季節は夏の終わりを告げ、青々と茂った青い木々もだんだんと茶色へと染まっていく。青々と晴れ渡った、まさに秋晴れとでもいうのが相応しい空の下、一人の男が向かってくる人の波に逆らって歩いていた。
シャツ一枚で過ごすには少々肌寒いようだが、今更戻って上着をとってくる気にもなれずそのまま歩を進める。
普段は使わない黒のネクタイを少しばかり絞めすぎたようで、息苦しい。

「ドラコ」

しばらくして人気がまばらになったところで後ろから、黒の衣装を身にまとったボブヘアーの女が男を呼び止める。少し息が上がっているのは走って追いかけてきたからであろう。
男は、怪訝そうに振り向いて「何の用だ」と口を開いた。

「何の用だ、じゃないわよ、全く…途中で勝手に抜け出したりして…」
「…僕の勝手だ」
「あのね、」

最期の日くらい、素直になったらどうなのよ

そういった彼女の瞳は僅かに赤く、完全に泣いてはいないものの、少し離れたこの距離でもわかるほど潤んでいた。彼女は今の今まで泣いていたに違いない。ドラコはそれを正視することができず、意味もなく握られていた自らの拳を見つめる。無意識のうちに握られていた拳は、しかし思った以上に強かったようで、少しだけ伸びた爪が皮膚に食い込み僅かな痛みを発している。開いたらきっと、跡が残ってしまっているのだろう。
ドラコはゆっくりと踵を返し、再び歩を進める。

「…パーキンソン。僕はな、思った以上に薄情な奴だった」
「…?」
「………泣けない、んだ」

どうしてだろうな、と背を向けたまま乾いた笑いを空に向ける。晴れ渡った秋空にそれはひどく響いたような気がして、ドラコは胸にぽっかりと開いた穴がさらに広がったようだった。

「泣けないんだよ。彼女が死んでから僕はまだ、ただの一度も泣いていない。恋人だったのに!あんなに愛していたのに!」

そのまま空に叫ぶように言い放つドラコに、パンジーはなぜだかもう十二分に流したはずの涙が再びあふれてきてしまう。今日はもう、涙が尽きることなど無いのかもしれない。
パンジーは知っていたのだ、どれだけ彼女が彼を愛し、彼が彼女を愛していたのかを。そして彼らがどれほど永遠に焦がれ、一瞬を愛していたのかさえも…─なのに、世界はいとも簡単に二人を引き離してしまったのだ。

「…ドラコ」
「何だ」
「最期の時くらい、顔を見せてあげて頂戴。お願いよ」
「……」

バッグから取り出した薄いレースのハンカチで目許を押さえ、パンジーは元来た道を辿っていった。
再び、ドラコは一人になる。

「…最期、か…」

─…正直、彼女の最期を覚えていなかった。絶対に、忘れるものかと彼女を喪う少し昔に彼女へ誓ったのに、覚えていない。ただ覚えているのは、自分の中で急速に広がっていく虚無の穴、繋いでいた手から失われていく温度。人間とはかくも愚かな生き物だ。他人を愛する、などという愚かしいことをいとも簡単にしてしまう。どんなに他人を愛しても永遠に失われないことなどないというのに。そうして愛した人を喪った哀しみに負けて、交わした誓いすら守れない。彼女の最期ばかりか、彼女と出会ったことでさえも、忘れたいなどと思ってしまう今の自分。嗚呼、こんな僕を知ったら君は僕を愚かだと言うだろうか。こんな愚かな僕でも、君は愛していると、言って──

ドラコは突然何かを思い出したように立ち止まり、再び空を見上げる。

そうして、獣のごとく叫んだ。

「僕をっ、遺して勝手に逝くだなんてっ!!愛してるんじゃなかったのか!あれはっ、…あれは嘘だったのか!!!」

嘘なわけがない。嘘であるはずがない。
彼女はどんな自分でも愛してくれる、それを言い切れるだけの時間を、愛を、過ごしてきた。自惚れなどではない。これは確信だ。けれども今のドラコはそれさえもわからなくなるほどに傷つき、混乱し、泣きたがった。


そう、初めて泣きたくなったのだ。


「…っ、く……うぅぅ…」

唸るような嗚咽の後、目頭がカァッと焼けたように熱くなり、鼻の奥が鋭い針にでも刺されたようにいたくなる。たまらずぼろり、と瞳一体を覆った水分が一度目尻からこぼれると、それを皮切りに次々と涙があふれ出す。止まらなかった。

「あぁああぁぁぁっ!うっ、あ、あぁぁ…!」

涙がぼろぼろと零れ、重力に抗わずそれらは衣服に地面に大粒の染みをつける。
それは、獣の慟哭にも似ていた。大きな声で、最愛の、喪ってしまった彼女の名前をひたすら呼びながら、ドラコは泣き続ける。

あの日から、本当はずっと、泣きたかったのかもしれない。けれど、泣けば彼女がいなくなってしまったことが本当であると認めてしまうようで、自分の知らないうちにどこかでストッパーをかけていたのだろう。
そう、泣いてしまったのなら、──



世界の全てから彼女が消えた日

( だけど、僕は泣いてしまった )



寄稿:最期の恋は叶わぬ恋となり散り果てた

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -