文明の火

 人が燃えている。

 炎というのは文明の象徴であると誰かが言った。それが真実かはさておき、炎を扱う術というのは様々ある。例えば、かの砂都において呪術士が用いる、火の魔法。

「アは、」

 ゴウと熱された空気が音を立てて吹き付ける。高温の炎が人を焼いている。男が握った両手呪具から、周囲の魔力を取り込んで放たれる特大の炎魔法ハイファイラ。上級すぎて、その存在すら知らない者の多い魔法。威力も高いが当然消費する魔力も相当なものであるが、火球は立て続けに周囲を焼く。
 術士の男は、ときおり笑い声を零しながら詠唱し続ける。その腕も燃えている。喉も焼けている。瞳が、炎を映して、光る。

「逃げるなよ」

 ほとんど爆発のような魔法フレアが爆ぜたあと、間髪入れずに相手が凍る。急な温度差のせいで、もはや熱いも寒いもわからない。数年前のクルザスを思い起こさせる特大の氷魔法ハイブリザラ、足を縫い止めるように地を這う氷塊フリーズ。追い討ちのように降り注ぐ落雷サンダジャ。耐えきれず鉄が割れ、魔導兵器たちの動きが見るからに鈍くなる。
 冗談みたいな魔法だった。これが一人のヒトによって放たれているなど、考えられないほど。まだ、彼らの言う蛮神によるものであると聞かされたほうが、信じられる。

「届かなくなるだろ」

 いつのまにかまた周囲一帯が燃やされている。魔法を使うには魔力が必要で、それが尽きれば最悪の場合死に陥ることもあると聞くが、術士は止まることなく延々と攻撃し続けている。
 黒魔道士は周囲の魔力を取り込んで無尽蔵に強力な魔法を扱える。だからマハは滅んだ。己を神だと錯覚するから。

「なァ。もうすこし遊びたいんだ」

 もう自分と、目の前の男以外に形を保っているものはない。逃げ続けていた兵士は震える息を吐いた。死を人と同じ形にするのなら、この術士と同じになるだろうと思った。
 呪具を握る腕が割れている。やはり、攻撃し続けるのにもリスクはあるのだろう。気にも止めず、男はときおり笑い声を零しながら、いかにも楽しいと言うようにその腕を振り上げる。

「まだ壊れるなよ」

 炎でも氷でもない。純粋な"魔力の塊"。無属性の魔法。共通語ではない、おそらくは誰も知らない古い言葉で、たった一言、術士の男が呟く。笑いを含んで。心底楽しいと言うように。破壊の魔法ゼノグロシーが天から降る。
 兵士だったものが弾け飛ぶ。
 人が燃えている。凍らされたまま割れている。兵器が電圧に耐えきれずに音を立てる。

 ああ、と落胆したような声。そこらを転がる死体と同じ色にまで変色した腕をぶら下げて、男は立ち尽くした。

「……脆すぎ」

 敵も味方も。誰も彼には近付けない。巻き込まれたくないから。笑いながら蹂躙するその姿はとても正気には見えず、誤って殺されてしまうのではないかと、恐ろしいから。
 ふわふわと自らを取り囲む冷たい魔力の球を、ひび割れた指でもてあそびながら、男は戦闘が始まってからはじめてその場から足を持ち上げた。熱で溶け、急速に冷やし固められた何かがその足を地面に縫い付けていたが、ベリ、と嫌な音を立てて男はそれを引き剥がす。千切れたのが彼の装備なのか皮膚なのかは分からない。そのまま一歩踏み出して、原型を失った何かの上を歩く。
 強い黒魔道士が一人いれば戦争はそれで事足りる。だからあの古の魔法都市は過去のものになった。己を神だと錯覚するから。

 無属性魔法が爆発したあたりの空間に、ヒビ割れができていた。自分の腕のそれとよく似た異常に、術士の男は眉を顰めて、呪具を真横に薙ぐ。そのひとふりでヴォイドクラックが閉じられる。
 妖異ヒトでなしに教えられた言葉で呼ぶ魔法を、無闇矢鱈に使うとヒビが入る。己が神だと錯覚すると、それを閉じすることを忘れる。クラックはいずれゲートになる。

 術士の男はあたりに異常がないことを死体と瓦礫しかないことを確認して、ブチブチと溶けた肉を引きちぎりながら歩く。割れた右腕からは魔力が溢れる。

 炎というのは文明の象徴である。それを使いこなす技術こそが文明である。原始のヒトがはじめて扱った属性。文明の象徴。最初の宗教国家を平らげた第三霊災火の厄災
 黒魔法の基本は炎。破壊をもたらす禁呪。

 あと一回使ったら、腕ごと灰にしなければ、と男は考えていた。クラックはいずれゲートになる。ゲートになれば妖異が来る。己を神だと錯覚する。それを従えることができると。
 強烈な温度差で左腕にもヒビが走る。裂け目から呼吸するように魔力が漏れる。

 人だった肉が燃えている。

 だからあの文明は滅んだのだ。





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