セブルス・スネイプという同級生について、私が知っていることは少ない。スリザリン生で、髪がベタベタしていて細身で、マグル生まれを蔑み、ジェームズ・ポッターやシリウス・ブラックとやり合っている。そのくらいしかグリフィンドール生の私は知らなかったが、最近わかったことがある――スネイプは、リリーと仲がいい。
なぜそれを知ったかと言うと、彼らが中庭で話しているのを見たからだ。リリーがスネイプに何かを訴えていたが、スネイプはそれを話半分で聞いているように見えた。それどころかスネイプは、リリーの表情に目を奪われているようだった。何かを必死で言うリリーに対して、時折笑みさえ浮かべていた。その目は熱を帯びていて、私ははっきりとそれを理解した。
普段はマグル生まれを穢れた血と呼んでいるくせに、と悔しく思った。リリーは特別だとでも言うのか。彼女が賢く、美しいから。
その日の夜、談話室でそれとなくリリーに尋ねた。
「リリーはスネイプと付き合ってるの?」
純粋に疑問を問うような声音で言う。リリーは「何言ってるの!?」と赤くなった。
「そんな訳ないでしょう? 彼は友達よ」
どこかしどろもどろになる彼女に、「ふーん」と相槌を打つ。なんだ、面白くない。リリーもまたスネイプに気があるのだ。
翌日一人で歩くスネイプに声をかけた。
「ねえ」
振り向いたスネイプは眉根を寄せて、不機嫌そうに言った。
「何だ?」
そう、この態度だ。いつもこんな機嫌の悪そうな態度をとる。特にグリフィンドール生に対しては。
「……あなた、リリーのこと好きでしょう?」
単刀直入に言う。スネイプは表情を変えなかった。
「……好きじゃない」
否定されるとは思っていたが、こうもはっきりと言われるとは思っておらず、呆気に取られる。リリーと一緒にいるところを写真に撮って、見せてあげたらどんな反応をしただろう。
「じゃあさ――」
生憎キューピッドになるつもりはなかった。
「私と付き合わない?」
スネイプは、今度も表情を変えなかった。ただこちらの腹を探るように、眉をひそめてじっと見ていた。言葉を続ける。
「私、あなたのことがその……ちょっと気になってるの。だから――」
「付き合わない」
スネイプは素っ気なく言った。自分に気がないとはいえ、もう少し考えてもいいのではないだろうか。まあ、自分もスネイプを試しただけなのだが。
「そう」
すんなり引き下がる。スネイプが歩き出すのと、私が反対側へ歩き出すのは同時だった。
両思いなら付き合ってしまえばいいのに、そうしないのはリリーがマグル生まれだからだろうか。いずれにしても自分には関係ない事だ。そう割りきれたらいいのだが、彼女と話すスネイプの穏やかな顔が目に焼き付いていた。
それから一年ほど経った九月のある日、なんとスネイプから告白された。
「……本気で言ってる?」
「ああ、本気だ」
スネイプは言葉とは裏腹に、心底自分と付き合いたくないというような顔で言った。私は憐れに思った。この人はリリーの心を取り戻すために、私を利用しようとしているのだ。
「……いいよ」
私は答えた。けれど意地が悪いから、こう続けてしまう。
「ただ、普通の恋人同士がするようなことをしてくれるなら、いいよ」
スネイプは怯んだようだった。しばらく黙って、こう言った。
「……わかった」
それが私とスネイプの関係の始まりだった。
まずは名前で呼び合うことから始まった。スニベルスと揶揄される彼の本名はセブルスと言う。
「セブルス」
見かけた背中に声をかける。セブルスは振り返った。その顔に笑みが浮かんでいる訳もなく、眉の間の皺が薄まることもない。
「なんだ?」と尋ねる彼の声音は、どうでもいいことで呼んだとしたら承知しない、というような声だった。私はもう慣れたものなので怯まずに言う。
「明日、一緒にホグズミードに行かない?」
眉間のしわが深まった。けれど彼に拒否権はない。
「……ああ」
苦しむように出した言葉に、私はにっこり笑ってみせる。
「決まりね、一一時に玄関ホールで待ち合わせしましょう」
「わかった……」
「じゃあ」
手を振って別れる。彼の背中を見送っていると、「おいおいおいおい」と後ろから声をかけられた。ジェームズだ。ジェームズがいるということは、シリウスとリーマス、ピーターも付いてくる。
「ナマエ、君ほんとにスニベルスと付き合ったのかい!?」
「冗談だろ、あんな奴と付き合うなんて」
彼らの反応は予想していたので「付き合ってるよ」と軽く言えば、ますますジェームズたちは声を上げた。
「嘘だろ、今までまともな男と付き合ってたじゃないか! なんであいつなんだ?」
シリウスがセブルスの背中を睨みながら言う。私は答えた。
「魔法薬学にも呪文にも詳しいし、クールだから」
彼から告白されたことは内緒にした。それをネタにしてセブルスを攻撃しそうだからだ。
「クールって次元じゃないだろ、目を覚ませナマエ!」
ジェームズにがくがくと肩を揺すられる。それもそうだろう。マグル生まれを穢れた血と言う――リリーにも口が滑って言ってしまった――差別主義者と付き合うなんて、自分でもどうかしていると思うが、セブルスを可哀想に思ってしまったのだから仕方がない。
