愛のみちびき

 私はその頃一日に十五分ぐらいは庭に出られるようになっていた。私も庭に出て彼等を見ることは嫌いだった。私はわけても犬を好かない。主人持ちでいた時には、その家の前を通ったというだけで吠えついたこともある奴が、今はさも馴れ馴れしげに尾など振って近づいてくる。それでいて絶えずこっちの顔いろをうかがっている。こっちの無言の敵意を感ずると、尾をぺたっと尻の間にはさんで、よろけるように逃げてゆく。そうして腐った落ち柿などを食っている。猫は彼等ほど卑屈ではないがコソ泥以上に図々しくなってしまった。人間がいることなどは平気で家のなかを狙う。畳の上に足跡をつけて部屋を駆け抜ける。昔を思い出してか座蒲団ざぶとんの上に長まっていたりする。そのくせ人間の眼を見ると必ず逃げる。
 そんな時に彼奴が現れたのだ。
 其奴の前身は誰も知らなかった。大きな、黒い雄猫である。ざらにいる猫の一倍半の大きさはある。威厳のある、実に堂々たる顔をしている。尾は短かい。歩き去る後姿を見ると、その短かい尾の下に、尻の間に、いかにもこりこりッとした感じの、何かの実のような大きな睾丸こうがんが二つ、ぶらぶらしない引き締った風にならんでいて、いかにも男性の象徴という感じであった。欠点をいえばただ一つ、毛の色だった。それが漆黒であったら大したものだろう。しかし残念ながら黒猫とはいっても、灰色がかったうすぎたなくよごれたような黒であった。その色を見ると、やはり野良猫に成り下る運命にしかなかったかと思わせる。
 彼は決して人間を恐れることをしなかった。人間と真正面に視線が逢っても逃げなかった。家のなかに這入って来はしなかったが、たとえば二階の窓近く椅子を寄せて寝ている私のすぐ頭の屋根の上に来て、私の顔をじろりと見てから、自分もそこの日向にゆったりと長まったりする。私の気持をのみこんでしまっているのでもあるらしい。いつでも重々しくゆっくりと歩く。どこで食っているのか、餓うえているにちがいなかろうが、がつがつしている風も見えない。台所のものなども狙わぬらしい。
「いやに堂々とした奴だなあ。」と私は感心した。「何も取られたことはないかい?」


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