背負う者の無思慮の結果




背負う者の無思慮の結果



それは和平の使者一行がコーラル城からカイツールの軍港に帰還し、来客用の部屋でカイツール司令官アルマンダイン伯の出迎えを受けていた時のこと。

ヴァンがアリエッタの件を話し終えて部屋から去った後、アルマンダイン伯の挨拶を受けていたルークは、伯爵がバチカルのファブレ公爵邸を訪問したことがあるのを聞き、父であるファブレ公爵への連絡を相談することにしたのだった。

「そうだ。伯爵から親父に伝令を出せないか?」

「ご伝言ですか? 伝書鳩ならバチカルご到着前にお伝えできるかと思いますが」

「それでいい。これから導師イオンと、マルクト軍のジェイド・カーティス大佐を連れてくって……」

「……ルーク。あなたは思慮がなさ過ぎますね」

その場にいたティアとジェイド以外の人間が不快や焦りを露にする中で、ジェイドは今までのように涼しい顔で、ムッとした顔で睨むルークの視線を受け流し、人を食ったような微笑みを崩さなかった。

アルマンダイン伯が『ルーク』をあからさまに侮蔑するジェイドに、不審と不信の視線を向けていることなど気にも留めず。

「……カーティス大佐とは死霊使いジェイドのことか」

「その通り。ご挨拶もせず大変失礼致しました。マルクト帝国皇帝ピオニー九世陛下の名代として、和平の親書を預かっております」

「……ほぅ、それはそれは、ずいぶんと無礼な使節団ですな」

使節団というにはマルクト人らしい人間がジェイドしかいないことも気になったが、それよりも無礼の方が気になったアルマンダイン伯は、胸中を隠さず視線と声に込めて指摘した。

「おや、なんのことでしょう?」

「たった今、その口から出た言葉をもう忘れたと?」

再度冷たく指摘されても、ジェイドの表情は変わらない。

何に対してのことかはわかっていても、それの何が問題なのかはわかっていない、といった様子で、それもまたアルマンダイン伯に、ジェイドと、ジェイドを名代に任命したピオニーと、和平への不審と不信を増していった。

『皇帝の名代』『和平の使者』である今のジェイドの問題は、ジェイド・カーティス個人に留まるものではないということを。

例えジェイドがどんなつもりであっても、他人はジェイドへ抱いた負の評価をジェイドの後ろに見るピオニーに、マルクトに、和平にまで向けるということを。

もっともそれを考慮しなければならない立場のジェイド当人は、普段からどうでもいいと思っている自分個人への悪評への態度と変わらず、どうでもいいかのように受け流して微笑んでいた。

「ルークを思慮がないと言ったことですか? 仕方ないでしょう、事実なんですから」

「ジェイド、そんな風に言うのは止めてください。ルークは気を遣って鳩を……」

「何がだよ! 俺が何をしたっていうんだよ!?」

「鳩で連絡しようとしたことなら、ルーク…様も考えた上でのことだと思うぞ? 国王陛下への謁見が目的なら、要人へ会う時には事前連絡した方がスムーズにいくだろう?」

「そうですよねぇ。いざバチカルのお城に着いた時には王様は長期のお留守でした、なんてこともありえるわけだし……」

「ルーク、大佐はあなたの思慮のなさを叱ってくれているのよ、そういう態度はよくないわ。ガイもアニスもルークを甘やかすのはよくないわよ。余計なことをしたらちゃんと叱らないといけないわ」

その場の空気が冷えていくのに不味いと気付いたイオンが止めようとするが、自分の気遣いを無碍にされた上に立て続けに公然と侮蔑されたルークの怒りは収まらず、更にはジェイドに味方する、というよりは自分でもルークを叱りたいかのように、ガイやアニスがルークを庇うことにすら不満なように、自分もルークを侮蔑しながら口出しするティアの更なる侮蔑とで、ますます悪化していった。

「だから、なにがだよ!? はっきり言えっての!」

「わざわざ言わないとわからないの? 全く、本当にあなたは他人の気持ちを察するということができないんだから……」

ルークの先ほどの言葉に思慮がないとはアルマンダイン伯から見ても思えなかったが、それを除いてもルークの立場とジェイドの立場、そして目的を考えれば、ジェイドの振る舞いこそが無思慮だとアルマンダイン伯には思えた。