「ちょっと、何やってるのよ! ナマエを離しなさいよ」
揺すられるがままになっていると、リリーがやってきた。ジェームズが肩から手を離す。どこか嬉しそうだ。
「だってリリー、ナマエがスニベリーと付き合ってるって言うんだぜ?」
「えっ?」
リリーもまた知らなかったらしい。彼女は私に「ほんとなの?」と尋ねた。頷けば、真剣な顔で彼女は言う。
「……ナマエ、あの人だけはダメよ。目を覚ました方がいいわ」
セブルスの作戦はまったく効いていないのだとリリーの瞳で悟る。彼女は私を本気で説得しようとしている。可哀想なセブルス。心の中で呟いて、私は言った。
「……私は正気よ、セブルスが好きなの。みんなあーだこーだ言うけど、彼はいい人よ」
――私の条件を飲んでくれたし。
皆は呆れた顔で私を見て、それからもう正気ではないのだと肩を竦めた。「あーもう、解散解散」とジェームズは言い、彼らは去っていった。残ったのはリリーだけだった。
「……ナマエが選んだことなら、もう何も言わないわ。ただ、気をつけて……あの人もあの人の仲間も、闇の魔術に精通してるわ」
「わかってる」と私は微笑んでみせた。リリーはまだ何か言いたげだったけれど、言葉を飲んで去っていった。
さて、と私は腰に手を当てる。明日はどんな服を着ていこうか。セブルスを哀れんで付き合ってあげているのは本当だけれど、彼との初デートを楽しみにしている自分がいた。
どうせなら、と思う。どうせなら、セブルスをこちらへ向かせたい。そうして私以外見えなくして、切羽詰まった彼が見たい。想像してぞくりと震える。性から最も遠い男を落とす快楽は計り知れない。ましてや違う女を好きで好きでたまらなくて気を引きたくて、しょうがなく私を選んだ男なんて。
自然と笑みが浮かぶ――絶対に、セブルスを落としてみせる。
セブルスは地味な服装で立っていた。古い灰色のセーターに茶色のズボンに黒のマント。一方で私はおめかししている。水色のセーターにふんわりとしたスカート。コートはウールの薄茶色。あえてマグルの格好をしていったが、やはりセブルスは気に食わなかったようだ。
「なんだ、その格好は。マントくらい着ろ」
「いやよ、寒いんだもの……行きましょ」
スルーして扉を開ければ、半歩遅れてセブルスが付いてきた。
雪が降りしきるホグズミードは、ホグワーツ生が行き交っていた。カップルも多く、元彼と会わないようにしないとと気を引きしめる。別に会ってもいいのだが、絶対にセブルスを値踏みされるため、セブルスのためにも避けたかった。
思えば私はセブルスよりも恋愛経験は多い。たぶんリリーよりも。私はリリーほどではないけれど可愛さはあるし、告白すればある程度オーケーをもらえる。恋愛はいかに自分に夢中にさせるかを考えるゲームだ。今までもそうだった。そうして自分の思い通りになると、彼への興味はなくなった。
さてセブルスはどうなのだろうと、私はちらと隣を見る。マフラーを巻いた彼の顔は半分隠れていたが、眉間の皺ははっきりとわかる。こんなところに私と歩くなど不本意だという顔をしている。私はそっとその手を取ろうとした。しかし――「何をする」
払われてしまった。
「何って、手を繋ぐだけよ。恋人同士なんだから、そういうことしないと」
そう言えば、セブルスは諦めたように手を差し出してきた。私は笑ってその手を握る。もちろん恋人繋ぎだ。セブルスの手は私より少し大きく、乾燥していた。
「……セブルスの手、あったかい」
使い古したフレーズを言ってみる。セブルスは鼻を鳴らした。なるほど、一筋縄ではいかないらしい。
とりあえず寒いので三本の箒に入ることにした。マダム・パディフットの喫茶店でもよかったが、彼の眉間の皺が余計に増えるだろうと思い、やめた。
暖かい店内に入り、隅のテーブルに座る。暖炉が近くにあるため、より足下を暖めてくれる。
「私はバタービール飲むけど、何頼む?」
「……僕もそれでいい」
「了解」と応えてマダム・ロスメルタに注文する。
「……ねえ、セブルスはさ、私のどこを好きになったの?」
マダム・ロスメルタが去ってから、セブルスと向き合って問いかける。意地悪な質問だ。私など好きでも何でもないだろうから。セブルスは案の定言葉に詰まった。絶対に聞いてやろうという姿勢で彼の言葉を待つ。しばらくしてセブルスは言った。
「……君の顔だ」
「はい?」
「君の顔がタイプだったんだ……これでいいか?」
セブルスは告白に近いことを言っているというのに、恥じるそぶりもなく平然と言った。自分に興味がない証拠だ。やはりセブルスは自分を利用しようとしているらしい。ぞくぞくと震えが走る。この男を赤面させたい。目が合うだけでどぎまぎと目を逸らしてしまうように、させたい。
そのうちにバタービールがやってきた。とりあえず乾杯をし、口をつける。
「おいし……」
向かいを見ると、セブルスの口に泡のひげがついていた。
「ふふ、セブルス髭ついてるよ」
笑いながら指摘すると、セブルスは服で拭おうとした。だから私は待って、と言って、ハンカチを取り出して彼の口を拭いた。
「……ありがとう」
