夢はナナの期待をあざ笑うかのように、少しも変わらなかった。
いつも通り竜崎に起こされたナナは、天井を見上げてため息をつき、起き上がる。現実との差に落ち込むくらいで特に気にしていなかった夢が、竜崎にも見られていると知った今、一日も早くこの現象が止んでくれたらと思う。迷惑をかけているのもその理由だけれど、やはり恥ずかしさが大きい。願望をこれでもかと詰めたものは、他人が見ても醜いと感じるだろう。
(でも竜崎さんは、醜いとか思ってなさそうだった……)
ただ単に、ポーカーフェイスだったからかもしれないが。わざわざ調べて自分に会いに来たということは、少なくともこの夢を見るのを止めたいと思っているはずだ。
自分のせいじゃないとわかっていながらも、罪悪感がわいてくる。ナナは考えるのをやめ、出かける準備を始めた。
事務所にはすでにマネージャーがいて、竜崎を受付のところで待つことになった。ベンチに座ったナナは、隣に置かれていた紙袋に目をやる。
「井上さん、これは?」
隣に座る井上は、「ああ」と笑みを見せた。
「ナナちゃんの写真集とCDだよ。この前は渡せなかったからね」
はい、ここにサインして、とペンを渡され、ナナは頭を抱える。そうだった。マネージャーには竜崎が自分のファンで一目会いたくて来たのだと説明してしまっていた。
貰ってくれるかも怪しいが、一応ペンを動かす。最初は不慣れだったサインも、今はさらりと一筆書きで書けるようになった。CDにサインを書いた瞬間、入口のドアが開いた。そして現れた人物に、ナナたちは立ち上がる。竜崎は白のカットソーにゆるいジーンズと言う、昨日と同じ出立をしていた。
「おはようございます、竜崎さん。どうでしたか……?」
恐々聞いてみる。竜崎は渋い顔で言った。
「ダメでした。私なりに考えてみたんですが、これはナナさんの夢を実現しない限り、見続けてしまうのかもしれません」
「やっぱり、そうなりますよね……」
「見続けるって、何をだい?」
マネージャーがナナに囁く。それを見て、竜崎は言った。
「ここじゃなんです、応接室に行きましょう。マネージャーさんも一緒に来てください」
三人は応接室に入り、それぞれソファに腰を下ろした。昨日と同じく向かいのソファに乗った竜崎は、井上に夢のことを話した。自分の願望が詰まった夢の説明をされるのは、拷問に近いものだった。竜崎と自分だけならまだしも、関係のない第三者に知られるなどとても我慢できない。とはいっても説明は不可欠であるため、ナナは耳を両手できつく覆い、話がなるべく聞こえないようにした。竜崎が話し終えると、井上は言った。
「信じられない話ではあるけど……竜崎さんが嘘を言ってるようには思えないなあ。二人が僕にうそをつく理由もないし」
半信半疑ではあるものの、信じる気になったらしい。
とりわけ、資産家の相手が自分をプロデュースすると言うのだから尚更だ。
「竜崎さんが、私をプロデュースするんですか!?」
驚きのあまり、大きな声が出てしまった。思わず口を押さえる。竜崎は気にすることなく、はいと頷いた。
「私たちの安眠のためです。やるからには徹底的にやりましょう。日本のアイドルのことは勉強してきましたから、大丈夫です」
「勉強って……」
日本のアイドルの勉強とは、具体的に何を学ぶのだろう。
「井上さん、ナナさんの写真集はありませんか?」
「あ、はい、ここに」
井上が紙袋からサイン入り写真集を取り出して、竜崎に渡した。竜崎はテーブルの上に写真集を開き、人差し指と親指でパラパラと捲っていく。写真の中の自分にじっとそそがれる視線に、ナナは恥ずかしくなった。1ページずつ見る彼の視線に男性特有のいやらしさはなく、気にする自分が余計恥ずかしく思える。最後のページを捲り、竜崎が写真集を閉じた。彼が写真を見る時間は永遠にも思われたが、時計を見ると数分しか経っていなかった。
「……惜しいです」
「惜しい?」
思いがけない竜崎の一言に、井上が疑問符を投げ掛ける。
「ナナさんを清純派で売り出そうとしているのがよくわかります。しかし、だからといって、そのままの水着姿がないのはいけません。水着の上にTシャツでは、そもそものニーズに答えられてません」
「しかし……」
「ナナさんはまだ10代。大人の女性になる前の少女の危うさが、世間に求められているのではないでしょうか。清純派だけでは、このアイドル飽和時代に生き残れません。まして一人なら尚更です。グループが主流な今の時代、従来のアイドルから脱却しないと目立たないでしょう」
予想だにしなかった彼の分析に、「なるほど……」と井上も舌を巻いている。ナナもほう、と感嘆した。彼の言うことは説得力がある。アイドル飽和時代。竜崎が作った言葉だろうか。今の時代を的確に表している。
「それと、昨日ナナさんのCDを拝聴しましたが、これも惜しいです。少なくとも口ずさみたくなるような曲ではない。これについては、中山ヤスタカさんに楽曲を依頼しましたから大丈夫です」
「なっ、あの有名な中山ヤスタカさんですかっ!? 一体どうやって……?」
「それは内緒です」
竜崎はそう言って、出された紅茶をズズズと啜った。最初にその姿を見た時は残念に思ったけれど、今はなぜかかっこよく見える。人間は都合のいい生き物だ。
中山ヤスタカと言えば、手がけた楽曲が全てヒットする、有名若手アーティストだ。お金を積んだとしても、彼とどうやって繋がったのだろう。ナナたちがあれこれ思案する中、竜崎は紅茶を置き、再び口を開いた。
「写真集のカメラマンも、有名な人を手配しておきます。そしてナナさん」
「はい……!」
自然と背筋が伸びる。