そして、ファブレ公爵家の騎士やメイドの目撃証言と一致する人相風体、軍服の目の前の女も。

あれだけのことをしておきながら、被害者のひとりでもあるルークに対して、何故そうも上から目線の態度でいられるのか。

「あっちゃあ……。二人とも、ここはもうキムラスカなんだぜ、それわかってるのか? 今までだって不味かったけど、よりにもよってここで、ここまでやっちまうとはなあ……」

「……? もちろん」

「……? そんなこといちいち言わなくたってわかってるわ」

ガイが顔に手を当てて天を仰ぎ、嘆息する。

それでもジェイドもティアも、ガイの確認が何を意味するのか直ぐにはわからなかった。

「私も具体的な説明を願いたい。何をもって、我が国の第三王位継承者たるルーク様を、公然と貶めるのか。私から見ても、ルーク様がそのような誹りを受ける理由があるとは思えないのだが? 例え国王陛下への御報告に名代の態度を記したとしても、和平のために訪れた名代が、次期国王を公然と貶めるほどの非があると、この後、国王陛下の御前でも申し開きができるほどの理由があると?」

ジェイドもティアも、ルークの身分を知ってはいても、それを深く考えることはなく、軽んじてさえいた。

だからルークに対する態度が、ルークを怒らせることも、ルーク以外の誰かを怒らせることも深く考えなかったし、それが和平など他の物事に影響するとも思わなかった。

またティアがタタル渓谷で、ルークと一緒にすれば盗賊も怒るかもしれないと言った時に、理不尽な侮蔑に怒ったルークを無視していたように、ルークが彼らの態度や侮蔑に対してはっきりと反発や怒りを表した時でさえも、無視するような所もあった。

ルークを怒らせることなんて、ルークの知識や経験だけではなく心すらも侮っている彼らには、何ともないようなことだったし、面と向かって反発されたとしても無視してしまえばいいと考えていたし、そうしてきた。

同行しているルーク以外の人間が嗜めることはあっても、それが改善されることは稀で、その稀なものさえ口だけだったかのように直ぐに過ちが繰り返されてきた。

しかし今までとは違い、ここにはキムラスカ貴族のアルマンダイン伯がいる。

アルマンダイン伯が見聞きしたことは、他のキムラスカ人に、貴族に、もしかしたら国王インゴベルト六世にだって伝わるかもしれない状況だった。

アルマンダイン伯の言葉で、遅まきながらそれに思い至ったジェイドは、それでも面倒そうな口調ではあったが説明をする気にはなっていた。

未だに、自分のルークへの侮蔑の内容にも問題があったとは気付かないままに。

「……私の身元を明らかにしたことです」

「「「えっ」」」

「はぁ? そんな理由かよ、わけわかんねーよ!?」

ジェイドは侮蔑の理由を説明すれば納得するだろうと考えていたが、アルマンダイン伯の態度は緩和するどころか呆れを帯びたものになり、イオン、アニス、ガイは異口同音に驚愕の声を上げ、ルークはますます理解不能といった様子で首を振り、ジェイドとティア以外の誰もが納得どころか逆効果だった。

「あのね、身元を明らかにしたら、大佐の身に危険が及ぶかもしれないでしょう。そんなこともわからないの? いくら何も知らないからって、物事をちゃんと見て、考えたり知ろうとする努力もしないのはどうかと思うわ」

これだから安全な屋敷でぬくぬくと育ったお坊ちゃんは、危険なことなんて何も知らないんだから、とティアはルークに対するいくつもの侮蔑をさらに愚痴り続ける。

ルーク以外の三人も、アルマンダイン伯もわかってない様子なのに、ルークだけを。

それにも貶められた当のルークはもちろん、聞いていたアルマンダイン伯の方も眉を顰めた。

確かに敵国に送られる使者には様々な危険が伴う。

目的地に着くまで所属を隠すというのは、危険回避の方法のひとつではある。

しかしジェイドに限っては、それは当てはまらないし、ルークが察するのも難しい理由がいくつもあった。

「それもわかんねぇっての! ジェイドの何処を見て考えたらそんな結論になるんだよ?」

「あなた、まだわからないの? まったく……このキムラスカ王国は大佐のマルクト帝国とは敵国なのよ。だからマルクト軍人の大佐はキムラスカ王国の軍人にとっては敵国の……」

「そっちじゃねぇよ! マルクト軍人だってことを隠したいっていうのなら、なんでそんな格好してるんだよ!? それマルクトの軍服だろ? それを着てたらジェイドがマルクトの軍人だってのは言わなくてもわかるじゃねーか!!」