不承不承ながらも、セブルスは一応お礼が言えるらしい。
「いいよ。それより、もっと暖かいとこ行かない?」
ちらと二階に誰もいないことを確認する。
「暖かいとこ?」
「そう、二人っきりになれるとこ」
セブルスの眉間に皺が増える。
「どこに行くんだ?」
「上よ。あそこは穴場なの」
私は立ち上がって、バタービールを片手にセブルスの手を取った。セブルスは今度は振り払わなかった。仕方がないというような様子で立ち上がる。
二階は一階よりも暖かく、居心地が良い。奥の二人がけのテーブルに座る。
「どう? 誰もいなくていいでしょ」
セブルスは無言でバタービールを飲んだ。
それから話をした。セブルスが何か話すわけはなく、主に私が話した。自分をさらけ出せば、彼も自ずと興味を持ってくれるはずだ。案の定、自分がアニメーガスであることを打ち明けると、その仏頂面が少し崩れた。
「へえ。何の動物だ?」
これは誰にも言ったことがなかった。もちろん魔法省にも登録していない。感心したように言うセブルスに応える。
「牝鹿よ。バンビちゃん。かわいいでしょ?」
セブルスは頷いた。適当な頷きだった。
「何でアニメーガスになろうと思った?」
「元々変身術は得意だったんだけど、マクゴナガル先生がアニメーガスだから興味が湧いたの。習得まで三年かかったわ……あなたがアニメーガスなら、絶対コウモリでしょうね」
セブルスは不可解だとばかりに眉をひそめた。
「なんでコウモリなんだ?」
「別に理由なんてないわ。髪も瞳も黒いし、それでなんとなく」
――血色も悪いし。
心の中で付け加える。セブルスは納得していないようだった。案外かわいいところがあるのかもしれない。
「セブルスは魔法薬学が得意みたいだけど、リリーと予習か何かしたりしてたの?」
口が滑ったと気づいたのは、セブルスがぎゅっと眉をひそめていたからだ。慌てて付け加える。
「ほら、リリーも魔法薬学得意だから……ごめん、応えなくていいよ」
「……たまに」
セブルスはゆっくりと言った。
「たまに、一緒に予習はしていた」
「そう……」
これは私が悪い。まだ癒えていないセブルスの傷をえぐるような真似をしてしまった。沈黙が流れる。私は思いきって、自分の考えを話すことにした。
「……私ね」
バタービールを一口飲む。
「あなたがリリーの気を引きたくて、私に告白してくれたってわかってるの」
セブルスは何も言わず自分を見ている。その瞳はどこまでも「無」だ。
「だから私、セブルスの心が私だけに向くようにしたいと思ってる……私だけを愛するように」
私はそっとセブルスの手を取った。かさついた手。薬の材料を触っているから、こんな手になったのだろうか。
「……勝手にしろ」
セブルスは言った。
「僕が君を好きになることは絶対にないと思うが」
「ふーん?」
笑いがこみ上げる。セブルスは絶対的な自信を持っている。そんな男だからこそ付き合うことにしたのだ。憐憫があったとは言え。
「そんなこと言って、私の手は振り払わないのね」
セブルスはさっと手を払った。思わず笑ってしまう。
「あなた、実は人の体温を欲してるんじゃない?」
「欲してない……」
「でもそれは全然悪いことじゃないのよ。人の体温は心を解してくれる……人間である限り、触れ合いは必要だわ」
立ち上がり、セブルスの隣に屈む。「何だ」と不機嫌そうに言う彼の頬を、ゆっくりと撫でた。ぱちんという音と共に手に鈍い痛みが走る。
「何を……!」
「こうしたらあなたがどう反応するか知りたくて」
セブルスが一瞬、一瞬だけうっとりと目を細めたのを私は見逃さなかった。
「気持ちよかったでしょう? せっかく付き合ってるんだから、こういうこともしていかないと」
「付き合ってるとは言え、僕は君を好きじゃない。こういうことは好き合っている者同士がすべきものだ」
「あなた、私が付き合うって言ったときの条件を忘れたの?」
セブルスは黙った。忘れていたらしい。
「決まりね。明日から毎晩、ご飯を食べた後四階の空き教室に来て。約束」
「……行かなかったら?」
「別れるわ」
セブルスは律儀に約束を守った。来ない可能性が高かったので、私は驚いた。それだけ別れたくなかったということだ。リリーにこの作戦は全く効いていないというのに。
「ここで何をするんだ?」
「話したり、触れ合ったり、色々よ……昨日は私が全部話したから、今度はあなたの話が聞きたいわ」
とりあえず座って、と横の席を指すと、セブルスは座った。
「……何が聞きたい?」
「あなたの家庭とか、過去とか、そんなところ」
軽い気持ちで言ってみたが、セブルスにとって家庭だったり過去だったりは苦いものだったらしく、一層眉をひそめた。それでも私は促した。自分も嫌なことをさらけ出したのだ、セブルスもそうしなければならない。
「……母は魔女で父はマグルだった」
そう切り出したセブルスの話はこうだった。マグルの父は魔法も何もかもを嫌い、よく母と喧嘩し、時には暴力も揮っていた。その度にセブルスは地下の暗がりに行き、耳を塞いだ。ホグワーツに入学してからは、休暇でも家に帰っていないと言う。
「……だからあなたは闇の魔術に詳しかったのね」
