愛 | ナノ
 新聞に載っていた、チャリティの自説を読んだとき、シルヴィアは血の気が引いた。彼女の説は要約すると、純血が減って来ている状況を直視し、マグル生まれを受け入れるべきだというものだった。こんなことを言えば、例のあの人が黙っていない。シルヴィアはすぐに撤回するよう手紙を書き、フクロウを送った。
 しかし、遅かった。数日後には、チャリティがホグワーツを辞職したと報じられた。彼女から返事は来ず、送ったフクロウは戻って来ていたため、訝しんだシルヴィアはチャリティの家を訪ねた。願いに反してチャリティはおらず、中は荒れ果てた様子だった。
 空は薄暗く、季節外れの冷たい冷気が立ち込めていた。シルヴィアは、モリーとジニーとともに、今か今かと窓の外を見つめていた。最初のポートキーの発動時間が迫ってきていた。最初はロンとトンクス、次にアーサーとフレッド、それからハリーとハグリッド、リーマスとジョージ、キングズリーとハーマイオニー、最後にムーディとマンダンガス。ポリジュース薬を飲んでハリーに変身し、デスイーターの目を欺くという案を出したのは、マンダンガスだった。それぞれが目的地である騎士団の家を目指して飛び、そこにあるポートキーでこの隠れ場所に来るという手筈になっている。本当は、シルヴィアもこの作戦に参加するつもりだった。しかし、ムーディに止められた。魔法省が例のあの人の手に堕ちつつある今、ホグワーツもどうなるかわからない。今学期もホグワーツに行くのなら、騎士団員と知られるのは危険だ、と。
 本物のムーディは、クラウチが演じていた彼とは違い、兄のことで自分を軽蔑するような人間ではなかった。シルヴィアが騎士団に入っていることもすんなりと受け入れてくれた。シルヴィアはムーディに人知れず感謝した。
 皆無事にここに着くだろうか。デスイーターたちは今日ハリーが移動すると知らないはずだ。それでも、何とも言えぬ嫌な予感がした。
 どうか無事でいて、とシルヴィアは心の底から願った。ハリーたちも、チャリティも、人知れず戦うセブルスも。
 しかし、願いは届かなかった。「マッド・アイが死んだ」と、最後に戻ってきたビルが、アーサーをまっすぐに見て言った。誰も声を上げなかった。誰も動かなかった。シルヴィアは自分の中の何かが抜け落ちるのを感じた。
「僕たちが目撃した」
 ビルの言葉に、フラーが頷いた。その頬に残る涙の跡が、キッチンの明かりに光った。
「僕たちが敵の囲みを抜けた直後だった。マッド・アイとダングがすぐ傍に居て、北を目指していた。ヴォルデモートが――あいつは、飛べるんだ――真っ直ぐあの二人に向かって行った。ダングが動転して、僕はあいつの叫ぶ声を聞いたよ、マッド・アイがなんとか止めようとしたけど、ダングは姿くらまししてしまった。ヴォルデモートの呪文がマッド・アイの顔にまともに当たって、マッド・アイは仰向けに箒から落ちて、それで――僕たちは何もできなかった。何にも。僕たちも、六人に追われていた――」
 ビルは涙声になった。
「当然だ。君たちには何もできはしなかった」と、リーマスが言った。
 全員が、顔を見合わせて立ち尽くした。ムーディが死んだ。あんなにタフで、勇敢で、死線をくぐり抜けてきたムーディが――
 やがて、誰も口に出しては言わなかったが、誰もがもはや庭で待ち続ける意味がなくなったと気づいたようだった。全員が無言で、アーサーたちに続いて隠れ場所の中へ、そして居間へと戻った。そこではフレッドとジョージが、笑い合っていた。
 居間に入って来た皆の顔を次々に見回して、「どうかしたのか?」とフレッドが言った。「何があったんだ? 誰かが――?」
「マッド・アイだ」と、アーサーが言った。「死んだ」
 双子の笑みが衝撃で歪んだ。何をすべきか、誰にもわからなかった。トンクスはハンカチに顔を埋めて、声を出さずに泣いていた――トンクスは、ムーディと親しかった。魔法省で、ムーディの秘蔵っ子として目をかけられていた。ハグリッドは部屋の隅のいちばん広く空いている場所に座り込み、テーブルクロス大のハンカチで目を拭っていた。