「あっ……」

ルークがジェイドの意図を理解できないのは、反発するのは、ルークが無知で未熟だから。

これまでルークに対して何度となく思い込みで見下してきたように、自分への態度や侮蔑に対する反応さえ時にそう思って無視していたように、今度もティアはそう思い込んでルークが悪いと責めていた。

しかしルーク以外の人間から見ても、ジェイドの言は理解できなかったし、それは考えないからではなくジェイドを見て、考えたからこそだった。

「……ジェイド。僕もその服装を見ていれば、あなたが所属の隠蔽を望んでいるとはとても考えつかなかったのですが……」

「……そうですよねぇ。……大佐ってば、ずっとその格好ですもんねぇ……。てっきり、大佐はマルクト軍人なのを隠す気がないんだとばかり……」

「わからないのはあなただけだけも何も、わからないのが普通だと思うぞ? 制服着ているのを見て職業を隠したいと考えることはなかなかないだろう?」

言われてみれば、ジェイドの服装はマルクトにいた時と変わらず、マルクトの青い軍装のままだった。

しかしファブレ公爵家を襲撃する前にすら、ローレライ教団神託の盾騎士団の軍服を着替えることに思い当たらず、第七譜石探索の任務を遂行せず襲撃を考えれば実質放棄している状態なのにのにこの数か月間軍服を着続けていたほど、軍服が示す意味を理解せずに軽い気持ちで身に纏っていたティアは、ジェイドがマルクトの軍服を着ていることで、マルクト軍人だとわかってしまうということを失念していた。

「ジェイドが前々から、例えばキムラスカのへ入る前にでも、軍服を着替えて一般人を装うような服装してるなら、俺だってああジェイドはマルクト軍人ってことを隠したいんだろうなって察したさ。でもジェイドが自分でマルクト軍人だと服装で明らかにしてるのに、そんなこと察するわけねぇだろ? 行動と反対の気持ちをどう察しろっていうんだよ!!」

「まして、ここは軍港。ここに勤める者でその服をマルクトの軍服と知らぬ者はおりませんな」

敵国だからこそ、その軍服を知らない者は少ない。

軍人はもちろん、整備士のような軍属であっても、青い軍服が示す所属など常識だった。

そしてマルクト軍人にとっても、軍服を纏う意味、それを見たキムラスカ人がどう受け取るかなど、常識のはずだった。

しかし長年軍人として生きてきたはずのジェイドは、まるで何も知らないかのように、それらに思い及ぶことがなかった。

これがまだ軍人として新米であれば、まだ未熟だから気付かないのかもしれないと解釈され、事前に誰かが忠告したのかもしれない。

しかしまさか軍人になって十年以上のジェイドが、今更軍服が示す意味や纏う結果というものに気付いていないとは誰も思わず、ジェイドはそれらを理解した上で軍人だと隠す気がないものだとばかり思っていた。

「それは、大佐は死霊使いとしての、あまりよくない形でも有名だからじゃ……」

マルクト軍人であることではなくジェイド・カーティスであることを隠したかったのだろうとティアは解釈したが、ジェイドがそれに返答するよりも早く、再びルークとアルマンダイン伯に否定される。

「確かにカーティス大佐の名はキムラスカでも知られている。しかし同時に、大佐の顔を知る者もキムラスカには、特に軍には少なくない。私は直接に知らなかったとはいえ、私の部下にも戦場で貴公を直接見かけた者は何人もいるので、ルーク様が名前を明かさなかったとしても遠からず貴公の身元はわかったであろうな」

「ジェイドがジェイドだってこと隠したかったとしても、だったら顔を隠せばいいじゃねーか。烈風のシンク、だっけ? 六神将にも顔を隠してる奴がいただろ。完全に隠したり仮面をつけるんじゃ怪しまれるからだとしても、髪型を変えるとか染めて髪色を変えるとか、普段着ないような服を着るとかでも印象はかなり違ってくるだろ? でもジェイドがそういうこと全くしてねえのに、何時ものままでカイツールに入ってきてるのに、どうやってジェイドがジェイドだと隠したがってるなんて察しろっつーんだよ?」

