五

 セドリック・ディゴリーが例のあの人に殺され、また例のあの人の復活を認めない政府がアンブリッジをDADAの教授にしたことで、陰鬱な空気がホグワーツに漂っていた。ナマエは医務室にいながらも、その空気をひしひしと感じていた。
 力をつけたあの人に対抗するために、ダンブルドアは再び不死鳥の騎士団を結成した。もちろん騎士団にはナマエも、セブルスも入っている。セブルスはデスイーターとして例のあの人の元に戻り、二重スパイをすることになった。ナマエはセブルスの身を案じた。万が一彼がダンブルドア側だと知られたら――そう考えるだけで自然と体が震えた。
 セブルスは例のあの人に、自分と結婚していることを伝えた。その理由はダンブルドアに勧められたからということにしている。より一層ダンブルドアの懐に入るために、そしてデスイーターとして例のあの人の役に立てるように、結婚したというもっともらしい理由をつけている。そしてセブルスは、自分が闇の陣営に巻き込まれないよう、自分はセブルスが例のあの人側だと知らずにいる可哀想な妻だと話をしてくれた。セブルスの思いやりにナマエは感謝している。おかげで例のあの人に目をつけられずに済んでいる。
 例のあの人の元から帰ってきたセブルスは、決まってナマエの体温を欲した。体を合わせると、彼は冷たい手で自分をかき抱いた。セブルスにかけられる言葉などなく、ナマエは自分の体でしか彼の心を癒やせないことに不甲斐なさを感じていたが、セブルスはそれでいいのだと言った。
「君の温もりは私の心を解してくれる……言葉などいらない、こうして肌を合わせてくれるだけでいい」
 彼のささやきにキスで応える。彼の胸に頬を寄せると、心臓の音がするのがわかる。どく、どく、どく。セブルスの生きている証し。この音がいつか止まってしまったら――考えて、涙が出そうになる。それほどの危険をセブルスは冒している。
 彼を失う恐怖のあまり、ダンブルドアに抗議したこともある。しかしダンブルドアはセブルスの任務なしに戦うことはできないと断言した。それはナマエもわかっている。わかっていて、それでも抗議しているのだ。
「……セブルスは、あの人の元から帰ってくるといつも無言で私を抱きしめます。それだけ神経をすり減らしてるんです……どうか、彼を少しでも楽にしてあげられませんか?」
 ダンブルドアは首を振った。
「私もできるだけそうしてあげたいが、今はできん……すまない、ナマエ」
 ダンブルドアの言うとおりにすれば、例のあの人に勝てることはわかる。しかし、セブルスがダンブルドアに自分を殺すよう言われたと告白したときは、どうしようもない怒りが湧いてきた。
「どうして……どうしてあなたがダンブルドアを殺さなきゃいけないの?」
「……実は、ドラコが去年、デスイーターになった」
「えっ?」
「ダークロードはドラコに、ダンブルドア暗殺の任務を課した……私は学期が始まる前、ナルシッサと破れぬ誓いを結んだ――君のいないときにな。ドラコを守り、失敗しそうになった場合に、私が任務を遂行すると誓った」
 ナマエはセブルスの言葉が信じられなかった。破れぬ誓いを結んだなら――もし二人のうちどちらかが誓いを破れば、その者は死ぬ。
「そんな――」
 ダンブルドアを殺すか、セブルスが死ぬか。そのどちらかしか選択肢がない。
「……どうして」
 ナマエはその場に崩れ落ちた。
「どうして、あなたばかりそんな目に遭わなければならないの? あなたは幸せになっていいはずよ……そもそもダンブルドアがあなたに二重スパイなんてさせなければ――」
「……いいんだ」
 そっとこちらに屈んで、セブルスは言った。
「君がいれば私は幸せだ……」
「ああ、セブルス――」
 ナマエはセブルスにしがみつくように抱きついた。力強い腕が背中に回る。その手がかすかに震えているのを感じて、彼の重圧を思い泣きそうになった。

