ハグリッドは最近私を、ますます母親に似て美人になったと褒めてくれるようになった。
 ボリュームのある赤毛に緑の瞳は母の特徴と、魔法界を知った日に彼は教えてくれた。私とハリーの持っている、数少ない両親の写真を見ても、私は母に似ていると思うし、ハリーは父にそっくりだと思う。母は美しく聡明な人だったとハグリッドは言う。私はというと、魔法薬学とDADAが得意なだけで(DADAはハリーから教わったからというのが大きい)、呪文学とか薬草学などは平々凡々な成績だ。
 私は母と比べられるのが嫌だった。最初の授業の時は先生たちが私に期待しているのを感じていたし(スネイプを除いて)、唯一才能があった魔法薬学ではハーマイオニーよりもうまく薬を作れたのに、スネイプは得点もくれなかった(まじまじと私の薬を見ていたというのに!)。だからスラグホーンが魔法薬学の教師になって、正当な評価を初めてされたときはとても嬉しかった。「半純血のプリンス」の教科書を見て、ずるをしているハリーと同じくらい上手に薬を作れたから。
 スネイプはと言えば、DADAの教師になった。薄暗くなった教室には暗い絵が飾られ、スネイプは早速自分の趣味を教室に持ってきたようだった。席に着くと、壇上に立つスネイプと目が合った。ハグリッドに美人になったと言われ始める前から、スネイプはふとしたときに私を見ている。授業中も、廊下ですれ違うときも、大広間で食事しているときも。その目には何の感情も浮かんでおらず、すぐに逸らされるのだが、私は訝しく思っていた。
 スネイプの話が終わった後、無言呪文の演習に入った。私とハーマイオニーは成功させていたけれど、相変わらず点はもらえなかった。スネイプは育ち過ぎたコウモリそのもののような姿で、生徒が練習するあいだを動きまわり、課題に苦労しているハリーとロンを、立ち止まって眺めていた。私はそっとハリーたちを見た。
 ハリーに呪いをかけるはずのロンは、呪文を唱えたいのをこらえて唇を固く結んで、顔を紫色にしていた。ハリーは呪文を撥ね返そうと杖を構え、永久にかかってきそうもない呪いを待ち構えていた。
「なっとらんな、ウィーズリー」
 しばらくしてスネイプが言った。
「どれ――私が手本を――」
 スネイプが、すばやく杖をハリーに向けた。瞬間ハリーは叫んだ。
「プロテゴ!」
 盾の呪文があまりに強烈で、スネイプはバランスを崩して机にぶつかった。皆が振り返り、スネイプが険悪な顔で体勢を立て直す姿を見つめた。
「……私が無言呪文を練習するようにと言ったのを、覚えているのか、ポッター?」
「はい」と、ハリーは突っ張って言った。
「『はい、すみません』」
「あなたが謝らなくてもいいんですよ、先生」
 私は息を呑んだ。しかし、スネイプの背後では、ロン、ディーン、シェーマスがよくぞ言ったとばかりにニヤリと笑っていた。
「罰則、土曜の夜。私の研究室で」と、スネイプが言った。
「何人たりとも、私に向かって生意気な態度は許さんぞ、ポッター――たとえ、『選ばれし者』であってもだ」
 スネイプはそう命じたのだけれど、ハリーは土曜の夜、ダンブルドアとの個人教授があり、翌週に持ち越されたようだった。私はハリーの代わりにスネイプの研究所のドアを叩いた。何も、代わりに罰則を受けようなどとは思っていない。ただ私は個人的に聞きたいことがあった。
 ノックすると「誰だ」と不機嫌そうな声が返ってくる。ハリーの罰則が延びたことに苛立っているのだろう。
「……ポッターです」
「何の用だ? ミスター・ポッターの尻拭いにでもしに来たのか?」
「いえ。少し聞きたいことがありまして……」
 そのまま帰れと言われそうだったが、予想に反して扉は開いた。眉間にしわを寄せたスネイプが私を見下ろしている。
「入れ」
  そっと中に入る。研究所にもスネイプの趣味が反映され、全体的に薄暗く机上のランプくらいしか明かりがなかった。
「それで、何が聞きたいのかね?」
 単刀直入にそれを聞くのはできなかったので、私はあらかじめDADAに関する質問を用意していた。こうしてスネイプの研究所に入って教科について聞くのは初めてだったけれど、案外スネイプは丁寧に答えてくれた。私は礼を言って教科書を閉じた。
 私が出て行かない気配を察したのか、スネイプは静かに言った。
「まだ何かあるのかね?」
「その……先生の母親の旧姓は、プリンスなのでしょうか……?」
 昨日、ハーマイオニーが「半純血のプリンス」探しに没頭し、執念で図書館でプリンスの写真を見つけた(こういうときのハーマイオニーの集中力はすごい)。眉の濃いその女性は、スネイプによく似ていた。もしかしたら、と私は思った。だから、ハリーにも、ハーマイオニーにもロンにもそのことは内緒にして、スネイプの部屋のドアを叩いた。
 スネイプは片眉を上げた。意外な質問だったのだろう。
「そうだが……それが君と何か関係があるのかね?」
「い、いえ、ありません」
