことが増えた。
「おい、シリウス!」
 ジェームズの声にはっと暖炉の炎から目を離した。
「……どうした?」
「どうしたもこうしたも、次にスニベリーにやる悪戯について話してるんだろ?」
「最近、ぼんやりしてるね」
 リーマスが本を閉じながら静かに言った。
「ミョウジが、食事の時広間にいないからかい?」
 リーマスも気づいていたようだった。彼女の食事する姿が、スリザリンのテーブルで見られないことを。
 一番ミョウジと親しいはずのジェームズは、「そうなのか?」と驚いている。ジェームズはリリーしか眼中にないのだ。
「それは心配だな……」
「……僕、図書館で彼女の姿を見たよ」
 リーマスは言った。
「なんだか調べ物をしてるみたいで、本を高く積んで読んでた。昼休みに行ってみるといいよ」
「……けど、行って何を話すんだ? あいつは俺を嫌ってるだろ」
 思わずアドバイスを求めてしまった。リーマスは微笑んだ。
「お菓子とか持ってってあげればいい。よく言うだろ、食べ物があれば話は弾むって」
 シリウスはそれを的確な助言として受け止めた。
 翌日、シリウスは滅多に来ない図書館へ足を踏み入れた。昼休み中のため人はまばらで、すべての音を本が吸収しているかのように、しんと静まり返っていた。音を立てたら本の間から非難の目を向けられそうで、足音にも気を使いながらミョウジの姿を探す。
 彼女は、一番奥のテーブルでたくさんの本に囲まれていた。窓から差し込む光が彼女の壁となっている本を照らし、同時に彼女の金糸を輝かせていた。その色を見て、シリウスはミョウジだとわかったのだった。
 そっと近づき、隣に座る。柄にもなく緊張していた。
「……ミョウジ」
 囁くように呼ぶと、彼女は本から顔を上げた。そして不快そうに眉をひそめた。
「なぜ、あなたがここにいるの? 私に何の用?」
「これを渡したくて」
 チョコレートバーをかざせば、ミョウジは首を傾げた。
「最近、ろくに食ってないだろ? だから……」
「いらないわ」
 ミョウジはすげなく言った。しかし同時に、彼女のお腹から似つかわしくない音が聞こえてくる。自分のお腹を押さえた彼女の顔は、羞恥のためか真っ赤になっていた。
 可愛いところもあるのだな、とシリウスは思ったが、笑わずにチョコレートバーをそばに置いた。
 ミョウジは葛藤するように自分とバーへ交互に視線を向けていたが、観念したようで、ついにバーを手に取った。
「……やっぱりもらう。ありがとう」
 よほど空いていたのか、彼女は包装を開けて本にこぼさないようにバーを齧り始めた。やがて三口ほどですべて食べてしまった。
「これ、マグルのお菓子?」
 包装を今頃見て、ミョウジは言った。
「ああ、栄養補助食品とか何とか言うらしい……なんだ、マグルのものは口に入れない決まりでもあったのか?」
 シリウスはわざと彼女にマグルのお菓子を渡した。ミョウジが本当に純血貴族を演じていたのか確かめるためだった。
 彼女の反応を見つめる。ミョウジは表情を変えなかった。取り乱しもせず、落ち着き払っていた。
「いいえ。そんな決まりはないわ……ただ初めてマグルのものを食べたから驚いただけ。結構お腹に溜まるのね」
 感心しているようだった。これでジェームズの言葉は本当だと証明された。
 シリウスは自分が深く安堵していることに気づいた。
「……なあ、ミョウジ」
 ミョウジは顔をこちらに傾けた。耳にかけていた髪が、さらりと本のページの上へ落ちる。
「なんで、広間で食事しないんだ?」
 彼女の眉がかすかに動いた。
「……それは、あなたには関係ないでしょう?」
「……関係あるかないかで言ったら、あるな」
 シリウスはもう自分の思いを伝えてしまおうと、腹を括った。今言わなければ、これ以上彼女との仲は深まらないように思えた。