生まれた時から暗闇だけが味方だったのだ。自然と闇の魔術が身に付いてしまう。セブルスは考えたことがなかったようで、はっとしたような顔をしていた。
「そうかもしれない……」
「この話は誰かにしたことなかったの?」
「話したのは君で二人目だ」
一人目は言うまでもなくリリーだろう。そう思うと同時に胸がざわめいた。リリーに対する嫉妬、なのだろうか。自分が本気になってどうする、とその感情を押し込んだ。
「……話してくれてありがとう」
「いや」
思いの外重い話だったため、話を変えることができずお互い黙ってしまう。私はなんとなく、その話を聞いてセブルスがリリーに惹かれたのもわかる気がした。リリーは太陽のように明るく素直な子だ。暗闇にいたセブルスが光を欲するのも道理だ。
では私に何ができるだろう。私はリリーにはなれない。だったら月になって、暗闇に寄り添うくらいしかできない。
「……あなたは強いひとだわ」
私の口からは理想に反し、陳腐な言葉しか出てこない。
「ずっと一人で抱えて、大変だったでしょう」
同情するなと怒られそうだったが、セブルスは怒らなかった。ただ、静かに言った。
「……そうでもない。リリーだけは知っていたから」
「あなたとリリーは昔から仲が良かったの?」
「ああ。ホグワーツに入る前から会っていた」
セブルスは淡々と言った。そうならば、リリーとの絆を失った悲しみは大きいだろう。
「……僕はリリーと仲直りがしたい」
今の声音には苦しみと悔しさが混じっていた。はっとセブルスを見る。彼は俯いていた。
「そのためにはどんな手段も辞さない……君と付き合っているのもそのためだ――すまない」
今更謝られても、という気持ちはあったけれど、その言葉には心が込められていた。
「この手段がダメならデスイーターになって、リリーの心を取り戻さなければならない」
「……それは間違ってる」
セブルスは顔を上げた。
「私のこと好きじゃないのに付き合ってるのも、倫理的にあれだけど……デスイーターになって、リリーの心が戻るなんて本気で言ってるの?」
私は怒りを抱いていた。昔からリリーと過ごしてきたくせに、なぜ彼女のことがわからないのだろう。
「リリーは闇の魔術を嫌ってる。それすらわからないの? あなた、リリーの何を見てたの?」
「…………」
私の剣幕に、セブルスは呆気に取られたようだった。
「デスイーターになるっていうのは、本当はリリーの心を取り戻す為じゃなくて、あなたがなりたいからじゃないの?」
呆れながら言う。この男は人の本質が見られない男なのだ。子供でもわかるというのに。交友関係が少ないからそうなったのかもしれないが。
セブルスは黙り込んだ。衝撃の事実だったようだ。自分の言ったことも当たっているのだろう。マルシベールなど、彼と時々一緒にいる同級生はきっとデスイーターになる。セブルスもその道を目指すのは自然な流れなのだろう。
「とにかく……デスイーターになるのはやめて」
「なぜ君にそれを言う権利がある?」
「あなたの彼女だもの、止める権利はあるわ」
机に肘をつきながら言う。セブルスはため息をついた。
「……付き合っている間は闇の魔術に没頭するのをやめる。それでいいか?」
「いいわ」
この人はなんて不器用な生き方をしているのだろう。デスイーターになればリリーの心が取り戻せるなんて、本気で思っていたのだろうか。今は呆れよりもそれを愛おしく思う気持ちがあった。
立ち上がる。彼の隣に立てば、「何だ」とセブルスは怪訝そうな声で言った。それを無視して彼の頭に手を伸ばす。ベタつく感触を我慢しながら頭を私のお腹へくっつける。離れようとする彼を強引に抑える。
「何をする!」
「何って触れ合いよ。言ったでしょ、そういうこともするって」
抑えながらも頭を撫で続ければ、セブルスは大人しくなった。ベタベタしていそうな髪はやはり脂ぎっていたが、私は手を止めなかった。セブルスの心を解すように撫でる。
「……さっきも言ったけど、やっぱりあなたは強い人だわ。私があなたの立場だったら、狂っちゃうかもしれない。リリーの存在が大きかったのかもしれないけど、あなたが正気を保てたのはすごいことよ」
セブルスは無言で聞いている。どんな表情をしているかはわからない。わからないが、私の体温と指によって、穏やかな顔をしていればいい。
「……ねえ、キスしていい?」
不意にキスがしたくなり、聞く。「嫌だ」とくぐもった声が答えた。予想通りの反応に笑いが込上げる。
「セブルスはキスしたことある?」
「……ない」
「興味はないの?」
「……ないと言えば嘘になる」
「じゃあ、いいじゃない」
彼の頭から手を離し、屈む。ちょうど私がセブルスを見上げるかたちになる。セブルスの眉間のしわは少し薄まっている気がする。
「減るものじゃあるまいし」
「…………」
セブルスは無言だった。てっきり好きな者同士がやるべきだと言うかと思ったのに、彼は何も言わない――肯定の沈黙だった。
優しく彼の頬に手を添える。近づくと彼の血色の悪さがよくわかる。唇まで土気色なのだから、相当だ。真っ黒な瞳はこちらを写している。その奥にはかすかな熱が見えた。欲の熱か、それとも。
