8番目の終わりについて

 男は、あり得たかもしれない"続きの夢"を前にして思う。自分達と同様に、それぞれの終わりを経験したという生命体らと、終わりを退けたというカレルアンに似たヒトと、カフェのマスターを名乗るふわふわした生き物が、(せわ)しく働いている。
 おい、サボってんじゃねえぞ、と声が飛んでくる。そちらを見れば、見慣れた青いヘルメット。その手には農耕機械。

 懐かしい景色だった。それでいて、見れるはずのない景色だった。まあ、本物の農地を男は生前にも見た覚えはないのだけれど。それでも知識としては知っている。それは確かに故郷の風景で、知らない星の風景だった。

 もう死んでいる自分達が、"続き"を演じることに意味はあるのかと、思わないでもない。けれどそれを口にしたことはなかった。

 コーヒーブレイクでもどう、と、カレルアンに似たヒトが微笑む。同様に声をかけられたのであろう青い兵の後姿がその奥に見える。

 意味は、ある。もう故郷は帰らないが、この地の特性を思えば、それは確かだった。


***


 自由と秩序を巡った戦争は、いつしか無慈悲なほどに平和を求める兵器による虐殺へと取って代わられていた。爆撃を這って避け、男は目的の場所へと足を進める。カレルアンを無差別に攻撃する兵器達。それでもなお、互いに譲れないもののために殺し合いを続ける兵士達。道を塞ぐ残骸、横たわる死体。
 男は懸命に走った。平和を維持するもの(ピースキーパー)と名付けられたはずの殺戮機械に見つからぬよう、事切れた青い兵を踏み越え、死に掛けの赤い兵を見捨てて、走った。もうどうしたって、誰も助からないことは明白だった。無人の殺戮機械は止まることを知らないし、男が取ろうとしている最後の手段だって、機械どころか何もかもを無に帰す方法だったからだ。誰も助からない。既に手は尽くされた後だった。
 最初にその方法を聞かされた時は、おそらくはまだ、希望というものがあった。最終兵器を使って、あれらを止めることさえできれば、まだ助かるのではないかと、思っていた。走るうちにそれらはどこかへ消えてしまった。もうどうしたって誰も助からない。

 爆撃のクレーターでできた山を、また一つ越える。瓦礫にもたれるようにして、二つの死体が転がっている。
 男はヘルメットの下で、少しばかり瞠目した。明らかに敵兵同士――世界連邦の赤いヘルメットと、自由連盟の青いヘルメットの兵士達だ。死への恐怖からか、他の何かがそうさせたのか、彼等は寄り添うように死んでいた。もはや戦争ですらないのだ、と、何度目か思う。
 男はそれを横目に走る。あと少しだ。できればあのスイッチを押すときに、自分の隣にも誰かがいてくれれば、と考え、(かぶり)を振る。詮無いことだった。生きた誰かが周囲に居るとは思えないし、それが青いヘルメットであれば、高確率で殺し合うことになる。同胞たる連邦兵だって、男のやることに賛同してくれるとは限らない。

 男はひとりでそのスイッチを押さなければならなかった。世界を滅ぼす兵器を投入し、敵も味方も――もはや確認することもできないが、おそらくは力を持たない非戦闘員すらも殺し尽くしてしまった責任を、負わねばらないのだ。ピースキーパーの起動スイッチを入れたのは彼ではなかったが、連邦軍であることは誰もが知っていた。そして今、生物を全て殺す機械を止めるために、動く者全てを殺す爆弾を落とそうとしている。だから、ひとりでそのスイッチを押さなければならなかった。
 真横で爆発が起きる。吹き飛ばされて、幸運にも目的地へとさらに近付く。まだ五体満足だった。幸運にも。……歩みを止めることはできない。

 眼前に広がるのは、発射基地だ。男は、世界の終わりに、とうとう辿り着いた。いくつかは破壊されてしまっているかもしれないが、幸運にも設備はほとんど生きているように見える。世界を壊すには充分だった。男の凶行を止める者もいなかった。

――こんにちは。聞こえますか?

