いつものように、トレイは報告書のための資料を集めていた。
作戦が終わったのはたった今。こんなに早く報告書を書き出すのはトレイくらいで、クリスタリウムに他のクラスメイトはいない。

分厚い本を4冊左手に、右手は次の資料を探して宙を泳ぐ。いち、にい、さん。数を数えながら、それに合わせて右手が揺れて、右へ動く。目は背表紙を追う。

「……あった」

右手が、更に分厚い本を掴んで左手に乗せる。1冊分の重みが増えて、近くの長机を目指してトレイは歩いた。

「トレイじゃん。たくさん持ってるねえ」

手伝おうか、と声を掛けてきたのはジャックだった。彼の座る、その机には報告書。再提出ではなく、今日のもの。提出期限までまだ一週間あるはずなのに、あのジャックが報告書を書いている。それはトレイを随分驚かせた。何かあったのだろうかと、少し心配してしまうほどに珍しい。

立ち上がって近付いてくる、トレイと同じ金髪碧眼。並んで立つ、同じくらいの身長。資料を軽々持ち上げる、存外細い腕。
トレイは、顔を隠すように流れる髪の隙間からジャックを見た。鼻唄を歌いながら、トレイの手にあったはずの資料を運ぶ。よく見えるように、彼の前髪は後ろに流されている。物思いに耽る少年と、未だ鼻唄を歌う少年。それはとても対照的で。

子供の頃、似ていると言われたことがある。それはきっと、見目ではなく、同じものを恐れていたから。
今こんなにも違って見えるのはきっと、違う方法で身を守ろうとしているから。

恐いと思った。世界が、何が待ち受けているのかが解らない未来が、恐いと思った。自分の存在すら危うい、不安定な世界で生きることは二人にとって難しいことだった。
ただ、恐れた。世界を、未来を、何より自分自身を。
だからトレイは知識に頼った。知る、ということと、知られる、ということ。それだけを頼りに生きた。

「(ジャックは)」

積み上げられた資料の山に一番近い、ジャックの正面にトレイは座った。
ふと見ると、ジャックの報告書はまだ一行も埋まっていない。書き出しの一文だけが、綺麗とは言えない字で書かれていた。

「(ジャックは、きっと)」

勉強が嫌いなのだ。敵を凪ぎ払う方法は知っているくせに、やればできるくせに、学ぶことを極端に嫌がる。
知りたくないのかもしれない。恐れた世界を知れば更に恐ろしくなるから、彼は目を瞑っているのかもしれない。

知らないということ。トレイにとってそれは居場所が無いということで、ジャックにとってそれは居場所を守るということ。知られるということは、トレイの存在を強固にし、同時にジャックの存在を揺るがす。

動きを止めた、トレイの左手。さらさらと書き綴る、ジャックの右手。顔がよく見えない髪型、よく見える髪型。人の死を感じない弓、感じれる刀。冷たい印象の敬語、間延びした話し方。
もしかしたら何処かで入れ違えた、よく似た二人は対照的。

恐れた世界が、回る。時計はただ時を刻む。
右手が動きを止め、ジャックは口を開いた。

「僕は何も知らない。生も死も、何が正義で何が悪かも、ましてや自分のことすらも知らない。戦って戦って、その先に何があるのかなあ。なんて、知れるはずないのにね」

机に広げた紙が黒い文字で埋められている。知りたくもないけど、と言う低い声に、トレイの目が翳った。くるくるとペンを回す、ジャックの報告書は既に提出できる状態だった。いつの間にかそれほどの時が経っていた。

彼は自分が、人が無知であることを知っている。どれだけ知識をかき集めても、知れないことが有ると知っている。知りたくないと泣く彼が、おそらくそれを誰よりも知っている。ペン回しに失敗して、手から離れたペンが床に落ちた。

「だから私は、知りたいのです」

何を、かは分からない。知りたいと思う、それは中毒性を伴う欲望。ひたすらに知りたがる私はきっと誰よりも無知。

「そっか」

ジャックの持て余した右手が、トレイの左手を掴む。

「……どうかしましたか」

ゆるく握りしめた、右手が震えている。

「…………いや、なんでもない。ごめん。ごめんね、気にしないで」

かちり、かちり、時を刻む恐ろしい世界。近付く、待ち受ける何か。
報告書を書くのは、忘れないように記録を残すため。誰かが生きた過去を、消さないために。積み上げられた資料は歴史書ばかり。過去を固めて造った足場は不安定。
トレイが知りたいのはただ情報としての知識、そして過去の現象。ジャックが知りたくないのは現実の向こう側、空想や仮定。つまり未来。

トレイの、握り返せなかった右手が震えている。俯いたジャックの泣きそうな顔がよく見えた。
細い腕、傷だらけの指、割れた爪、壊れそうな瞳。何かを掴みたい右手、何かに触れていたい左手。
きっと何処かで入れ違えた、対照的でよく似た二人。


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