 六

 セブルスはダンブルドアを殺害し、ホグワーツの校長となった。ナマエは「何も知らなかった愚かな妻」として、セブルスと部屋を別々にされ、またカロー兄妹に散々笑われた。先生方からも、同情するような視線を向けられた。けれどナマエは感情を露わにせず、心を閉ざすことに集中した。そしてヒーラーとして仕事をする傍ら、来るべき時のために回復薬などを作り、補充していた。中でも多く作ったのがフェリックスフェリシスだ。これがあればそもそも怪我をすることもなくなる。一度に作れる量は少ないが、スラグホーンに協力してもらいかなりの量を作ることができた。
 そして――そのときは突然やってきた。いつものように医務室で仕事をしていると、どこからか爆発音が聞こえてきた。マダム・ポンフリーと目を合わせ、頷く。ハリーが来たのだ。
 医務室にいる生徒たちにフェリックスフェリシスを渡し、ナマエとマダム・ポンフリーもその黄金の液体を飲み込む。そして拡張魔法のかかった鞄に目に付いた回復薬とフェリックスフェリシスを入れると、杖を構え医務室を出た。
 ――まずハリーを探さなければ。
 フェリックスフェリシスはハリーの行き先を知れと言っている。攻撃をよけながら中央ホールへ向かっていると、ハリーがロンとハーマイオニーと共にデスイーターと戦っているのが見えた。
「ハリー!」
 ナマエはそのデスイーターを失神させると、彼らの元へ走った。
「これを飲んで。あなたたちも」
 三人にフェリックスフェリシスを飲ませる。
「行き先は――叫びの館ね」
 彼らは驚いた顔をした。説明する時間もないためナマエは続けた。
「私は先に行くわ。あなたたちはマントをかぶった方が良い」
 ナマエは外へと駆けだした。時折迫る閃光が邪魔だった。持っていた透明薬を飲んで姿を見えなくすると、禁じられた森へ出た。暴れ柳の瘤を落ちていた枝で突き、落ち着かせる。振り返るとハリーたちがこちらへ走ってくるのが見えた。
「……ハリー。あなたが先に行った方が良いわね」
「はい……僕もそれがいい気がします」
 ナマエは根元に隠されたトンネルへハリーを行かせ、次に自分がその中へ滑り込んだ。そして四人は黙々と暗いトンネルを移動した。ハリーの握った杖の先に揺れる一筋の灯りだけを見つめて進んだ。
 トンネルがようやく上り坂になり、行く手に細長い明かりを見た。ハリーは杖灯りを消した。そして、這ったまま、できるだけ静かに前進した。
 そのとき、前方の部屋から話し声が聞こえてきた。くぐもった声だったが、それがセブルスの声だとナマエはすぐにわかった。
「――我が君、抵抗勢力は崩れつつあります――」
「――しかも、おまえの助けなしでそうなっている」と、甲高いはっきりした声が言った。例のあの人だろうか。そう考えぞっとした。すぐそこに、例のあの人がいるのだ。
「熟達の魔法使いではあるが、セブルス、いまとなってはおまえの存在も、大した意味がなくなった。我々はもう間もなくやり遂げる――間もなくだ」
「少年を探すよう命じください。私めがポッターを連れて参りましょう。我が君、私ならあいつを見つけられます。どうか」
「問題があるのだ、セブルス」
 例のあの人が静かに言った。
「セブルス、この杖はなぜ、私の思いどおりにならぬのだ?」
「わ――我が君?」
 セブルスが感情のない声で言った。感情を押し殺しているのだ。
「私めには理解しかねます。我が君は――我が君は、その杖できわめて優れた魔法を行っておいでです」
「違う。私は、普通の魔法を行っている。確かに私はきわめて優れてはいるのだが、この杖は――違う。約束された威力を発揮してはおらぬ。この杖も、昔オリバンダーから手に入れた杖も、何ら違いを感じない」
「何ら違わぬ」と、例のあの人が繰り返し言った。
 セブルスは無言だった。ナマエにはその顔が見えなかったが、例のあの人を安心させるための適切な言葉を探しているのではないか、という気がした。
「私は時間をかけてよく考えたのだ、セブルス――私が、なぜおまえを戦いから呼び戻したか、わかるか?」
「いいえ、我が君。しかし、戦いの場に戻ることをお許しいただきたく。どうかポッターを探すお許しを」
「おまえもルシウスと同じことを言う。二人とも、私ほどにはポッターを理解してはおらぬ。ポッターを探す必要などない。ポッターのほうから、私のところに来るであろう。奴の弱点を私は知っている。一つの大きな欠陥だ。まわりで他のやつらがやられるのを、見ておれぬやつなのだ。自分のせいでそうなっていることを知っているから。どんな代償を払ってでも、止めようとするだろう。あやつは来る」