 ビルは戸棚に近づき、ファイア・ウィスキーを一本と、グラスをいくつか取り出した。
「さあ」と言いながら、ビルは杖を一振りし、なみなみと満たしたグラスを送った。一四個目のグラスを宙に浮かべ、ビルが言った。
「マッド・アイに」
「マッド・アイに」と、全員が唱和し、飲み干した。
 ファイア・ウィスキーは、シルヴィアの喉を焦がした。焼けるような感覚が彼女をしゃきっとさせた。麻痺した感覚を呼び覚まし、現実に立ち戻らせた。
 彼の死を無駄にはできない。前に進まなければ、ムーディに怒られてしまうだろう、とシルヴィアは彼を思った。

 スクリムジョールが殺され、魔法省は例のあの人の手に陥落し、ホグワーツも変わってしまった。セブルスが校長となり、 アミカス・カローが闇魔術に対する防衛術、アレクト・カローがマグル学の教師となった。
 デスイーターに占領されたホグワーツは、重苦しい暗い雰囲気が漂っていた。シルヴィアは、今学期最初の呪文学の授業に出ていたが、突如カロー兄妹が教室に入ってきた。自分の両腕を持ち引きずるように教室の外へ連れていかれ、シルヴィアは抵抗する。
「な、何っ、離してっ!」
「ロジエール、おまえがいるべき場所はここじゃない。研究室だ!」
「研究室……?」
「闇の帝王は永遠の命をご所望だ。時を使えばそれも可能だろう」
「不可能だわ! いくらなんでもそれは――」
「ごちゃごちゃうるさい!」
 自分の部屋に放られ、シルヴィアは床に手をつく。アレクト・カローに乱暴に腰元を探られ、杖を引き抜かれた。必死に奪い返そうとするが、アミカス・カローに杖を向けられた。
「動くな!」
「返して!! 私の杖――!!」
「研究に杖は必要ないだろう」
 二人を睨めば、彼らは蔑むようにせせら笑った。
「これからは定期的に報告してもらう。何の成果もなかったら……わかってるだろうな?」
「このホグワーツに助手は必要ないんだよ、ロジエールちゃん」
 扉が閉じられ、静寂が辺りを包む。すぐにドアを開けようとしたが、外から鍵がかかっているらしかった。悔しさのあまり、シルヴィアはドアを拳で叩いた。やりきれない思いが心の底から沸き上がる。
 シルヴィアは部屋を見回した。本棚には見知らぬ闇魔術の本がずらりと並んでいる。きっと休暇中に入れ替えられたのだろう。そのうちの一冊を取り、シルヴィアは読み始めた。
 永遠の命を作ることなど不可能だし、開発する意欲もない。しかし、時で誰かを救うことができるかもしれない。その時に備えて、シルヴィアは呪文を作ろうとしていた。ムーディの死が彼女に影響を与えていた。

 数日後のある日、シルヴィアは校長室にいた。両腕をカロー兄妹に抱えられながら、セブルスの前に立っていた。彼の後ろにかけられた肖像画の人々は、寝たふりもせず、目の前の光景を鋭く見ていた。
「それで、何か成果はあったか?」
 静かな声が校長室に響く。シルヴィアはセブルスの暗いトンネルのような瞳を見つめながら、首を振った。
「……いいえ」
 セブルスは右隣にいるアレクトと目配せした。そして――
「クルーシオ」
 アレクトが呪文を唱えた。途端に今まで経験したことのない痛みがシルヴィアを襲った。長い悲鳴が校長室に響き渡った。痛みが引いたときには、シルヴィアは床の上で息をしていた。
「戻ってよい」
 セブルスの声が上から聞こえ、カロー兄妹はシルヴィアを見てにやけながら部屋から出ていった。衣擦れの音がこちらに近づく。
「……すまない。大丈夫か?」
 シルヴィアの頬に手を置きながら、セブルスは心底申し訳なさそうな顔で謝る。シルヴィアは頷き、ゆっくりと体を起こした。
「ああするしか……なかったんでしょう?」
「ああ……本当にすまない……立てるか?」
 シルヴィアはセブルスの手を借りて、立ち上がった。彼を見上げると、切なげな表情をしていた。
「シルヴィア。君は閉心術を使わなければならん。君の、私を見つめる眼差しは……」
「……ごめんなさい。今度からはちゃんと使うわ」
 シルヴィアはうつむいて言った。彼を見るのは久しぶりだった。しかしそれは何の言い訳にもならない。自分たちの関係があの人に知られれば、セブルスがこちら側の人間だと知られれば――命はない。シルヴィアは来る日を思い、気を引き締めた。
 その日はすぐにやってきた。部屋のドアが勢いよく開き、アレクト・カローが食事を持ってきたのだろうと思っていたシルヴィアは、自分を呼ぶセブルスの声に驚き、本から顔を上げた。
「ダークロードが君を呼んでいる……!」
 息をのんだシルヴィアの手を、セブルスが力強く握った。
「いいか。心を無にするんだ、感情をコントロールしろ――」
 シルヴィアは覚悟を決めて頷き、震えながら立ち上がった。
 セブルスの後について校長室に入ると、そこに「彼」はいた。 シルヴィアは恐怖で叫びそうになったが、必死に押し殺した。こちらを見据えるあの人は、髪がなく、蛇のような顔に鼻孔が切り込まれ、赤い両眼の瞳は細い縦線のようだった。蝋のような顔は、青白い光を発しているようだった。六年前に見たときと違うのは、彼が杖を片手に自分の足で立っているということだった。
「シルヴィア・ロジエール……エバン・ロジエールの妹だな?」
 彼の声は甲高く、はっきりしていた。シルヴィアは目をそらすのを堪え、頷いた。
「エバン・ロジエールは私に忠実な部下だった。その妹にも、私に忠実であってもらいたいものだ……」
 するりと、彼は近づいてきた。シルヴィアは必死に心を閉ざし、彼を見つめた。
「セブルスの話では、研究が全く進んでいないということだが……それは本当か?」
「……はい」
 赤い両目の瞳が一瞬、より縦に細くなった。
「お前の要求する書物を誰が持ってきてやってると思ってる? お前は自分の立場というものがわかっていないようだな……クルーシオ」
 言いようのない痛みが全身に走った。誰かが大きく叫んでいた――気を失ってしまいたい――この痛みが続くのなら、死んでしまいたい――。
 拷問のように続いた痛みが引いた。気づけば、シルヴィアは床に倒れていた。肩で息をしながら、彼を見上げた。彼はこちらに顔を近づけ、囁いた。
「アレクトから聞いたことだが……お前とセブルスの間に、何か、関係があるという噂があるようだな?」
 ――動揺するな。感情を殺せ……。
 シルヴィアは心を無にしようとした。しかし――
「ほう、おもしろい」
 彼は唇をゆがめ、傍で控えるセブルスへ目を向けた。
「セブルス、こいつはお前に気があるらしい」
 カロー兄妹が嫌な笑い声を立てた。シルヴィアは顔をうつむかせた。
「お前がやれ、セブルス。こいつは、それはそれは甘い声で鳴くだろう……」
 傍にセブルスが立つ気配がした。彼は躊躇せずに唱えた。
「クルーシオ」
 先ほどと同じ痛みが全身を襲った。
「あああああああああああああああああああああっ!!」
 死にたい――この痛みから逃げたい――いっそ死なせてほしい――
 長く感じていた痛みがようやくやんだ。シルヴィアは動けなかった。二度の拷問で起き上がる気力もなかった。
「痛いだろう? ロジエール……もう二度と経験したくないだろう?」
 甲高い声が降ってくる。反応しないでいると、彼は言葉をつづけた。
「命を永遠に長らえさせる方法を開発できなければ、お前に用はなくなる……それを忘れるな」
 そう言い残し、あの人はセブルスと部屋を出ていった。ドアの閉まる重い音が響く。未だに息が切らしているシルヴィアを、カロー兄妹が無理やり立たせた。そして、自分の部屋へとひきずられるように連れて行かれた。
「ロジエールちゃん、スネイプが好きなんて、変わった趣味してるのねえ」
 自室へ放られ、ドアが閉められる直前、カロー兄妹の嘲笑が響いた。