「タルタロスを奪われた時に衣服を含めた物資も失ったとはいえ、その後に寄ったセントビナーで補充することはできたはずだし、機会がなかったわけでもないんだよなあ……」

敵国だからこそ、地位の高い軍人であれば顔を知る者も増える。

ましてジェイドは軍人としてだけではなく、皇帝の特にお気に入りの側近として、学者としても有名な人物でもある。

それを何の変装もせずにいるジェイドの様子は、身元を隠したがっているとは到底思えなかった。

ティアはルークが気持ちを察しないことを、ルークの無神経や未熟などによるものだと侮蔑していた。

しかし、人が他人の気持ちを察するには、言葉や行動など何かしら根拠が必要だということは失念していた。

そして自分の言動を根拠にした時に、他人がどのように気持ちを、人格を、目的を察するのかということも。

──だから初対面の上に、ティアによる襲撃という出会い方をした被害者なルークの態度の悪さへ苛立って侮蔑しても、被害者への態度の悪さを根拠にした時に他人が察する自分がどんなものかなど想像もせず、ティアがルークへ向けている侮蔑が、ティア自身の無思慮や無自覚を表していることにも、気付いていなかった。

「大体、仮に俺がジェイドの身元を明かしたことが思慮がないって言われるようなことだとしても、だったら自分の身元を自分で明かしてる、少なくとも隠そうとしてないジェイド自身はどうなるんだよ? お前、自分で自分は思慮がない人間ですって自己紹介してんのかよ?」

ジェイドの身元を明らかにしたことが思慮がないことだとするなら、言葉に出してそうしたルークだけではなく、服装や素顔をそのままにすることでそうしたジェイド自身もそうなる。

さらには、他人に言った言葉が自分に跳ね返ることに気付かないことや、他人に普通には察することが難しいようなことも相談もせずに察してくれるだろうとまで求めていたことなど、いくつものジェイドの思慮のなさを鮮明にしていた。

「つーかよ、俺に対して身元を隠してほしいって思ってたなら、事前に相談してくれればよかっただろ。 まだ態度からみてそうなんだろうなって想像できるものならともかく、態度と反対のことまで言わなかったらわからないのって、そんなに思慮がないと罵られるようなことなのかよ!? お前の方こそ、なんで自分が思ってることを、他人に伝えようとしないんだよ! 他人が自分の気持ちを言わなくてもわかり難くても察してくれて求めるようにしてくれて当然ってのは甘えじゃないのかよ! なんでいつもいつも俺ばかり責めるんだよ!? 今までは散々我慢してきたけど、キムラスカでまでここまでやられて、いい加減に俺ももう限界なんだよ!!」

「ここでルークが明かさなくとも、私たちもジェイドを名前や大佐という軍の階級で呼んでいるのですから、普段通りの呼び方をしていれば、軍服から明らかなマルクト軍人でジェイドという名前の大佐、ということから身元に気付く可能性は格段に高くなるでしょう。事前に相談されていれば、名前や階級で呼ばないように気を付けることもできましたが、何の相談もないままでは……。ジェイド、どうして事前に相談してはくれなかったのですか……? 仮に、ルークに思慮が足りなかったとしても、それはあなたもであり、またルークだけではなく僕たちにも言えることではないのですか。あなたといいティアといい、どうしてみんなに、また自分にも言えるようなことを、ルークばかり……。このような状態でインゴベルト陛下にお目にかかっても、僕にはあなたたちの態度を庇うような言葉は思いつきません。これではあなたに協力するのが、本当に和平のためになるのかどうかすら、もう僕には……」

ジェイドは元々他人への関心が薄かったことと、自分が他人から悪評や非難を向けられ、疎外されるのを気にしなかったこと、またピオニーという自分の多くの欠点を知っていながら受け入れてくれる得難い友人に恵まれたためか、他人の気持ちに対して疎いままで成長し、大人になってしまった。

他人の気持ちを察することだけではなく、自分の気持ちを他人に伝えることにも著しく未熟なままで。

それが他人への無礼に繋がったこと、怒らせたことは数え切れないほどにあった。

それでも今までは、マルクトでは、皇帝陛下のお気に入りという立場がジェイドを守り、相手の方から皇帝の気に障るのを恐れて引き下がることが多かった。

フォミクリーについて何度も諌め、危険な実験で大怪我をした時には殴りつけて叱咤したように、ピオニーも何をしても怒らず全てにおいてジェイドを甘やかしてきたわけでは流石にないが、それでもジェイドの過去の行いと、その人格や言動の問題の大きさに比べてそうしたことはあまりにも足りず、総合的にピオニーはジェイドを甘やかし、ジェイドは皇帝の寵をいいことに増長していると見られることも多かった

しかし、ここはマルクトではなく、ピオニーの友人だからと守られることはなく、そして、他人は、ルークは、ピオニーではない。

ピオニーのように、ジェイドを甘やかすことも受け入れてくれることも、言わなくてもわかってくれることもない。

今まで戦場で倒してきたキムラスカ人のように槍や譜術で黙らせられるわけでもなく、今までジェイドの後ろにピオニーを見ていたマルクト人のように黙ることもなく、興味を持たずどうでもいいものとして無視してきた大勢の人々のように眼を逸らせば済むわけでもない。