「しかし我が君、あなた様以外の者に誤って殺されてしまうかもしれず――」
「デスイーターたちには、明確な指示を与えている。ポッターを捕らえよ。やつの友人たちを殺せ――多く殺せば殺すほどよい――しかし、あやつは殺すな、とな。しかし私が話したいのは、セブルス、おまえのことだ。ハリー・ポッターのことではない。おまえは私にとって、非常に貴重だった。非常にな」
「私めが、あなた様にお仕えすることのみを願っているとおわかりでしょう。しかし――我が君、この場を下がり、ポッターを探すことをお許しくださいますよう。あなた様のもとに連れて参ります。私にはそれができると――」
「言ったはずだ。許さぬ! 私が目下気がかりなのは、セブルス、あの少年とついに顔を合わせたときに何が起こるかということだ!」
「我が君、疑問の余地はありません。必ずや――」
「――いや、疑問があるのだ、セブルス。疑問が――私の使った杖が二本とも、ハリー・ポッターを仕損じたのはなぜだ?」
「わ――私めには、わかりません、我が君」
「わからぬと?」
 例のあの人は怒っていた。まずい状況だった。しかしこの場を飛び出せば、皆見つかってしまう。殺されてしまう。
「私が手に入れたイチイの杖は、セブルス、何でも私の言うがままに事をなした。ハリー・ポッターを亡き者にする以外はな。あの杖は二度もしくじった。オリバンダーを拷問したところ、双子の芯のことを吐き、別な杖を使うようにと言ったのだ。私はそのようにした。しかし、ルシウスの杖は、ポッターの杖に出会って砕けた」
「わ――私めには、我が君、説明できません」
「私は、三本目の杖を求めたのだ、セブルス。上位の杖、『宿命の杖』、『死の杖』だ。前の持ち主から、私はそれを奪った。アルバス・ダンブルドアの墓からそれを奪ったのだ」
「我が君――ポッターを探しに行かせてください――」
「この長い夜、私が間もなく勝利しようという今夜、私はここに座り――」
 例のあの人の声は、ほとんど囁き声だった。
「考えに考え抜いた。なぜこの上位の杖は、あるべき本来の杖になることを拒むのか、なぜ伝説どおりに、正当な所有者に対して行うべき技を行わないのか――そして、私はどうやら答えを得た」
 セブルスは無言だった。
「おそらくおまえは、すでに答えを知っておろう? なにしろ、セブルス、おまえは賢い男だ。おまえは忠実なよき下僕であった。これからせねばならぬことを残念に思う」
「我が君――」
「上位の杖が私にまともに仕えることができぬのは、セブルス、私がその真の持ち主ではないからだ。上位の杖は、最後の持ち主を殺した魔法使いに所属する。おまえがアルバス・ダンブルドアを殺した。おまえが生きている限り、セブルス、上位の杖は真に私のものになることはできないのだ。これ以外に道はない。セブルス、私はこの杖の主人にならねばならぬ。杖を制するのだ。そうすれば、私はついにポッターを制することになる」
 何が起こっているのかわからないことがナマエを余計に不安にさせた。例のあの人が蛇語を使った。そして―― 恐ろしい悲鳴が聞こえた。今まで聞いたことがない、セブルスの声だった。ナマエは駆け出したいのを我慢した。拳を握りすぎて爪が手のひらに食い込んだ。
「残念なことよ」
 例のあの人が冷たく言った。
 ハリーが木箱に杖を向け、静かに横にずらすと、そっと部屋に入り込んだ。例のあの人はいなくなったのだろう。ナマエもまた静かに部屋に入り、そして目を疑った。
 セブルスは床に倒れていた。首から大量に出血していた。すぐに彼の元に駆け寄り、魔法で止血すると、解毒剤と血液増量剤を飲ませた。ナマエはパニックになりそうだったが、一連の動作を落ち着いて行った。そのためか、セブルスの開いていた瞳孔は徐々に元に戻り、やがて目を閉じた。
「……スネイプ先生は?」
 ナマエは脈を確認しながら頷いた。
「大丈夫よ……命は取り留めた」
「それは……」
 よかった、と言おうとして、ハリーは言いよどんだのがわかった。ナマエはこう伝えた。
「……セブルスはこちら側よ。あなたを守るために、あなたを支えるために今まで行動していた……」
 魔法で担架を出し、セブルスをそっと寝かせる。
「……私はセブルスを聖マンゴまで連れて行くわ。あなたたちは使命を全うしてほしい。それはこの人の願いでもある」
 ハリーたちは戸惑っているようだったが、頷いた。ナマエはハリーと向き合った。
「ハリー、例のあの人を倒して。絶対に」