どちらにしても私の勝ちだ。勝利に浸りながら、その青みがかった唇へ口付けた。
back
なぜそれを知ったかと言うと、彼らが中庭で話しているのを見たからだ。リリーがスネイプに何かを訴えていたが、スネイプはそれを話半分で聞いているように見えた。それどころかスネイプは、リリーの表情に目を奪われているようだった。何かを必死で言うリリーに対して、時折笑みさえ浮かべていた。その目は熱を帯びていて、私ははっきりとそれを理解した。
普段はマグル生まれを穢れた血と呼んでいるくせに、と悔しく思った。リリーは特別だとでも言うのか。彼女が賢く、美しいから。
その日の夜、談話室でそれとなくリリーに尋ねた。
「リリーはスネイプと付き合ってるの?」
純粋に疑問を問うような声音で言う。リリーは「何言ってるの!?」と赤くなった。
「そんな訳ないでしょう? 彼は友達よ」
どこかしどろもどろになる彼女に、「ふーん」と相槌を打つ。なんだ、面白くない。リリーもまたスネイプに気があるのだ。
翌日一人で歩くスネイプに声をかけた。
「ねえ」
振り向いたスネイプは眉根を寄せて、不機嫌そうに言った。
「何だ?」
そう、この態度だ。いつもこんな機嫌の悪そうな態度をとる。特にグリフィンドール生に対しては。
「……あなた、リリーのこと好きでしょう?」
単刀直入に言う。スネイプは表情を変えなかった。
「……好きじゃない」
否定されるとは思っていたが、こうもはっきりと言われるとは思っておらず、呆気に取られる。リリーと一緒にいるところを写真に撮って、見せてあげたらどんな反応をしただろう。
「じゃあさ――」
生憎キューピッドになるつもりはなかった。
「私と付き合わない?」
スネイプは、今度も表情を変えなかった。ただこちらの腹を探るように、眉をひそめてじっと見ていた。言葉を続ける。
「私、あなたのことがその……ちょっと気になってるの。だから――」
「付き合わない」
スネイプは素っ気なく言った。自分に気がないとはいえ、もう少し考えてもいいのではないだろうか。まあ、自分もスネイプを試しただけなのだが。
「そう」
すんなり引き下がる。スネイプが歩き出すのと、私が反対側へ歩き出すのは同時だった。
両思いなら付き合ってしまえばいいのに、そうしないのはリリーがマグル生まれだからだろうか。いずれにしても自分には関係ない事だ。そう割りきれたらいいのだが、彼女と話すスネイプの穏やかな顔が目に焼き付いていた。
それから一年ほど経った九月のある日、なんとスネイプから告白された。
「……本気で言ってる?」
「ああ、本気だ」
スネイプは言葉とは裏腹に、心底自分と付き合いたくないというような顔で言った。私は憐れに思った。この人はリリーの心を取り戻すために、私を利用しようとしているのだ。
「……いいよ」
私は答えた。けれど意地が悪いから、こう続けてしまう。
「ただ、普通の恋人同士がするようなことをしてくれるなら、いいよ」
スネイプは怯んだようだった。しばらく黙って、こう言った。
「……わかった」
それが私とスネイプの関係の始まりだった。
まずは名前で呼び合うことから始まった。スニベルスと揶揄される彼の本名はセブルスと言う。
「セブルス」
見かけた背中に声をかける。セブルスは振り返った。その顔に笑みが浮かんでいる訳もなく、眉の間の皺が薄まることもない。
「なんだ?」と尋ねる彼の声音は、どうでもいいことで呼んだとしたら承知しない、というような声だった。私はもう慣れたものなので怯まずに言う。
「明日、一緒にホグズミードに行かない?」
眉間のしわが深まった。けれど彼に拒否権はない。
「……ああ」
苦しむように出した言葉に、私はにっこり笑ってみせる。
「決まりね、一一時に玄関ホールで待ち合わせしましょう」
「わかった……」
「じゃあ」
手を振って別れる。彼の背中を見送っていると、「おいおいおいおい」と後ろから声をかけられた。ジェームズだ。ジェームズがいるということは、シリウスとリーマス、ピーターも付いてくる。
「ナマエ、君ほんとにスニベルスと付き合ったのかい!?」
「冗談だろ、あんな奴と付き合うなんて」
彼らの反応は予想していたので「付き合ってるよ」と軽く言えば、ますますジェームズたちは声を上げた。
「嘘だろ、今までまともな男と付き合ってたじゃないか! なんであいつなんだ?」
シリウスがセブルスの背中を睨みながら言う。私は答えた。
「魔法薬学にも呪文にも詳しいし、クールだから」
彼から告白されたことは内緒にした。それをネタにしてセブルスを攻撃しそうだからだ。
「クールって次元じゃないだろ、目を覚ませナマエ!」
ジェームズにがくがくと肩を揺すられる。それもそうだろう。マグル生まれを穢れた血と言う――リリーにも口が滑って言ってしまった――差別主義者と付き合うなんて、自分でもどうかしていると思うが、セブルスを可哀想に思ってしまったのだから仕方がない。
「ちょっと、何やってるのよ! ナマエを離しなさいよ」
揺すられるがままになっていると、リリーがやってきた。ジェームズが肩から手を離す。どこか嬉しそうだ。
