神を欺き被害者を演じた、罪人の末路はまるで魔女




「さ、審神者さまが、突然私をナイフで切りつけてっ……私のことが気に入らないと、さっさとここから出て行け、と脅かして……っ。ああ、一期さま、三日月さま、鶴丸さま! 私、怖くて、痛くて、心細くて、どうか……どうかお助けくださいっ」

微かな虫の声だけが響く夜、月明かりに照らされた庭先。

花のように美しい顔を涙に濡らし、鈴が鳴るような声も細い体も震わせて、柔らかな手を痛々しく赤に染めて、女は三人の男に縋りついた。

まるでドラマのワンシーンのような光景に、観客がいれば同情に涙するか、あるいは義憤にかられるか。

ドラマであれば続きは苛めた悪役への制裁か、それとも傷付いた美女と優しい美男のラブシーンか。

しかしこれはドラマではなく、三人の男はこれまで見習いが泣いて縋ってきた男たちではなく、人間でもない刀の付喪神、刀剣男士。

二重に化粧を施して、本丸を舞台に、ヒロインを演じるつもりの彼女は知らない。

望んでいた見せ場も、ハッピーエンドも、夢見ていたような甘い未来も、此処にはないと。



神を欺き被害者を演じた、罪人の末路はまるで魔女



「臭いませぬな」

「……へ?」

想像とは全く違った一期一振の言葉に、見習いは一瞬呆けて間抜けな声を上げてしまった。

王子様のような雰囲気を持つ粟田口の太刀は、にこりと顔だけは笑っているのに、見習いを見据えるその眼には温度がなかった。

次いで月の名を持つ天下五剣は、刀工の縁がある真白い太刀と笑い合い、聞き惚れそうな美声で血生臭い会話をはじめた。

「見た目は人の血に良く似ておるが、特有の臭いがない。我らにとっては馴染み深い、人の身が鉄に触れた時にも生じる臭いよ」

「こいつは驚きだなあ! 君の下手な演技はともかく、この血の方は良くできてるじゃないか! 臭いこそないが、色合いは本物そっくりだ!」

血液中のヘモグロビンがどうとか、何かの刑事ドラマを流し見ていた時に聞こえた台詞が見習いの脳裏に木霊して、血や涙とは違う本物の冷や汗が伝った。

まさか臭いまで気にするとは思わなかった。

臭いまで気にする男なんて今までいなかった、そこまで拘らなくたってみんなあっさりと騙されたのに!

いちいち本当に身体に傷を付けたり血を流すなんてやってられないし、血の臭いの付け方まで調べてないのに!!

内心焦りながらも、まだ誤魔化せる、男なんてこの顔で泣いて縋って頼れば簡単と侮っている見習いは、戸惑ったような態度を取り繕うと、上目使いで首を傾げた。

「それは、きっと私が身に着けている香水に、掻き消されてしまったのではないかと……ああっ!?」

言い終わらないうちに、今度は鶴丸に腕を掴まれ、捻るようにして傷の方を上向かされる。

そして何処からか取り出した白い布で真っ赤に染まった部分を拭われると、痛々しい傷口が露になった。

つい先ほど切り付けられた、痛いと言ったばかりなのに、今は演技ではない痛みに呻いているのに、鶴丸は容赦がなかった。

「き、傷口をご覧になったのだから、信じて下さるでしょう……? 私は本当に、審神者さまに、切りつけられて……痛っ! つ、鶴丸様、離して……せめて、手を、緩めて、ください!」

「鉄の臭いはしないけど、花の香りはするよねぇ」

「次郎さま!?」

いつの間にか、ここにいなかったはずの次郎太刀がいることに、見習いは驚愕し、同時に苛立った。

見習いは容姿に自信のある自分でも妬心を覚えるような、女と見紛う容姿の乱藤四郎や次郎太刀を籠絡の対象外にしていた。

あからさまに邪見にするようなことこそなかったものの、内心では苛立ちを抑えきれないからあまり近付かなかったし、今も籠絡しようと近付いた特に気に入った三人の中に、次郎太刀はいなかったはずなのに。

「うむ。これはソウビか? 身につけておる香とは違うようだな」

「そ、そうび……?」

「ああ、バラって言わないとわからないかい? 絵具とかじゃなく、香りのついた化粧でも使ったのかなぁ? んじゃこれ使ってちょちょいっと落とせば……そら、肌がまる見えだよ〜」

そんなことまで刀剣男士が気にするなんて、嗅ぎ分けるなんて思いもしなかった。

これまで誰も臭いなど気にしなかったこともあり、偽の傷口をつけるのに使った化粧品の中に、淡く薔薇の香りがついているものがあったことも、今付けている香水は違う香りだということも、見習いは無頓着だった。