 ハリーがあなたの教科書を使っている、などと言えばスネイプは激昂するかもしれない。スネイプはハリーを異様に嫌っている。それは学生時代、父と犬猿の仲だったからだとリーマスやシリウスから聞いている。ハリーはその緑の瞳以外は父に似ている。一方で私は母の生き写しと言われるほど母にそっくりだ。スネイプは私に対してどんな感情を抱いているのだろう。ふと疑問に思い、尋ねた。
「私が入学した日から思っていたのですが……」
 ただの勘違いだと片付けられてしまったらどうしよう、と私はなぜか心配した。それならそれでいいというのに。
「スネイプ先生は、私をよく見てらっしゃいます……その理由は何ですか?」
 スネイプは嘲るような笑みを見せた。
「ミス・ポッター……それは君の自惚れではないかね? なぜ私が君を見なければならない?」
 私は怯んだけれど、引き下がらなかった。だって、スネイプは明らかに私を見ているから。
「う、うぬぼれではないです……スネイプ先生はいつでも、私を見てらっしゃいます。すぐに逸らされてしまうけれど……」
 スネイプはため息をついた。呆れたような長いため息だった。
「ポッター家にはやはり自惚れ屋の血が流れているらしい……」
「そんなことは……!」
「早くここを出て行け!」
 急に大声を出したスネイプに、びくりと肩が揺れる。スネイプは頭を抱えていた。明らかに取り乱している。
「出て行け……これ以上君と二人きりで話すのは耐えられん」
「な、どうしてですか? 先生は私をお嫌いですか?」
「いいから出て行け!!」
 これ以上スネイプと話すのは無理だと思い、私は研究所を出た。やはり、もしかしたら母とも何かあったのかもしれない。私は当時のことを調べることにした。
 手始めにリーマスに手紙を送った。スネイプとの会話は伏せて、スネイプと母に何かあったかを聞いた。返事は一週間後に返ってきた。スネイプは母を穢れた血と呼んで蔑んでいたことが書かれていた。それはおかしい、と私は思った。スネイプが「穢れた血」という言葉を嫌っていることは知っている。あれだけ自分の前でその言葉を使うなと怒っていたのだから、母をそう呼んでいたとは考えがたい。それとも学生時代はそう呼んで嫌っていたのだろうか。そう考えて、私は何とも言えない嫌な気分になった。スネイプをスリザリンばかり贔屓する陰険教師とは思っているけれど、学生時代にそんな風にマグル生まれを軽蔑していたとは信じたくなかった。しかしスネイプは元デスイーターだ。そうだとしても何も不思議ではない。
 次に私は彼をホグワーツの教師にしたダンブルドアに話を聞いてみることにした。夕食後合い言葉を言って校長室に向かうと、ダンブルドアは書物から顔を上げた。
「おや、ナマエ。どうしたのかね?」
「今お時間大丈夫ですか? 少し聞きたいことがあるんです……スネイプ先生のことで」
 ダンブルドアの表情が一瞬硬くなった気がした。けれどすぐに彼は笑みを浮かべた。
「スネイプ先生の、何を知りたいのかね?」
「ダンブルドア先生は、デスイーターだったスネイプ先生をどうしてホグワーツの教師にしたのですか?」
「……スネイプ先生は戦いの終盤、私にとある情報をもたらしてくれた。彼はこちら側に寝返ったんじゃ。だから私は彼をホグワーツに迎えた」
「そう、だったんですね……」
 私はもう一つの、より聞きたい質問をしようか迷ったが、ダンブルドアは促してくれた。
「まだ質問があるのじゃろう?」
「はい……スネイプ先生は、私の母をどう思っていたのでしょう?」
 ダンブルドアはゆっくりと首を振った。
「残念ながら、その質問に答えることはできん。ただ一つ言えるのは、君の母親にスネイプ先生は悪い感情を持っていなかったということだけじゃ」
「悪い感情を持ってなかった? リーマスは母を穢れた血と呼んでいたと言ってましたが……」
「それは彼から見たスネイプ先生の一面じゃ。人間という生き物は複雑じゃが、人は単純化したがる傾向がある。それはリーマスから見たスネイプ先生に過ぎない」
「なるほど……」
 私はダンブルドアの答えに、無意識に安堵していた。母がスネイプに嫌われていなかったと知ったからか。違う、と私は気づいた。スネイプが母に悪い感情を持っていなかったと言うことは、私にも悪い感情を持っていないと言うことになる。だから私は安堵しているのだ。私がスネイプに嫌われていないとわかったから。
 礼を言ってその足でスネイプの元へ向かった。扉を叩いて名乗ると、案の定彼は私を拒絶した。
「君と話すことなど何もない。さっさと塔に帰れ」
「私はスネイプ先生と話したいんです。先生がドアを開けてくれるまで私は待ちます」
 私は本気だった。どうしてこんなにスネイプに固執するのか、自分でもわからなかったけれど、スネイプの本心を知りたいと思ってしまった。それが伝わったのか、スネイプはドアを開けてくれた。
「こんな時間に押しかけてきて、一体何を話したいのかね?」
 私はテーブルに座った彼の隣に立った。彼の目は書面に向けられたままで、一度も私と目を合わそうとしなかった。私は言った。