「だってリリー、ナマエがスニベリーと付き合ってるって言うんだぜ?」
「えっ?」
リリーもまた知らなかったらしい。彼女は私に「ほんとなの?」と尋ねた。頷けば、真剣な顔で彼女は言う。
「……ナマエ、あの人だけはダメよ。目を覚ました方がいいわ」
セブルスの作戦はまったく効いていないのだとリリーの瞳で悟る。彼女は私を本気で説得しようとしている。可哀想なセブルス。心の中で呟いて、私は言った。
「……私は正気よ、セブルスが好きなの。みんなあーだこーだ言うけど、彼はいい人よ」
――私の条件を飲んでくれたし。
皆は呆れた顔で私を見て、それからもう正気ではないのだと肩を竦めた。「あーもう、解散解散」とジェームズは言い、彼らは去っていった。残ったのはリリーだけだった。
「……ナマエが選んだことなら、もう何も言わないわ。ただ、気をつけて……あの人もあの人の仲間も、闇の魔術に精通してるわ」
「わかってる」と私は微笑んでみせた。リリーはまだ何か言いたげだったけれど、言葉を飲んで去っていった。
さて、と私は腰に手を当てる。明日はどんな服を着ていこうか。セブルスを哀れんで付き合ってあげているのは本当だけれど、彼との初デートを楽しみにしている自分がいた。
どうせなら、と思う。どうせなら、セブルスをこちらへ向かせたい。そうして私以外見えなくして、切羽詰まった彼が見たい。想像してぞくりと震える。性から最も遠い男を落とす快楽は計り知れない。ましてや違う女を好きで好きでたまらなくて気を引きたくて、しょうがなく私を選んだ男なんて。
自然と笑みが浮かぶ――絶対に、セブルスを落としてみせる。
セブルスは地味な服装で立っていた。古い灰色のセーターに茶色のズボンに黒のマント。一方で私はおめかししている。水色のセーターにふんわりとしたスカート。コートはウールの薄茶色。あえてマグルの格好をしていったが、やはりセブルスは気に食わなかったようだ。
「なんだ、その格好は。マントくらい着ろ」
「いやよ、寒いんだもの……行きましょ」
スルーして扉を開ければ、半歩遅れてセブルスが付いてきた。
雪が降りしきるホグズミードは、ホグワーツ生が行き交っていた。カップルも多く、元彼と会わないようにしないとと気を引きしめる。別に会ってもいいのだが、絶対にセブルスを値踏みされるため、セブルスのためにも避けたかった。
思えば私はセブルスよりも恋愛経験は多い。たぶんリリーよりも。私はリリーほどではないけれど可愛さはあるし、告白すればある程度オーケーをもらえる。恋愛はいかに自分に夢中にさせるかを考えるゲームだ。今までもそうだった。そうして自分の思い通りになると、彼への興味はなくなった。
さてセブルスはどうなのだろうと、私はちらと隣を見る。マフラーを巻いた彼の顔は半分隠れていたが、眉間の皺ははっきりとわかる。こんなところに私と歩くなど不本意だという顔をしている。私はそっとその手を取ろうとした。しかし――「何をする」
払われてしまった。
「何って、手を繋ぐだけよ。恋人同士なんだから、そういうことしないと」
そう言えば、セブルスは諦めたように手を差し出してきた。私は笑ってその手を握る。もちろん恋人繋ぎだ。セブルスの手は私より少し大きく、乾燥していた。
「……セブルスの手、あったかい」
使い古したフレーズを言ってみる。セブルスは鼻を鳴らした。なるほど、一筋縄ではいかないらしい。
とりあえず寒いので三本の箒に入ることにした。マダム・パディフットの喫茶店でもよかったが、彼の眉間の皺が余計に増えるだろうと思い、やめた。
暖かい店内に入り、隅のテーブルに座る。暖炉が近くにあるため、より足下を暖めてくれる。
「私はバタービール飲むけど、何頼む?」
「……僕もそれでいい」
「了解」と応えてマダム・ロスメルタに注文する。
「……ねえ、セブルスはさ、私のどこを好きになったの?」
マダム・ロスメルタが去ってから、セブルスと向き合って問いかける。意地悪な質問だ。私など好きでも何でもないだろうから。セブルスは案の定言葉に詰まった。絶対に聞いてやろうという姿勢で彼の言葉を待つ。しばらくしてセブルスは言った。
「……君の顔だ」
「はい?」
「君の顔がタイプだったんだ……これでいいか?」
セブルスは告白に近いことを言っているというのに、恥じるそぶりもなく平然と言った。自分に興味がない証拠だ。やはりセブルスは自分を利用しようとしているらしい。ぞくぞくと震えが走る。この男を赤面させたい。目が合うだけでどぎまぎと目を逸らしてしまうように、させたい。
そのうちにバタービールがやってきた。とりあえず乾杯をし、口をつける。
「おいし……」
向かいを見ると、セブルスの口に泡のひげがついていた。
「ふふ、セブルス髭ついてるよ」
笑いながら指摘すると、セブルスは服で拭おうとした。だから私は待って、と言って、ハンカチを取り出して彼の口を拭いた。
「……ありがとう」
不承不承ながらも、セブルスは一応お礼が言えるらしい。
「いいよ。それより、もっと暖かいとこ行かない?」
ちらと二階に誰もいないことを確認する。
「暖かいとこ?」
「そう、二人っきりになれるとこ」
セブルスの眉間に皺が増える。