今のジェイドは、マルクト皇帝の名代で和平の使者に任じられているジェイドは、皇帝の名を、マルクトとキムラスカの和平を、キムラスカへ救援協力を要請する予定のアクゼリュスの一万人もの人々の命を背負っているのだから、今のジェイドが、それらに影響するものを『どうでもいい』としてしまうのは、それらをどうでもいいというのと、同じだった。

身体は十七歳の、恐らく実際はもっと幼い『子供』の反発によって、身体は三十六歳の、恐らく精神的にはもっと幼い『大人』は、やっとそれに気付かされた。

急に黙ってしまったジェイドとは違い、ティアはそれでもまだジェイドを庇いたいのか、自分がルークに言い負かされたことが不満なのか、懲りずにルークへ反論、というよりは罵り続けた。

「言い過ぎよルーク! 大佐と違って、あなたは何時も思慮がない振る舞いばかりだから、つい言うことが厳しくなってしまったんでしょう。日頃のあなたの行動にも問題があるのよ?」

「ちょっとティアさぁん、これ以上雰囲気悪くしないで下さいよぉ〜」

「アニスは黙っててちょうだい! 厳しく躾けないとルークはわからないんだから……」

年下の──とはいっても軍人としてはティアよりも先輩で、神託の盾騎士団内の階級もティアの響長より上の奏長だが──アニスからの注意が気に障ったのか、ティアは子供を叱る大人のような態度でアニスのことも叱り付けて黙らせようとした。

ティアの中には何時も、自分は大人で、一人前の戦士で、無知でわがままな子供や戦士として未熟な者を叱って導くことができるという自信があったから。

そうする自分はきっと、他人の目にも厳しくとも優しいものとして、師や姉のように映るはずだと悦びがあったから。

他人の目には知識も、経験も、見識も、立場も、関係も、師弟や姉のようになるには相応しくないのに師や姉のように振舞うことが、加害者が被害者に横暴な態度をとることが、理不尽や状況に合わない叱責の内容が、どう映っているのか。

その場の状況や前後の出来事を軽んじて、他人の気持ちというものを察することなかったティアは、そんなことは気付かずに慢心し、陶酔していられた。

「なんだよ!まだ俺のせいかよ! つーか、お前こそ日頃の自分の行動見て言ってんのかよ? 服装に関しちゃお前もおかしい、ってか思慮がなさすぎだろ。なんでそんな格好してたんだよ?」

「おいおい……ティア、躾けるも何も、君はルーク様の親でも教師でもないだろう。というか、君はルーク様を躾けるとか教育するには、ただの他人よりも相応しくない事情を抱えている自覚がないのかい?」

「失礼ね! これは神託の盾の軍服よ? 私が着ることのどこがおかしいっていうの? キムラスカは教団と敵対しているわけじゃないし、私がキムラスカでこれを着ることには何の問題もないじゃない。それにルークを叱ることにだって、問題や事情なんてなにもないわ。私がルークより年下だということなら、そんな私よりも未熟なルークが悪いし、教師でなくても叱らずにいられないほど、ルークのわがままや世間知らずが過ぎて苛々させられるんだから仕方がないでしょう。ルークは出会ったその日の夜から、愚痴ばかりで、態度は悪くて、世間知らずでもう私を呆れさせて……特に戦闘では戦士としても未熟なことばかりで、何度も何度も怒鳴って叱らないといけないほどだったのよ?」

自分がローレライ教団の神託の盾騎士団に所属する軍人ということを誇りに感じていたティアは、その軍服を纏うことに疑問を抱いたことはなかった。

自分を一人前の戦士だと、自分がそれに匹敵する知識も能力もあると自信を持っていたティアは、戦士として未熟なものを叱ることに疑問を抱いたことはなかった。

ルークと出会った時も、その夜のタタル渓谷も、戦闘中も、その後も、今までずっと。

自分がキムラスカでどんな問題を起こしたのかを、そして所属する軍にどう影響するのかを、顧みることがなかったから疑問を抱かずにいられた。

「だってお前、俺の屋敷を襲った時もその服装のままだっただろ? それも神託の盾騎士団の軍服なんだから、それ着てれば誰だってお前が神託の盾騎士団の所属だってことが、つまりローレライ教団の軍人が俺の屋敷を──キムラスカ王国ファブレ公爵家を襲撃したってことが明確になるんだぞ?」