 何も、すぐに付き合いたいという訳ではない。ミョウジの返事は、聞かずともわかっていた。
「俺は、お前を心配してるんだ。見かける度に痩せていくのを見て」
「どうして、嫌いな私を心配するの?」
 ミョウジは不可解だというように、顔をしかめた。シリウスは一息に言った。
「俺はお前が好きなんだ。こないだは好きじゃないと言ったが、あれは嘘だ。仲間の前だったから、そう言ってしまったんだ」
 ミョウジはますます眉間に皺を寄せた。そして辺りを見回し始めた。どこかにジェームズたちが潜んでいるのではと思ったようだ。
 彼女はふと一点を見つめた。視線の先を向けば、司書が立っていた。目が合った瞬間、わざとらしく咳払いされる。
 ミョウジは立ち上がり、本たちへ杖を振った。本は浮き上がり、それぞれのあるべき場所へ戻って行った。
「……場所を変えましょう」
 その一言にシリウスは、喜びが湧き上がるのを感じた。自分と向き合うことをミョウジは決めてくれたのだった。

 二階へ上がり、適当な教室へ入る。
 誰もいない教室はよそよそしさを持っていた。机や椅子たちは沈黙し、侵入してきた自分たちを冷ややかに迎えた。
 ミョウジは窓際の席に腰掛けた。少しでも暖かいところに座りたかったのだろう。シリウスはその前の席に座り、彼女へ身体を向けた。光を浴びない椅子は想像通り冷たかった。
「……それで、どうして広間で食事しないか、だったわね」
 ミョウジは足を組んで言った。
「理由はある……けれどそれを言えば、私のことが好きなあなたを、傷つけてしまうわ」
 まだ自分の好意を疑っているような、少し刺のある口調だった。
 シリウスは真剣に彼女を見つめた。これほど真面目に女と向き合ったのは初めてだった。
「それは考えなくていい……見当はついてる」
 彼女の理由がジェームズ絡みのものだと気づいていた。
 ミョウジはじっとこちらを見つめ返した。彼女の青の瞳は疑念の色に染まっていたが、どこまでも美しく、深く、吸い込まれそうだった。やがて彼女は目を伏せ、口を開いた。
「……私は、何とか時が戻せないか調べてるの」
「時?」
「そう、時間。ジェームズがエヴァンスを好きになる前まで、時を戻したいの……なぜかは、わかるでしょう?」
 シリウスは頷いた。
「ああ……」
「そのために私は図書館で調べてるの。ご飯を食べる時間も惜しい。ジェームズといられる時間はもうそう長くないから」
 ミョウジは寂しげな笑みを見せた。
「笑えるでしょう? あまりにも愚かでしょう? でも、私は本気なの。ジェームズに私だけを見てもらいたいの」
 シリウスは彼女の愛の深さに驚いた。時を戻そうと思い至るまでに、ミョウジはジェームズを好いているのだ。
 シリウスには、そこまでジェームズを愛する彼女がわからなかった。確かにジェームズは天才的なクィディッチのセンスを持っているし、成績だって良い。けれど――。
「ジェームズを、どうしてそんなに好きになったんだ?」
 思わず聞いてしまっていた。
「ジェームズは、私の心を唯一解放してくれた人なの。彼がいなかったら、今頃私は親の言う通りにデスイーターと婚約してた……最悪、私がデスイーターになってたかもしれない」
 ミョウジは淡々と言った。
「……ジェームズと話すようになったのは、俺と許嫁になる前か?」
「そうね、そのくらいになる」
 最初から勝ち目はなかったということか。ミョウジと初めて対面した時、彼女が自分に興味を持たなかった理由が今わかった。
「……それが食事しない理由。私もあなたに質問してもいいかしら?」
「……ああ」
「あなたは私をどうして好きになったの?」
 シリウスは答えに窮した。理由なんて考えたことがなかった。知らないうちに彼女を好きになっていた。
 けれど、ここで話さなければ自分の好意が曖昧なものになってしまう。この気持ちは本物だと示さなければならない。シリウスは心を決めて口を開いた。