何処から取り出したのか、メイク落とし用の道具を使った次郎太刀に腕の化粧を落とされて、傷などない綺麗な腕を露にされた見習いは、何故こんなことになったのかわからず、演技も忘れてどうして、どうして、と繰り返しながら、欠片も自分に靡かなかった男たちを恨みがましく睨むしかできなかった。

「前の主たちの影響か、今の主のおかげでこの身を得てから薫香を楽しんできたからか、俺たちは割と香には敏感な方でなあ」

「また刀である我らにとって、血の臭いも、人と鉄とが触れる臭いも馴染み深い。見習い殿はお忘れか? 我らが鉄から作られたものであり、同時に人を斬り血に塗れるものでもあると」

「ついでに言えば、アタシは普段から化粧をしてるから、落とし方もちゃあんと心得てるんだよ。アタシも内番や休む時には化粧を落として素顔だからねぇ」

ひぎっと、思わずみっともない潰れたような声が見習いの口から洩れる。

忘れるも何も、そんなことは考えたこともなかった。

人を越えたような美貌、逞しい身体、神々に愛される栄誉、他者から受けるだろう羨望や称賛。

そんなことにばかり夢中になり、彼らを侍らせる未来を夢見ていた見習いは、刀剣としての彼らなどどうでもよかった。

彼らのそれぞれの特徴も、容姿や身体付きが好みかどうか以外はどうでもよく、次郎太刀の化粧も女装のようだと──女形の格好だと審神者が説明したのは聞き流していた──ただ馬鹿にしていたし、歴史に興味のない見習いは彼らの前の主やその影響になど、知識も興味も持たなかった。

彼らは『刀剣』男士、『刀』の付喪神。

刀とは、美術品や魔除けの面もあるとはいえ、そもそもは人を斬るためのもの。

──そんな彼らを、人を切ることに関する嘘で、どうして騙せるなどと思ったのだろう?

今度は演技ではなく本当に目を潤ませて震えながら、ひどく頼りなげな風情になっている見習いの背に、後ろから冷厳な声がかけられる。

「見習い登録番号XXX-XXXXX-XXXXXXXXXX。あなたの見習い資格を現時刻を持って停止します。当本丸の審神者に対する虚偽の中傷、および刀剣男士への虚偽の被害の訴えによって本丸乗っ取りを企んだものと推定。また歴史修正主義者のスパイ疑惑も追加されますので、神妙にお縄につき取り調べを受けるように」

聞き覚えのある声だったが、あまりにも聞き覚えのない話し方に、見習いは振り向くまで誰の声なのかわからなかった。

振り向いても、普段審神者の膝元ではぐはぐと油揚げを頬張っている時とは別物のような、冷徹な声音と事務的な通告をするこんのすけの姿は容易に一致しなかった。

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! なんであんたなんかに、なんの権利があってそんなことをされなきゃいけないのよ!? たかが狐のくせになんなのよその偉そうな態度は!! それに歴史修正主義者のスパイってなんのこと、身に覚えがないわよそんなこと!?」

ここまでくれば審神者に切りつけられたという嘘が通らないことは流石にわかっているが、それでも歴史修正主義者のスパイというのは本当に覚えがなかった。

歴史に興味などない見習いは、別に歴史を守りたくもないが、といって改変したいとも思わなかったのだから。

それに役人ならまだしも、人間ですらない動物に見習い資格を止められた上に、あることないこと疑われるなど、ただでさえプライドの高い見習いには動物嫌いも相まってとても認められなかった。

しかし素の高圧的な態度になって言い逃れても、こんのすけにも刀剣男士にも、爪の先ほどの動揺も怯みも返ってはこなかった。

「こんのすけとしての権限ですが何か? こんのすけとは配属になった本丸の審神者を主とすると同時に、本来政府機関に所属するクダギツネでもあります。問題ある見習いの資格を停止する権限も政府から与えられており、当本丸の審神者さまも既に御承知のこと。そして考えられる危険性や疑惑を報告するのも、また私の御役目のひとつですが。ああ、刀剣男士さまや本丸に大きな勘違いをしているらしいあなたのことですから、私のこともただのペットだとでも勘違いしていましたか?」

「そも、管狐とは狐の妖怪。狐は稲荷神の神使ともされ、古くから人の子との神秘的な交流が日の本の各地に伝わっておる……などということも、そなたは知らぬのであろうなあ」

「で、でも、本当に、歴史修正主義者のスパイなんかじゃ……」

23世紀現在において、歴史改変はテロ、歴史修正主義者はテロリスト。

それは歴史にもテロにも興味のない見習いですら、現世にいた頃から知っていたような常識であり、歴史修正主義者に対する取り調べの厳しさ、刑罰の重さ、非難の激しさ、有形無形の不利益も、ニュースなどろくに見ないような見習いですら聞いたことがあった。

