任務に出ては黙々と仲間だった者を殺せる己の残酷さを嘆いてばかりだった。そうして心をなくしたと思っていた。

ふらふらと何かから逃げるように廊下を歩いていたら、ナギは自分が知らない場所に居ることに気付いた。広い広い魔導院。いくら歩き慣れた人間でも、訪れたことの無い部屋はひとつふたつ存在する。もう随分使われなかった教室や用途不明な空き部屋、何処へ続くのか分からない階段エトセトラ。いくらでもある。そこはそんな場所のひとつであったようだった。

薄く日の射し込む窓、煤けた床。ここは何処だろうかとナギは辺りを見回す。行き止まりの廊下だ。振り返って今来たはずの道を見たが、えらく分かれ道が多い。何も考えずに歩いてきたものだから、迷子になってしまったようだ。帰り方が分からない。

「あらら、困ったねえ」

全く困ったような素振りを見せないでナギは笑った。別に帰りたくない訳じゃないが、帰れなくても良かった。
分岐した廊下は、何故か人の生というものを表しているようにも思えた。酷く滑稽だとさえ思う。

「――迷うたのか」

するり、とナギの鼓膜をそんな言葉が揺らした。淡々とした、落ち着いた声だった。
廊下の行き止まりの方を見ると、ベージュ色のふわふわしたドレスを着た女性がいた。若そうに見えるのに、古めかしい言葉を使った彼女はくすんだ窓の外を見ていた。栗色の髪と薄い色の目をしていて、儚い、というのが第一印象の美人だ。
あまりにするりと声を掛けられたので、ナギは彼女の登場に驚かず済んだ。ただ、見覚えのない佇まいが気になった。

「どちらさ、ま……あ」

誰かと尋ねようとして気付く。
確か朱雀のルシの内一人は女性ではなかったか。ベージュ色のドレスで、栗色の髪の。
実物を見たわけではないが情報としてなら知っている、人ならざる者と目の前の女性の容姿が一致した。

「……セツナ卿?」

恐る恐る名前を呼ぶ。しかし彼女はそれを聞いているのかいないのか、何も言わずにただ窓の外を見ていた。
どうにも居心地が悪くなってナギはもぞもぞと身動いだ。ここから離れても良かったが、いかんせん帰り道が分からないのだから仕方なくそこに居た。彼女なら道を知っていると踏んで。
そうして彼女と同じように、くすんだ窓を見た。向こうにあるはずの空は見えない。やはりこの廊下は、人の生とやらを示しているようだと思った。

「帰りたいか」

ふいに彼女が口を開いた。ただ一言だけ呟いた。少し迷って、ナギは答える。

「分かりません。……けれど多分、このままが良いんだと思います」

彼女は果たして何を思うのだろうか。道に迷った子供を前にして。そんなことが少し頭を過った。
何も思わないのだろう、と彼女の反応を見る前に結論付ける。何せ彼女はもう五百年もルシなのだから。ルシでなくとも、そんな長い間生きていたら感情も薄くなるものだ。
けれど五百年の孤独を生きたという女性は、少年の予想に反して彼の方を向いた。無言のまま、指はナギの後ろを指す。細いそれも、白い肌も、戦場ではあまり見ないものだった。彼女はその長い長い孤独を、冷えた地下で過ごしていたらしい。
そうして心をなくしたのだろうか。考えるだけで悪寒がした。

彼女の指を辿ると、行き止まりに一番近い分かれ道を指していた。あれが、帰り道だろうか。
もう一度行き止まりの方へ向き直ると、先程と寸分違わぬ姿勢で彼女は窓の外を見ていた。

「未だ、守るべき物が在るのだろう」

だから、帰れ、と。ただそれだけ言って、窓の前から動かない。
その言葉に押されて、ナギはそこに居続けることを諦めた。諦めた、ということはまだ自分には守りたいものが、心らしいものがあったことに彼は驚いた。

踵を返し、示された道を行く。この階段を降れば帰れる。煤けた絨毯がほこりを舞い上げた。曲がり角で振り返って見たが、ついに彼女は行き止まりから動くことはなかった。


▲ 迷い人
迷路から脱け出せないのはどちらか


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