「ナギって嘘つきだよね」
唐突に、辛辣な一言。言われた本人はほんの少しだけ驚いたように目を見開いて、またすぐにいつもの顔になる。
言った本人は手摺に肘を付き、その蒼い目でぼんやりと下階を見下ろした。こちらはいつもの笑みではなく、無表情。
「どうしてそう思うんだ? 俺がいつ嘘ついたんだよ、ジャック」
手摺に後ろへ持たれかかっていたナギは、ちらとジャックを見て言う。候補生でごった返すエントランス、この時間は一際人が多い。下手をすればその声もこの喧騒に消されてしまいそうだと、ナギは思った。
「んー、分かんない」
行ったり来たり、忙しそうな人々を、滅多に人が通らない上階の廊下から見下ろす。それで全く別の世界の人間になったような気になる。
「じゃあ、言い方変える」
いつもの笑みでは無く、無表情に近い顔。らしくないと隣の友人が思ったことなど知りもしないでジャックは言葉を続けた。
「楽しい?」
いつもの自分らしくないことは、ジャック自身が一番分かっているであろうに。それでも無表情で、真剣な顔で、手摺に凭れるのを止めて彼の方を向く。彼の紅い目を見据える。
「――何、が?」
驚いたのか、ナギは急に――否、少し前からその赤みがかった金髪に隠れて見えない汗を滲ませて、聞き返した。動揺を、隠しきれていない。
「毎日が。戦場で生きることが。9組に居ることが」
深海のような深い蒼は射抜く。深紅の目が揺らいだのを見逃さなかった。
「――……たのしい、よ」
ジャックは変わらず無表情で、少しだけ憐れみにも似た色をその目に映した。
「……そう、ならいいんだ」
もともと感情を隠すのが上手いナギがこんなにも焦るのは、ジャックが聞くからだ。自分とよく似た笑顔を作る、その言葉が妙に核心を突いているようで。
「なんか、変なこと聞いちゃってごめんねえ」
やはりそんなことなど露知らず、少年は今日初めての笑みをみせて、元のように手摺に肘を付いた。そうして下階の景色を眺めて、別の世界の人間になった気になる。
「ナギがあんまりに、笑うから、さ。いつもいつも、きっと苦しいだろうに、寂しいだろうに、それでも笑うから」
ナギは叫びそうになった。お前がそれを言うのか。いつもいつも本当の感情隠して笑う、お前がそれを言うのか。
俺は知っているんだ。お前が、仲間には泣いたら悲しくなるから笑えと言っていることを。笑い方を忘れてしまわないように、悲しみがより深くなってしまわないように、笑うことを。なのにお前が、そんなことを言うのか。
悲しいなら泣かなきゃ、と少年はけろりと笑う。ぐるぐると思考を巡らすナギの考えなど素知らぬふりをして、笑う。
「どうして」
思わず問うた。唇は乾いて、掠れた声が出た。
「自分の感情を、誤魔化すのは良くないよ」
「違う」
「じゃあ何〜?」
「ならどうして、どうしてジャックは笑うんだ」
彼はまた、笑う。
「楽しいからだよ」
またそんなことを言う。冗談はよせよ。こんな毎日が、こんな戦場が、こんな任務が、楽しい訳ないだろ。
「お前は――」
「ナギ」
怒鳴ろうとした声は、いつもより低いジャックの声に遮られた。
「コップの水は一杯になったらどうなると思う?」
――例えば、苦しいとか悲しいとか寂しいとか、そんな感情が。
「一杯になってしまったら、何処へ行くんだろうねえ」
深い深い底無しの海の目が、射抜くように見た。深紅の目が再び見開かれたのは言うまでもない。
「楽しくないなら、そんな笑顔は止めてさ、悲しいなら泣かなきゃだよ。ほんとの笑い方、忘れちゃうから。悲しいとか寂しいとかが、分かんなくなっちゃうから」
長い長い沈黙が流れる。ナギはここから逃げたくてたまらなかった。焦りばかりが浮き足立って、目だけはジャックを見ていた。
自分とよく似た笑顔を作るこの少年は、忘れてしまったのだろうか。笑うことと、悲しいと思うことを。俺も分からなくなってしまうのだろうか。
「……楽しいさ。毎日」
それでも構わない、とナギは思った。作り笑いでも、笑うことが出来るなら、悲しいと思わなくなるなら。それが、許されるのならば。
「楽しいよ…………いっそ死んでしまいたいくらいに」
彼が小さく放った言葉は、一瞬強くなった喧騒に掻き消された。ジャックの位置から彼の顔は見えなかった。
ピピピ、とナギのCOMMが鳴って、じゃあなと手を降って彼は行ってしまった。
▲▼
エントランスを行ったり来たり。忙しそうな人々を見下ろして、それで別の世界の人間になれれば良いのにと、思わない訳じゃない。
「ナギはやっぱり、嘘つきだ」
楽しいはずがないのに。それに、死んでしまいたい、だなんて。
「……そんな良いもんじゃないよ」
蒼い目に悲しみを映して、嘘つきの少年は言った。その声は喧騒に掻き消されて決して誰にも届かなかった。
▲ 嘘つきのしゃらんらおそろいの何か
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浮世フレィズ