「なっ……」

そう言われて、ティアは今更に、バチカルに到着した日、公爵家襲撃の前日のことを思い出す。

初めて見るバチカルの街を見上げていたティアに話しかけてきた見知らぬ女性は、『ローレライ教団の方ですよね』とティアの所属を直ぐに見抜いた。

当然だ、神託の盾騎士団の軍服を着ているのだから。

そして見知らぬ人間に一目で所属がわかるということは、これから襲撃する予定のファブレ公爵家でもそうだという当然のことに、ティアは思い及ぶことなく襲撃を実行した。

「出会ったその日の夜からって……君が公爵家を襲撃したその日の夜のルーク様の態度を、君が呆れていたっていうのか? 戦闘にしたって、戦士として未熟も何も、ルーク様は剣の稽古していただけで君のような職業軍人じゃないんだから、君の侮りはそもそもが見当違いじゃないか。大体どうして、誰のせいでルーク様が危険な場所に飛ばされたと思ってるんだ? ルーク様は戦闘を伴う任務に出ている軍人じゃない、君の襲撃に巻き込まれた被害者だったんだぞ。それを愚痴るのも、加害者で飛ばされた原因の君への態度が悪いのも、それこそ『仕方ない』だろう。……送り帰すと約束したというから、てっきりもっと責任感のある態度をとっていたのかと思ったら……あまり幻滅させないでくれ」

軍服を纏う意味、軍人、職業としての戦士であること。

軍服を着ていない意味、軍人ではない、職業としての戦士ではないということ。

ティアは軍服を纏い軍人としての自分を誇っていながら、その意味を、違いを理解してはいなかった。

被害者でも戦う力があるなら、軍人でもなく実戦経験もなくとも、また稽古用の木刀でも武器を持っていれば戦わせ、自分が詠唱してルークが盾になって護るというルークが危険を負う戦い方を強いることすらあり、ルークができなければ怒鳴ってまでさせようとした。

ルークがそうできないこと、背中を預けられる相手だと思えないことは、ティアにとってすべきことができない未熟で、自分が叱ってやるのは正しいことだと思っていた。

他人の目には、無知で、未熟で、愚かで、加害者という立場のティアが、被害者であり軍人でもないルークを叱責して自分を護らせるのは、どれほど傲慢に、無神経に映っているのか。

それでいて自分が一人前の戦士だと誇りを持ち、軍人として恥じることなどないかのように平然と軍服を着続けていることが、どれほど見苦しく滑稽に映っているのか。

口だけでは言っていたルークへの罪悪感や責任感が、どれほど軽く薄っぺらいものと図られるのか。

こんなにも当然のことにすら、考えれば察することのできたことすら、気付ける機会が直前にあってすら、ティアは無思慮なままだった。

人を眠らせる譜歌が危険だという当然のことにすら、実際に使用して倒れる人々を見てすらも気付かなかったように、考えなければならないこと、察しないといけないことにもそうしなかった。

ティアはただ無知なだけではなく、考えないから気付ける機会があっても気付かず、そのために被害を受けたのがルークであり、ガイであり、またティアのぞく所属する教団であり、そのトップにいるイオンだった。

「襲撃……? ティア、どういうことですか!? あなたは僕に、ローレライ教団の導師である僕に、一度もそれを言わなかったではないですか!」

「えっ……まさか、ティアさん、ルーク様の御屋敷を、襲ったってこと……!? それもその軍服姿のままで!? しかもそれどういうことなのか、何もわかってないってことぉ? 信じられない!!」

「それは……あの、私と兄との個人的なことですから、イオン様にもお話しする必要はないと思って……」

「先ほどルークが言ったことをもう忘れているのですか!? 軍人であるあなたが襲撃したということは、まして軍服を着て所属を明確にしていたということは、あなた個人の問題ではなく神託の盾騎士団の、ローレライ教団の問題にもなるんですよ! 軍人の犯罪ということはもちろん、任務で行ったことだと……教団によるキムラスカへの敵対行動だと疑われる可能性も高くなるでしょう! 何故襲撃に、その後も今まで、長々とそんな格好のままで平気で歩いていられたのですか! 第七譜石探索の任務中だと言っていましたが、そもそも任務を、仕事をしてないくせに何故制服を着ているんですか! 軍服をあなたの私服かアクセサリーだとでも勘違いしていたのですか? 浮薄な気持ちで責任も意味も考えずそんな格好をされたら、迷惑を被るのは教団や、教団に属する人々なんですよ!?」