「どこに行くんだ?」
「上よ。あそこは穴場なの」
私は立ち上がって、バタービールを片手にセブルスの手を取った。セブルスは今度は振り払わなかった。仕方がないというような様子で立ち上がる。
二階は一階よりも暖かく、居心地が良い。奥の二人がけのテーブルに座る。
「どう? 誰もいなくていいでしょ」
セブルスは無言でバタービールを飲んだ。
それから話をした。セブルスが何か話すわけはなく、主に私が話した。自分をさらけ出せば、彼も自ずと興味を持ってくれるはずだ。案の定、自分がアニメーガスであることを打ち明けると、その仏頂面が少し崩れた。
「へえ。何の動物だ?」
これは誰にも言ったことがなかった。もちろん魔法省にも登録していない。感心したように言うセブルスに応える。
「牝鹿よ。バンビちゃん。かわいいでしょ?」
セブルスは頷いた。適当な頷きだった。
「何でアニメーガスになろうと思った?」
「元々変身術は得意だったんだけど、マクゴナガル先生がアニメーガスだから興味が湧いたの。習得まで三年かかったわ……あなたがアニメーガスなら、絶対コウモリでしょうね」
セブルスは不可解だとばかりに眉をひそめた。
「なんでコウモリなんだ?」
「別に理由なんてないわ。髪も瞳も黒いし、それでなんとなく」
――血色も悪いし。
心の中で付け加える。セブルスは納得していないようだった。案外かわいいところがあるのかもしれない。
「セブルスは魔法薬学が得意みたいだけど、リリーと予習か何かしたりしてたの?」
口が滑ったと気づいたのは、セブルスがぎゅっと眉をひそめていたからだ。慌てて付け加える。
「ほら、リリーも魔法薬学得意だから……ごめん、応えなくていいよ」
「……たまに」
セブルスはゆっくりと言った。
「たまに、一緒に予習はしていた」
「そう……」
これは私が悪い。まだ癒えていないセブルスの傷をえぐるような真似をしてしまった。沈黙が流れる。私は思いきって、自分の考えを話すことにした。
「……私ね」
バタービールを一口飲む。
「あなたがリリーの気を引きたくて、私に告白してくれたってわかってるの」
セブルスは何も言わず自分を見ている。その瞳はどこまでも「無」だ。
「だから私、セブルスの心が私だけに向くようにしたいと思ってる……私だけを愛するように」
私はそっとセブルスの手を取った。かさついた手。薬の材料を触っているから、こんな手になったのだろうか。
「……勝手にしろ」
セブルスは言った。
「僕が君を好きになることは絶対にないと思うが」
「ふーん?」
笑いがこみ上げる。セブルスは絶対的な自信を持っている。そんな男だからこそ付き合うことにしたのだ。憐憫があったとは言え。
「そんなこと言って、私の手は振り払わないのね」
セブルスはさっと手を払った。思わず笑ってしまう。
「あなた、実は人の体温を欲してるんじゃない?」
「欲してない……」
「でもそれは全然悪いことじゃないのよ。人の体温は心を解してくれる……人間である限り、触れ合いは必要だわ」
立ち上がり、セブルスの隣に屈む。「何だ」と不機嫌そうに言う彼の頬を、ゆっくりと撫でた。ぱちんという音と共に手に鈍い痛みが走る。
「何を……!」
「こうしたらあなたがどう反応するか知りたくて」
セブルスが一瞬、一瞬だけうっとりと目を細めたのを私は見逃さなかった。
「気持ちよかったでしょう? せっかく付き合ってるんだから、こういうこともしていかないと」
「付き合ってるとは言え、僕は君を好きじゃない。こういうことは好き合っている者同士がすべきものだ」
「あなた、私が付き合うって言ったときの条件を忘れたの?」
セブルスは黙った。忘れていたらしい。
「決まりね。明日から毎晩、ご飯を食べた後四階の空き教室に来て。約束」
「……行かなかったら?」
「別れるわ」
セブルスは律儀に約束を守った。来ない可能性が高かったので、私は驚いた。それだけ別れたくなかったということだ。リリーにこの作戦は全く効いていないというのに。
「ここで何をするんだ?」
「話したり、触れ合ったり、色々よ……昨日は私が全部話したから、今度はあなたの話が聞きたいわ」
とりあえず座って、と横の席を指すと、セブルスは座った。
「……何が聞きたい?」
「あなたの家庭とか、過去とか、そんなところ」
軽い気持ちで言ってみたが、セブルスにとって家庭だったり過去だったりは苦いものだったらしく、一層眉をひそめた。それでも私は促した。自分も嫌なことをさらけ出したのだ、セブルスもそうしなければならない。
「……母は魔女で父はマグルだった」
そう切り出したセブルスの話はこうだった。マグルの父は魔法も何もかもを嫌い、よく母と喧嘩し、時には暴力も揮っていた。その度にセブルスは地下の暗がりに行き、耳を塞いだ。ホグワーツに入学してからは、休暇でも家に帰っていないと言う。
「……だからあなたは闇の魔術に詳しかったのね」
生まれた時から暗闇だけが味方だったのだ。自然と闇の魔術が身に付いてしまう。セブルスは考えたことがなかったようで、はっとしたような顔をしていた。
「そうかもしれない……」
「この話は誰かにしたことなかったの?」