 青い光が。ここにきて初めて、男は自らの行動を遮るものを確認した。少女の声と、青い光。伸ばしかけた指をそのままに、そちらを見る。

――私はあなたに敵対する者ではありません。あなたの音を聞き、想いを感じ、考えを知りたいのです。

 青い少女。いつか資料で見た、鳥に似た翼を持つ生き物。そういえば、ついに最後まで、本物の鳥を見ることは叶わなかったな、と。思う。
 どこかで爆発が起きている。

――命の意味を、知りたいのです。

 男は短く、笑いを含んだ息を吐く。命の意味。命の意味!
 その笑いをどう取ったのか、無垢な少女の姿をした余所者は小首を傾げて男を見上げる。翼を持つことと、この暗い戦場ではもう長く見た覚えのない、目の冴えるような青い色であることを除けば、カレルアンによく似た造形の少女。自由連盟の者共が青をシンボルカラーとして掲げた理由が少し分かったような気がして、けれど決して同じではない深い青色は、いっそ忌々しいくらいに鮮やかで。無垢なことは無慈悲なことだと、遠くで暴れる兵器のことを思う。今ばかりは、この少女のことがいっとう憎くすら感じた。命の意味だなんて。今から何もかもを終わらせようとしている男に向かって、命の意味を問うだなんて!

 何も言わない男の感情を読んだのかどうか、少女の表情がみるみるうちに暗くなる。
 少女の問いに答える気はなかった。男は改めて前を向く。指を伸ばす。どこかで爆発が起きている。悲鳴は、もうずっと聞いていない。このスイッチを押すだけで、それで何もかもが終われる。

 終わりの始まりはどこだっただろう。連邦軍が、ピースキーパーを投下するためにスイッチを押したところからだったら良い。同じ指で、終わりの終わりが来る。始めたことを終わらせることができるというのは、男にとっては幸運なことだった。或いは、救いだった。

 少女の、目の冴える青が重い黒に変わる。男の心を映したように表情を歪め、溢れそうなほど目を見開く。そうしたらようやく、男は彼女を受け入れられる気がした。
 少し力を入れるだけで終わる。幸運なことに。それだけで終わることができる。

 不運だったのは、連邦軍の兵士が――カレルアンが、一回目のスイッチを押すだけの力があったことだろう。

 実のところ、この少女の姿をした存在が初めて会うカレルアンはこの男ではなかった。既に何人かに接触し、同じ問いを重ねていた。問われた世界連邦の上層の者達が、彼女の来訪を大義名分として声高に腕を振り上げたのだ。瞬く間に暴走した殺戮機械のお陰で、男がそれを知る機会を与えられることはなかった。
 少女は問いの答えを得られないまま彷徨っていた。この男から答えが得られないのであれば、もうこの星にいる意味はない。最後のチャンスだった。それももう、潰えたようなものだ。遠い遠い別の星で、彼女を創った優しいヒトが、求めたような優しい答えは。

 眼前で、低く唸るような音がする。隣では青かった少女が泣いている。瓦礫の向こうでは赤と青の兵が寄り添って死んでいる。男はひとりでスイッチを押さなければならなかったから、青かった少女にはそれ以上近寄ることはしなかった。
 すぐに男も死ねたらいいが、発射場が壊れるのは最後になる。武器は捨てて走っていた。身軽だったおかげでここまで辿り着いていた。
 彼はただ、自らの幸運を呪って、最後に一言、もうどうにもならないことを口にした。

 それが彼の、ひいてはこの星の回答だった。


***


 世界が終わるその日。終わるためのスイッチを押した、その日。男は今際の際に夢を見た。

 故郷の農地に似ている。それほど広くはないが、土の上に作物が実り、カレルアン達が農作業をしている。驚いたのは、彼等が農夫ではなく兵士であることだった。それも、連邦兵と自由連盟の兵達が、それぞれ協力しあって。表情も声も聞こえないが、談笑さえしているようだった。
 どうして今更こんな夢を見せつけられなければならないのだろう。男はここで初めて涙を流した。どうして今更、こんなありもしない風景を。どうして。

 世界は今日終わる。生き残りは望めない。今日が審判の日だったから。

 脈絡のない平和な夢は男にとってほとんど毒だった。どうして、どうしてと、言葉がぽろぽろ落ちていく。もう、どうにもならないのに。こんな夢に、今更何の意味があるというのか。

 青かった少女はいつの間にか姿を消していた。

 遠くの爆音が、少しずつ近付いていた。





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