ローレライ教団の軍服は、ティアにとっては私服よりもお気に入りの服装だった。

これを着ていれば自分は一人前の、真面目でしっかりした立派な軍人として見て貰えると思っていたから、元々自己陶酔の癖があるティアにはそれを増幅させる効果のある仮装や装飾品のようなものだった。

しかし犯罪者が私用の犯行に制服を着ていれば、仕事もしていないのに制服を着ていれば、他人からは浮ついた薄っぺらい気持ちで着用しているようにしか見えなかったし、不真面目で、軍人という職への責任感もなく、上司や教団への迷惑も考えない、ティア悪癖を露呈する効果を発揮していた。

ましてそれで苦労する立場の人間、そのために戦争が起きるかもしれない、起きなくても今起きている戦争を止めることができなくなるかもしれないとわかっている人間にとっては、軍服を着ているティアは、吐き気を催すほどの不快な服装だった。

「そしてこの件で教団へのキムラスカやインゴベルト陛下の印象が悪ければ、僕が仲介する和平への信用にもかかわってくる可能性もあるというのに、あなたはどうしてそうも平然としていられたのですか! 僕が何のために何処へ向かっているのかは、タルタロスであなたにも話したはずなのに、自分のしたことで世界がどうなるのか、あなたは少しも気にしなかったのですか!? 今までずっと一緒に旅をしていて、僕やジェイドに言う機会も気付く機会も考える時間も充分すぎるほどあったはずでしょう!」

怒りのあまり全力疾走した後のように息を弾ませているイオンを、アニスが支えながらティアを睨む。

それでもティアの心に浮かんだのは後悔でも、罪悪感でもなく、口から出るのは謝罪でも責任でもなく言い逃ればかりで、自分自身の言動、結果、他人からの評価を直視することもできなかった。

ティアはイオンやジェイドと話す機会がなかったでもなく、目的を知らなかったわけでもなく、気付く機会や考える時間なく直ぐにキムラスカに着いたわけでもない。

話す機会、気付く機会、考える時間、どれも充分すぎるほどあった。

ティアが何も気付いてなかったとしても、それは気付こうとしなかったティアに非がある。

物事をちゃんと見て、考えて、知ろうとしていれば、気付けたことだったのだから。

譜歌の知識がないのも、公爵家を襲撃したのも、危険を伴うナイトメアを乱用したのも、軍服を着てたままではダアトにまで疑いが及ぶのも、仕事をするつもりがないなら制服を着ていること自体がおかしいのも、ルークの被害者という立場、自分の加害者という立場に思い至らないのも、気付いてなかったとしても気付こうとしなかったティアに非があるものばかりだった。

そう言い訳を切り捨てられても仕方ないほど、ティアは自分で自分を甘やかしてきた。

そのツケがこの事態で、ティアだけではなく他人に、教団に、戦争に、世界に波及してから気付いても、取り返しはつかなかった。

追い詰められていたから、そんなことになるとは思わなくて、ルークを送り届けたらきっと許して下さるはず。

この期に及んでも言い逃れを続けているティアを無視して、アルマンダイン伯はいつの間にか呼んでいた兵士にティアを指差し、イオンを見つめた。

イオンが頷くと同時に、ティアの身体は乱暴に押さえつけられ、手には錠が、口には譜歌を封じるための轡が嵌められ、言い逃れもできないほどに厳しく戒められる。

ティアはそれでも、自分がここまでされるのは理不尽だと言わんばかりに呻いていたが、もはやティアが何を言いたいかなど、この場にいる人間は察しようとは思わなかった。

ティアの言葉も、気持ちも、他人からは聞く価値も察する意味もないものになっていたし、そうしたのはティアの今までの言葉と、行動と、それから察せられる気持ちだった。

「イオン様、ティア・グランツはファブレ公爵家襲撃犯としてバチカルに連行してもよろしいですな?」

「はい……和平の仲介がどうなるにしろ、僕もインゴベルト陛下に、謝罪と教団の関与の疑いを晴らすためにお会いしなければならなくなりましたね……」

和平への仲介以前に、インゴベルトの甥であり次期国王ともいえるルークに対しての今までの行いを考えれば、ジェイドがインゴベルトへの謁見すら断られる可能性も、名代の問題がジェイド個人の問題に留まらずマルクトとの関係悪化に発展する可能性もある。

例え謁見が叶ったとしても、ダアトもマルクトも共に心象悪化している中で、和平への影響を考えると頭が痛かった。

その上今回のキムラスカへ行く目的には、障気が発生しマルクト側の街道が使えないため孤立した鉱山の街アクゼリュスの救援のために、キムラスカ側の街道を通過させてもらうのも目的のひとつだった。

キムラスカがマルクトを、和平の意志を大いに信用できないと見做した状態で、自国の街道を救援部隊といっても敵国の部隊に通過させるだろうか?