「ナナさんには毎日、ダンスと歌の練習をしてもらいます。これも有名ダンサーたちがついているので、頑張ってください」
「わかりました……!」
「これがスケジュールです」
竜崎はジーンズのポケットから折り畳まれた紙を取り出し、テーブルに広げた。覗き込み、愕然とする。スケジュールは30分単位で、日中は隙間なく組まれていた。それも一ヶ月先まで。一ヶ月後の日付には、ライブと書かれていた。
「竜崎さん、ライブってもしかして……」
恐る恐る尋ねる。そうです、と竜崎は応えた。
「武道館ライブのことです。もう日本武道館は押さえてあります。満席になるかどうか、夢の通りになるかどうかは、ナナさん次第です」
彼は本気なのだ。理解して、一気にプレッシャーが襲ってきた。実現するかは自分次第。竜崎は自分のためにどれほどお金を積んだのだろう。なんとしても、実現させなければ。
「竜崎さん、私、頑張ります!」
不安はもちろんある。しかし、満席にならなかったら、なんて考える暇などない。そんな時間があるなら、満席になるよう精一杯の努力をすべきだ。ナナは絶対に満席にしてみせると、心に決めた。
*
それからの毎日は、地獄と言ってもいい。竜崎の依頼したダンサーは、スパルタでも有名なダンサーだった。歌いながら踊るには、少し難易度の高いダンス。これを笑顔を絶やさずに、手先に意識を向け、女性らしくおしとやかに踊れという。無茶な要求だ。それでも満席を目指すため、ナナはへこたれずに努力した。歌の先生は、優しいけれど思ったことをはっきり言う人だった。彼女の言葉に度々傷ついたが、傷心している暇などないと、自分の限界以上の力を振り絞った。毎日学校帰りに二人にしごかれ、へとへとになる頃にレコーディングが行われた。スタジオには、中山ヤスタカの姿もあったが、挨拶しかしていない。あまりにも疲れ切っていたため、それ以上の会話ができなかった。今思えば、勿体ないことをした。会える機会などなかなかないというのに。
ニューシングルを発売する運びとなり、宣伝としてテレビや雑誌に出ることになっていた。今日は竜崎の組んだスケジュール上、一回目のテレビ出演だったが、その出演するテレビ番組がまさかの番組だった。
「エ、Nステですか!?」
移動中の車内で、隣に座る竜崎に確認する。座席に両足をのせて座る竜崎は、何でもないように頷いた。
「はい、Nステです。期待の新人枠を押さえてあります」
「や、あの、いきなり歌手の登竜門的な番組に出てしまって、大丈夫でしょうか…?」
「はい。ナナさんの売りは『声』です。ここまで歌って踊れるアイドルは、そうそういないんじゃないでしょうか」
突然褒められ、一瞬耳を疑う。スパルタ教師二人からあまり褒められていなかったナナは、褒められ慣れていなかった。
「あ、ありがとうございます……でも、緊張して声が出なくなったら……」
「その時はCD音源を流せばいいんです。何の心配もありません」
口パクをしろということか。確かにアイドルは口パクが多いけれど、なるべくそれはしたくない。ナナは頑張って歌おうと決意したが、その前に関門があることに気づいた。
「竜崎さん、私、タモさんと何を話せばいいでしょう?」
「相手はプロです、話す内容も考えてきているはず。ナナさんは受け答えするだけで十分です。ただ……」
「ただ?」
「アイドルは歌って踊れるだけでは生き残れません。キャラも大切です……私はナナさんを天然だと思います」
「はい……」
「その天然をもう少し誇張するべきでしょう。これから先、バラエティへの露出も増える。テレビ番組で大切なのは一巡目です。その印象でレギュラーを取れるかどうかが決まる。これもナナさん次第です」
「は、はい!」
「ただ、天然はやり過ぎるとバカっぽくなるので注意してください」
「……はい、気をつけます」
持ち上げたと思いきや、急に落とされる。そんなところは歌の先生に似ている。
とはいえ、アーティストなら一度は出たいと夢を持つ、Nステに出られるなんて。自分ごときが出演していいのだろうかという気持ちもあるが、今は喜びが勝っている。母にさっそく伝えたくて、竜崎に許可を取った。
「竜崎さん、お母さんに報告してもいいですか?」
「はい、どうぞ」
電話に出た母にNステに出ると伝えると、自分のことのように喜んでくれた。やっと仕事で母を喜ばせることができたと、目尻が緩んだ。しかし同時に、どうして急に?と彼女は訝しがる。当然の疑問だろう。ずっと売れる気配がなかったのだ。パトロンがいる、などとは口が裂けても言えず、自分の歌を気に入ってくれた業界の人が誘ってくれたのだと答えた。納得してくれた母に放送日を告げ、電話を切る。
「お母さんとは、仲がいいんですか?」
静かになった車内で、竜崎が尋ねる。落ち着きのある、低い声で。
「はい。昔から仲がよくて、姉妹みたいだって周りから言われます」
母にはなんでも相談できた。友達のこと、好きな人のこと、そして将来のこと。アイドルになりたい、上京したいと言ったときは、母も驚いたようだったが、必死の説得に彼女は折れた。父を説得できたのも母のおかげだ。父は最後まで渋っていたが、見送りに来てくれた。
二人に、恩返しがしたい。今まで受け取った親切を、倍にして返したい。
「竜崎さん」
飛んでいく夜のネオンを見つめながら、呼ぶ。
「はい」
「私、絶対に満席にしてみせます。売れてやります」
思いがけず声に力がこもった。後ろでふっと笑った気配がし、それから彼は、
「その意気です」
と静かに言った。
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