「……アモルテンシア騒動で本当のお前を知って、気になる存在になった。それからは目が勝手に追うようになった。こんなこと今までなかった」
 ミョウジは静かに「そう」と言って、ブロンドの髪を耳にかけた。困っている様子はなかった。告白したのが嘘のように落ち着いていた。
「……それで、返事は今聞きたい?」
「いや」とシリウスは首を振った。
「聞きたくはない、わかりきってる。ただ、俺がお前を好きだとわかってくれればいい……時々、こうして喋ってもいいか?」
 拒否されると思いきや、「いいわよ」とミョウジはすんなり頷いた。
「ジェームズの前では喋らないって言うのを守ってくれれば」
「……逆に喋って、ジェームズを妬かせるってのはダメなのか?」
 シリウスはいつでもミョウジと話したかった。ジェームズが自分に嫉妬することはないだろうが、そう提案すると、彼女は考え込むように唇に手を当てた。
「そうね……その作戦もありね」
「だろ? そっちの方がジェームズに効きそうだ」
 そう背中を押してみる。ミョウジは何も言わず、指で唇の上を軽くなぞり、そして離した。人差し指の先に小さな赤が付く。それをじっと見つめていたかと思えば、ローブからハンカチを取りだし色を拭った。
「……そうするわ。いつでも話しかけてきて」
「図書館にも行っていいか? ……たまに菓子持ってきてやるよ」
 言い訳のように付け足すと、ミョウジは微笑んだ。それは純粋な笑みにも、見透かすような笑みにも見えたが、初めて自分に見せた笑みだということは確かだった。
「いいわ。あのバー、美味しかったし」

 それからシリウスは毎日のように図書館を訪れた。ミョウジはいつも本に埋もれていたため、すぐにどこにいるかわかった。毎日チョコレートバーを差し入れ、その度に軽く話をした。最初はスネイプやその周りにどんな悪戯を仕掛けたか、という話をしていたが、ミョウジはそんな話は聞きたくないと顔をしかめたため、クィディッチやホグズミードの話をした。しかしクィディッチの話になると、ジェームズの話題にならざるを得なかったので、気をつけなければならなかった。
 たまにシリウスはレポートを持っていき、彼女からアドバイスをもらった。ミョウジは呪文学と変身術においてトップの成績を誇っていた。おかげでシリウスの成績も良くなっていった。
 廊下で彼女を見かけた時も、シリウスは話しかけた。ミョウジは嫌な顔一つせず応えてくれた。ジェームズを嫉妬させることが目的だからか、彼女は彼を見ず自分とだけ話した。目的はどうあれ、それが何より嬉しかった。
「仲良くなったみたいだな、ナマエと」
 ある日ジェームズは言った。友人の恋が実り始めていると思っているような、朗らかな声だった。残念ながら、ミョウジの恋が成就することはなさそうだ。
「ああ、だいぶな。リーマスのアドバイスのおかげだ」
「僕は別に……本に書かれてたことを言っただけだよ」
 リーマスはくたびれた笑みを浮かべた。今月の満月からまだあまり日が経っていなかった。
「とか言って、お前結構モテてるだろ。俺は知ってるぞ、ハッフルパフのジェーンから告白されたのを」
「なんでそれを知ってるんだ?」
 リーマスは動揺したようで、持っていた教科書を落とした。慌てて拾いながらジェームズを見上げる。ジェームズはにやりと笑った。
「ホグワーツの中のことなら、俺は何でも知ってるんだ」
 それだけジェームズが忍びの地図を見ているということだ。自分たちで作ったその地図は確かに、ずっと見ていたくなるほど興味をそそる魔法がかかっていた。

「なあ、ミョウジ。今更だが、裏切り者の俺と喋って大丈夫なのか?」