「スネイプ先生と私の母のことを少し調べました。ダンブルドア先生はスネイプ先生が母のことを悪く思っていなかったと仰ってました」
 スネイプは何も言わなかった。相変わらず書類を読んでいる。
「私、それを聞いてほっとしたんです。そうしたら、先生が私を嫌いな理由もなくなる。私は先生に嫌われてるわけじゃないって」
 スネイプは鼻を鳴らした。
「ずいぶんな思い上がりじゃないかね、ミス・ポッター。君の母親を嫌っていないとして、君を嫌わないとは限らないだろう」
「それはそうなんですけど……」
「話は終わりだ、出て行け」
「いえ、まだ話したいことがあります」
 私は勇気を出して、言った。
「先生が私をいつも見ているのは、私が母に似ているからですか? 先生は……私の母を好きだったのではないですか?」
 スネイプはようやく書類から目を離し、私を見た。その目に動揺があったのを見逃さなかった。近い距離にいる彼の表情を見ながら続ける。
「リーマスは先生が母をマグル生まれと蔑んでいたと言ってました。けれど先生は『穢れた血』という言葉を嫌ってます。それは、その言葉を母に言ってしまったからではないですか?」
 スネイプは無言で私を見つめ、それから机上の書類へ目をそらした。
「大した妄想だな、ポッター。そこまでいくと感服すら覚える」
「……私は、たぶんスネイプ先生が好きです」
「…………」
「それが教師としてなのか、異性としてなのかはわかりません。ただ、スネイプ先生に見つめられるたび優越感を感じていましたし、こうして先生と話せて嬉しいとも思っています」
「いい加減にしろ!」
 スネイプは怒鳴った。
「誰の差し金だ? 兄のポッターか? ふざけるにも度が過ぎている、グリフィンドール50点減――」
「違います!」
 私は遮った。
「このことはハリーにもハーマイオニーにもロンにも、誰にも言ってません。私は本心を話してます……信じてください……」
 スネイプを見ていられずうつむいた。沈黙が落ちる。先に口を開いたのはスネイプだった。
「……ミス・ポッター」
「はい」
「私と君の母親について調べたことは忘れろ。君の私への気持ちはその年によくある大人への憧れのようなものだ。私も聞かなかったことにする」
「……はい」
「……今後、ここに来ることは断じて許さん。そのときは減点する。いいな?」
「はい」と私は頷くことしかできなかった。スネイプは教師で私は生徒だ。どのみちこの恋と呼ぶには幼すぎる感情が、成就するとは思っていなかった。スネイプが私を突き放すことは目に見えていた。ただ私はこれだけは言っておきたかった。
「先生」
「まだ何か?」
「先生は今、例のあの人の二重スパイをされています。どうか、気をつけて……先生が亡くなれば悲しむ人がいると言うことを忘れないでください」
 スネイプは一瞬目を見開いて、それから顔を逸らした。
「ふん。君に心配されずとも気をつけている……そろそろ消灯の時間だ。帰りなさい」
 私は挨拶をして研究所を出た。もうスネイプと二人で話すことはないだろう。名残惜しく思いながらもグリフィンドール塔への道を歩き出した。
 
 スネイプが目の前で倒れている。ナギニに噛まれた首の傷口から、血がどんどんあふれだし、床を濡らしていく。私は必死で止血しようとした。幸いヒーラーの基礎呪文は勉強していた――このときに備えて。
 止血している最中、スネイプの目が立っているハリーを捉えた。ハリーがかがむと、スネイプはハリーのローブの胸元をつかんで引き寄せた。
 死に際の、息苦しいゼィゼィという音が、スネイプの喉から漏れた。私はなかなか血が止まらないことに焦っていた。もしかしたら、と私は最悪の事態を考えた。もしかしたら、蛇に噛まれた傷口は、魔法で止血できないのかもしれない――
「これを――受け取れ――これを――取るんだ――」
 血以外の何かが、スネイプから漏れ出ていた。青みがかった銀色の、気体でも液体でもないものが、スネイプの口から、両耳と両目から溢れ出していた。ハーマイオニーがどこからともなく瓶を取り出し、ハリーの震える手に押しつけた。ハリーは杖で、その銀色の物質を瓶に汲み上げた。私はその間も止血を試みようとした。だが血はなかなか止まらない。泣きそうになったところで、私の杖を持つ手を掴まれた。スネイプの手だった。
「もういい――これは――止血できん――」
「そんな、でも先生が……!」
「いい――」
 スネイプの手が私の頬に触れた。冷たい、死にゆく人の手だった。私は彼がどうしたいかを悟った。私はその青ざめた唇にキスをした。
 離れた瞬間、スネイプは優しげな瞳でこちらを見ていた。しかしその後、黒い両眼の奥底で何かが消え、一点を見つめたまま虚ろになった。私の頬にあった手が床に落ち、スネイプはそれきり動かなくなった。

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