 深夜の自室で、シルヴィアは一つの結論を導き出した。この一年、研究し続けた理論。これを使えば、誰かの命を救うことができる――久方ぶりの喜びを噛みしめていると、バンっという大きな音とともにドアが開いた。
「シルヴィア!」
 机のランプの光で、セブルスの顔が見えた。彼は切羽詰まったような表情をしていた。
「ど、どうしたの……?」
「ポッターがここに来た、これから戦争が起こる……君の杖だ、そしてこれを一口飲むんだ……!」
 杖と同時に、黄金の液体の入った小瓶を受け取る。シルヴィアはその液体に見覚えがあった。
「これ……あなたが飲むべきよ!」
「私はもう飲んだ。いいか、シルヴィア」
 自分の両手に、彼の両手が重ねられた。
「絶対に生き残るんだ!」
「セブルス、あなたも……!」
 二人はキスをかわした。これが最後になるかもしれないという予感が、二人にはあった。一瞬見つめ合った後、セブルスは部屋を出ていった。
 シルヴィアは言われたとおりに液体を一口飲んだ。すべてが上手くいくような、不思議な感覚におそわれた。杖を片手に、シルヴィアも部屋を出た。
 どこかで爆発音が聞こえていた。窓の外を見ると、暗い校庭に何本も閃光が走っているのを見た。戦いは始まっていた。
「シルヴィア!!」
 マクゴナガル先生が、慌てたようにこちらに走ってきた。
「今あなたを部屋から連れ出そうと……誰が開けてくれたんです? 杖も持って――?」
「ハウスエルフが出してくれたんです」
 シルヴィアはとっさに嘘をついた。マクゴナガルは訝しんだが、今はそれどころではなく、一緒に天文台へと急いだ。天文台へ着いた途端、大きく城が揺れた。教師や騎士団員がかけた呪文より、破滅的で不吉な呪いが城をとらえたのだ。
「来ますよ……!」
 シルヴィアは皆とともに杖を構えた。仮面と頭巾をかぶったデスイーターたちが、校庭に現れた。校庭で戦うリーマス達に加勢するように、上から呪いをデスイーターたちに食らわせた。こちらに気づいたデスイーターが呪いを放ったが、シルヴィアにはどうやって避けるかわかっていた。緑の閃光は彼女の体すれすれに飛んで行った。
 しばらくして、城の中から悲鳴が聞こえた。デスイーターたちが、とうとう中に入ってきたのだ。シルヴィアたちは下の階へと駈け出した。様々な色の閃光が飛び交う中、シルヴィアはそれを避けながらデスイーターに呪いを放った。一騎打ちになり、彼を倒した直後、横からハリーたちが飛び出してきた。
「ロジエール先生! スネイプが……!」
 彼の表情からどんな事態か想定できた。
「どこ!?」
「叫びの館です!」
 シルヴィアは一目散に暴れ柳の元へ向かった。静まり返った叫びの館に、ヒールの音が響く。扉を開けたシルヴィアは、思わず息を飲んだ。
 セブルスが、そこにいた。横たわった彼は青白く、身じろぎさえしていない。首からは血が滴っていた。
「セブルス! セブルス!!」
 彼のもとに駆け寄り、ひざまずく。片手を手に取り、脈をとれば――止まって、いた。
「いやああああああああっ!!」
 取り乱したシルヴィアは、必死に首もとの傷を押さえる。が、手が血にまみれるばかりで何の意味もない。フェリックスフェリシスを飲んだといったのは嘘だったのか。
 ふと、シルヴィアはある呪文が思い浮かんだ。この一年密かに開発し、先ほど完成した魔法。しかし、フェリックスフェリシスは使うなと言っていた。最悪の場合、自分の命を失うかもしれない――しかし、シルヴィアはセブルスの傷口へ杖を向けた。自分の身に何が起きようとも構わない。セブルスが生きていてくれさえいれば――シルヴィアは歌うように唱えた。
「          」
 白い光が杖先から生まれ、セブルスを包み込んだ。シルヴィアはそのあたたかさに、ゆっくりと目を閉じた。成功したのだ。微笑を浮かべ、シルヴィアは闇の世界へと身を任せた。
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