その疑いが自分にかかるなど、本丸乗っ取りを企んだ時も、刀剣男士を騙そうとしたその時も、血や傷口の偽装を見抜かれたその時ですら、見習いには全くの想定外だった。

「あなたはここを何処だと思っているのですか? 本丸とは、歴史遡行軍との戦争において、軍の一部隊が駐留する基地。そして審神者とは、いわばその軍を預かる基地司令官、刀剣男士とは神にして武器にして兵。其処へ審神者を陥れ、刀剣男士を籠絡して不正に奪い取り、本丸そのものを奪おうなどと企めば、敵方である歴史修正主義者のスパイという疑いが生じるのは当然でしょう。もっとも、ただイケメン侍らせたハーレム欲しい、楽してレアが欲しいだけの乗っ取り企図の前例が既にありましたので、その可能性もきちんと考慮の上で取り調べてもらえますよ」

問答無用で身に覚えもなく歴史修正主義者認定されることだけは免れるらしいとわかり、見習いはほっと息を吐きかけたが、その間もなくこんのすけは、逃れられない身に覚えのある罪への罰を告げる。

「とはいえ、それも重罪に違いはありませんよ。戦争中に基地を混乱させ味方に損害を与えようとしたのですからね。もちろん未遂であってもです」

「パ、パパがなんとかしてくれるわ! パパは政府にだって顔が利くし、お金だっていくらでも出してくれるもの! パパは私のことをお姫様と呼んで愛してくれた、大切に育ててくれたのよ!? その私が罪人になるなんてパパが許すはずがない! 今までだって、ずっとそうしてきてくれたもの! あなたたちだって私が主になる方がいいでしょう?」

元が刀でも男の形をしているからには、きっとあんな平凡な容姿の審神者よりは自分の方を望むはず。

自分なら昔読んだ物語のお姫様と王子様や騎士のようになれる、自分の方がそんな光景の中心にいるのに相応しい。

罪人になんてなりたくない、今からだって彼らを籠絡すれば、こんのすけや審神者なんて始末させれば誤魔化せると、見習いは必死で思い込もうと、今度は本気で縋りつかんばかりなっていた。

「お姫様ねぇ……。俺たちの知っているお姫様は、自分の行動が御家や身内の浮き沈みに繋がることを理解していたし、そのように育てられていたもんだったが……」

「戦の世に姫と呼ばれた方々には、だからこそ添う殿方を選ぶ自由などほぼないようなものでしたな。人質のようにかつての敵方に嫁ぐこともあれば、仇に嫁ぐこともありましたからなあ。もっとも選ぶことができたとしても、容貌の好みで選ぶものでもないでしょうが」

「教えねばならぬことも教えず、諭さねばならぬ時に諭さず、果ては間違った時には増長させるのでは、大切に育てているとは言えぬのだがな。それは姫君ではなく姫人形の扱いよ。そして我らが求めるのは、ただ着飾らせて愛でるだけの姫人形ではないし、我らが閨で肉の身を愛でられるために降りてきたわけでもないのだがなあ」

「アタシたちだってねぇ、主に教えることも諭すこともあるんだよ? 一城の主たる姫君ってのは、臣下の諫言に耳を傾ける器でなきゃねぇ」

刀剣男士の返答の何ひとつ見習いには理解できず、心に響きもしなかった。

彼女の家族が本当には彼女を大切にはしなかったし愛してもいなかったように、彼女も本当には家族を大切でもなく愛してもいなかったから、自分が本丸乗っ取り未遂の重罪人になることで、家族が受けるだろう非難も不利益もどうでも良かった。

その様子を見て、はじめて刀剣男士の眼には見習いへの僅かな憐憫が浮かんだが、それも彼女の罪、彼女が脅かそうとした本丸の守護、そして彼女が平凡と侮り全てを奪い取ろうとした彼らの大切な主への忠義に比べれば些細なもので、瞬きの間に消えていた。

捕縛された見習いが人形のように転がされている間も、こんのすけの連絡を受けて駆け付けた役人に連行される時も、物語のクライマックスのような囚われの姫への王子や騎士の救いなどなく、同情も慰めも見習いに向けられることはなく。

これは物語でもドラマでもなく、三人の男はこれまで見習いが泣いて縋ってきた男たちではなく、人間でもない刀の付喪神、刀剣男士なのだから。

ヒロインを演じようとした彼女のバッドエンドは、彼らの主を害そうとした愚かな罪人の、物語の魔女の末路のような現実だった。





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