仮に通過が許可されたとしても、本来ならアクゼリュスに向かわせるはずだった第三師団はジェイド以外壊滅し、タルタロスは資金や物資や人員もろとも奪われている。

既に障気発生から二カ月以上経過しているアクゼリュスへの迅速な救援のためには、キムラスカにも資金や物資や人員の援助や借入を求める必要があるが、ここまでのことをしてしまったジェイドの口からそう伝えたところで、キムラスカが了承するだろうか?

マルクトへの信がなければ受け入れられないことをいくつも求める立場にありながら、ジェイドはキムラスカからの信に足る態度をとるどころか、反対のことをずっとしていたのに。

和平の仲介自体を危ぶむイオンの言葉で、ジェイドの本来は回転の速い頭には、今まで無頓着だったために思いもしなかったことがいくつも思いつく。

つい先ほどはただ馬鹿にしただけだった、ルークがしようとした伝令の効果にも。

ジェイドやティアはルークを何かと見下していたが、実際にはルークは、彼らが見下しているほどに無思慮から今回の行動に至ったのではないのでは、と。

国王への謁見という大事には、その義弟でもある父・ファブレ公爵に事前に話をしておいた方が、バチカルに到着後スムーズに王城まで行けるとルークなりに考えてのことだったのかもしれないし、そういう効果は確かにある。

マルクト軍服で素性を隠しもしないジェイドがキムラスカ王国のバチカルを歩いていればトラブルが起きる懸念があり、特にバチカルの警備を担い一般人よりもマルクトの軍服に反応するだろう軍人から見咎められる可能性が高いが、軍の重鎮でもあるファブレ公爵に話を通してバチカルの軍人に事情を周知しておけば、それは避けられる。

そしてルークが到底察するのが不可能なほどだったジェイドの内心の要望とは違い、困難な状況での要人への謁見には、その要人の親族にして腹心へ、その家族からの事前連絡が、特に可能性が高い軍人とのトラブルを避けるには、軍の重鎮の力を借りるのが効果的だとことも。

長年ピオニーというマルクトの要人に仕えており、軍人でもあるジェイドには、考えれば察せられる範囲のことだったのに。

もちろんジェイドの身元がわかれば軍籍や悪名に関係するリスクはあるが、そんなことはジェイドが顔も隠さず変装もせず軍服のままでキムラスカに入国した時からなのだから今更であり、どうせ既に生じているリスクなら、それを踏まえた上でも軍の重鎮の手配を頼むのは有効な手段だった。

だがそのルークの思慮と気遣いに対するジェイドから返ってきたものは無礼と、侮蔑と、過剰な甘えで。

それを根拠にして察すれば、ジェイドと、ジェイドを名代に任命してキムラスカに送った皇帝に対して抱く評価は。

「……ずいぶんと無礼な使節団ですな。ルーク様に対するあからさまな侮蔑といい、態度といい、その理由といい。またルーク様から、旅の間の話を、特に貴公のことを詳しくお聞きする必要もありそうですな。伝令には使節団の到着だけではなく、今の会話の記録も付け加えるといたしましょう。それを公爵や国王陛下がどう判断されるのか、そして貴公はそれにどう弁明するのやら……」

『皇帝の名代』『和平の使者』である今のジェイドの、和平と自国の民への救援を申し込む国の、国王の親族であり次期国王でもあるルークに対する何重もの侮蔑と無礼。

それがキムラスカにどう思われるのか察しようとしなかった、自分が背負っているものを軽んじた無思慮の結果は。

ようやくそれを察するようになったジェイドの脳裏には、自分を和平の使者に任じた友人の、見たこともない悲しそうな失望した顔が浮かんでいた。

『……ジェイド。お前は思慮がなさ過ぎるな』

お前を名代に任じた俺が馬鹿だったよ、と。

そんな聞いたことのない言葉まで、本当のような生々しさを伴って聞こえてくるようで。

ジェイドは心の中だけで、親友に謝罪を呟いた。

もう二度と会えるかもわからない現実の彼には、告げられるかどうかわからない言葉を。






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