 七

 戦争が終わり、平和な日々が戻りつつあった。ハリーは例のあの人に勝ったが、犠牲となった者は少なくなかった。もし、セブルスを聖マンゴではなくホグワーツの安全な場所に置き、人命救助に当たっていたら――そう考えることもあった。しかしマダム・ポンフリーにそう零せば、それは単なる自惚れだと静かに言われた。
「……もちろんナマエの腕は確かですよ。けれどあれだけの人々をすべて助けるなんて無理です。ましてや戦いの最中で……そんなことを考えるのなら、自分と家族が無事だったことを喜ぶべきです」
 ナマエは自分を恥じた。彼女の言う通りだった。少なくともセブルスを救ったことを誇りに思うべきだと、マダム・ポンフリーは言った。
 セブルスは聖マンゴ病院で順調に回復し、やがて目覚めた。その黒い瞳が自分を捉えたときは、喜びのあまり泣いてしまった。
「……何を、泣いている?」
 まだ声が出づらいのか、セブルスはかすれた声で言った。ナマエはハンカチで拭いながら答えた。
「あなたが目覚めて……よかったと思って……」
 セブルスは微笑んだ。久しぶりに見る彼の笑みだった。余計に涙が溢れる。しゃくりあげるナマエにセブルスは言った。
「……君が助けてくれたんだろう?」
 頷く。
「朧気だが、君の姿が見えた……最期に君を見れるなんて、良い夢だと思っていたが……まさか生きられるとは、思っていなかった」
 セブルスは黙り、そしてまた口を開いた。
「ありがとう……私を助けてくれて」
 ナマエは首を振ることしか出来なかった。涙はとめどなく流れる。それでもこれだけは言いたかった。
「セブルスを助けることが出来て、本当によかった……」
 フェリックスフェリシスを飲んでいなければ、作っていなければ、セブルスは助けられなかった。鼻をすすり、続ける。
「セブルス――セブルスがよくなったら、帰りましょう――私たちの家に……そうして、日々を――穏やかな日々を、過ごしましょう……?」
「……ああ」
 セブルスは頷いた。しっかりとした頷きだった。

back

- ナノ -