「話したのは君で二人目だ」
一人目は言うまでもなくリリーだろう。そう思うと同時に胸がざわめいた。リリーに対する嫉妬、なのだろうか。自分が本気になってどうする、とその感情を押し込んだ。
「……話してくれてありがとう」
「いや」
思いの外重い話だったため、話を変えることができずお互い黙ってしまう。私はなんとなく、その話を聞いてセブルスがリリーに惹かれたのもわかる気がした。リリーは太陽のように明るく素直な子だ。暗闇にいたセブルスが光を欲するのも道理だ。
では私に何ができるだろう。私はリリーにはなれない。だったら月になって、暗闇に寄り添うくらいしかできない。
「……あなたは強いひとだわ」
私の口からは理想に反し、陳腐な言葉しか出てこない。
「ずっと一人で抱えて、大変だったでしょう」
同情するなと怒られそうだったが、セブルスは怒らなかった。ただ、静かに言った。
「……そうでもない。リリーだけは知っていたから」
「あなたとリリーは昔から仲が良かったの?」
「ああ。ホグワーツに入る前から会っていた」
セブルスは淡々と言った。そうならば、リリーとの絆を失った悲しみは大きいだろう。
「……僕はリリーと仲直りがしたい」
今の声音には苦しみと悔しさが混じっていた。はっとセブルスを見る。彼は俯いていた。
「そのためにはどんな手段も辞さない……君と付き合っているのもそのためだ――すまない」
今更謝られても、という気持ちはあったけれど、その言葉には心が込められていた。
「この手段がダメならデスイーターになって、リリーの心を取り戻さなければならない」
「……それは間違ってる」
セブルスは顔を上げた。
「私のこと好きじゃないのに付き合ってるのも、倫理的にあれだけど……デスイーターになって、リリーの心が戻るなんて本気で言ってるの?」
私は怒りを抱いていた。昔からリリーと過ごしてきたくせに、なぜ彼女のことがわからないのだろう。
「リリーは闇の魔術を嫌ってる。それすらわからないの? あなた、リリーの何を見てたの?」
「…………」
私の剣幕に、セブルスは呆気に取られたようだった。
「デスイーターになるっていうのは、本当はリリーの心を取り戻す為じゃなくて、あなたがなりたいからじゃないの?」
呆れながら言う。この男は人の本質が見られない男なのだ。子供でもわかるというのに。交友関係が少ないからそうなったのかもしれないが。
セブルスは黙り込んだ。衝撃の事実だったようだ。自分の言ったことも当たっているのだろう。マルシベールなど、彼と時々一緒にいる同級生はきっとデスイーターになる。セブルスもその道を目指すのは自然な流れなのだろう。
「とにかく……デスイーターになるのはやめて」
「なぜ君にそれを言う権利がある?」
「あなたの彼女だもの、止める権利はあるわ」
机に肘をつきながら言う。セブルスはため息をついた。
「……付き合っている間は闇の魔術に没頭するのをやめる。それでいいか?」
「いいわ」
この人はなんて不器用な生き方をしているのだろう。デスイーターになればリリーの心が取り戻せるなんて、本気で思っていたのだろうか。今は呆れよりもそれを愛おしく思う気持ちがあった。
立ち上がる。彼の隣に立てば、「何だ」とセブルスは怪訝そうな声で言った。それを無視して彼の頭に手を伸ばす。ベタつく感触を我慢しながら頭を私のお腹へくっつける。離れようとする彼を強引に抑える。
「何をする!」
「何って触れ合いよ。言ったでしょ、そういうこともするって」
抑えながらも頭を撫で続ければ、セブルスは大人しくなった。ベタベタしていそうな髪はやはり脂ぎっていたが、私は手を止めなかった。セブルスの心を解すように撫でる。
「……さっきも言ったけど、やっぱりあなたは強い人だわ。私があなたの立場だったら、狂っちゃうかもしれない。リリーの存在が大きかったのかもしれないけど、あなたが正気を保てたのはすごいことよ」
セブルスは無言で聞いている。どんな表情をしているかはわからない。わからないが、私の体温と指によって、穏やかな顔をしていればいい。
「……ねえ、キスしていい?」
不意にキスがしたくなり、聞く。「嫌だ」とくぐもった声が答えた。予想通りの反応に笑いが込上げる。
「セブルスはキスしたことある?」
「……ない」
「興味はないの?」
「……ないと言えば嘘になる」
「じゃあ、いいじゃない」
彼の頭から手を離し、屈む。ちょうど私がセブルスを見上げるかたちになる。セブルスの眉間のしわは少し薄まっている気がする。
「減るものじゃあるまいし」
「…………」
セブルスは無言だった。てっきり好きな者同士がやるべきだと言うかと思ったのに、彼は何も言わない――肯定の沈黙だった。
優しく彼の頬に手を添える。近づくと彼の血色の悪さがよくわかる。唇まで土気色なのだから、相当だ。真っ黒な瞳はこちらを写している。その奥にはかすかな熱が見えた。欲の熱か、それとも。
どちらにしても私の勝ちだ。勝利に浸りながら、その青みがかった唇へ口付けた。
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