 その質問をしたのはOWLから解放された、暖かい春の日のことだった。外で日を浴びようとも思わず、黙々と図書館に引きこもっている彼女に、シリウスも付き合っていた。ミョウジは本から顔を上げ、「大丈夫」と言った。
「もう私はお父様やお母様に何の期待もされてないの。興味もないみたい。ただ勘当されないのはお兄様のおかげ。お兄様が親と私の間を仲介してくれてる」
「そうなのか……兄さんはデスイーターになったんだったな?」
「そう。両親の期待を背負って、あの人の部下になった」
 ミョウジは目の前にある本の山の向こうを見つめた。光の中に舞う埃を見ているようで、見ていなかった。彼女の目はもっと遠くを見つめていた。
「……お兄様、デスイーターになってからちょっと怖くなった。今までそんなこと思ったことなかったのに」
 シリウスは何も言わず、手元にあった羽根ペンの羽根に触れていた。ミョウジの次の言葉を待った。
「……あなたは今、家出してジェームズのところにいるんでしょう?」
 彼女の青い瞳がこちらを向いた。
「ああ、そうだ。けどずっとジェームズのところにはいられない」
「じゃあどうするの?」
「……最近、叔父のアルファードが死んだんだ」
 この話はまだジェームズにも話していなかった。それを先にミョウジに話すのは不思議な気分だなと、シリウスは心の中で笑った。
「大好きな叔父だった。叔父は俺にかなりの量の金貨を遺してくれた。それを使って一人暮らししようと思ってる」
「そうなの……」
「……ミョウジ、お前も来ないか?」
 気付けば彼女を誘っていた。ミョウジはハッとこちらを見た。警戒しているようだった。シリウスは慌てて言葉を続ける。
「何も、一緒に暮らそうって言ってるわけじゃない。ただ、近いところで暮らして助け合えたらと思っただけだ」
「それは……いい案だと思うけど……」
 ミョウジの瞳が揺れた。葛藤しているようだった。
「だろ? ジェームズとも会う機会は増える」
 言った途端、ミョウジは目を伏せた。思い詰めたような顔をしていた。
「どうした?」
「……ジェームズは、もうリリーしか見てないの。あなたと話しても嫉妬しないし、私の前で髪の乱れを気にしたりもしない。私の調べ物も全部無駄なの。時を戻す方法なんて、闇魔術にもないの」
 彼女が泣いていると気づいたのは、鼻をすすりだしたからだった。
「お、おい、ミョウジ……?」
「エヘン、エヘン」
 司書が咳払いする。とりあえず出ようと言って、シリウスは彼女を外へ連れ出した。重い扉を開き、誰もいない広間に入る。
「……大丈夫か?」
「……うん」
 ミョウジは先程より落ち着いたようだった。少なくとも涙はもう見せていなかった。
「……私、時々思うの。なんでジェームズを好きになっちゃったんだろうって。あなたを好きになってればよかったのにって」
「最低な女でしょう?」と彼女は自嘲した。
「手が届かないから、近くにいるあなたを好きになろうとしてる自分がいるの。そんな私は、あなたと話す資格もないわ」
「そんなことはない……過程はどうであれ、お前が俺を好きになってくれたら、嬉しい」
 正直に応えると、「優しいのね」とミョウジは微笑んだ。その笑みがあまりにも弱々しく、寂しげだったから、シリウスは思わず彼女を抱きしめていた。
「ブラック……?」
「……なあ、やっぱり俺と来ないか?」
 たっぷりとしたブロンドに鼻を埋めながら、耳元で囁く。抱きしめるとあまりにも華奢で、加減を間違えれば脆く壊れてしまいそうだった。
「俺はお前を泣かせたりはしないし、何があろうとずっと好きでいる自信がある……一緒に行こう、ナマエ」
 彼女はただ身を固くしていたが、やがてそろりと腕を伸ばしてきた。遠慮するように、そっと背中に手が置かれる。それが、彼女の返事だった。

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