! 雰囲気だけBL


寂しくなんかないよ、と。
嘘をひとつ、音をたてて溢す。
暗い部屋に、夜の空に響く。
もの寂しげに窓が鳴る。

全く無意味だと言えるほど俺には広過ぎる部屋の隅で、孤独を吸って息を吐く。

寂しくなんかない、か。

乾いた笑いが、耳に届いた。
誰かを騙して、何の意味があるというのだろう。
汚れた制服を脱いで、適当に放り投げる。誰も磨かない鏡に疲れきった顔が映った。妙に苛ついて思い切り鏡を殴ったら、ぱきん、と簡単に割れてしまった。

「ナーギ。そんなことしたら怪我しちゃうよ」

不意に、背後から少年の声。振り返るより前に手で目隠しをされた。心臓が大げさに跳ねて警告を発する。敵だ、と。
指の隙間から鏡を見たが、曇り割れたガラスは役に立たない。冷や汗が頬を伝う。殺られる、反射的にそう思った。いつもならここで武器を出すのに体が動かない。

「だーれだ?」

焦って正しいリズムを刻まない俺の心音を知ってか知らずか、心底楽しいというふうに彼は笑う。聞き覚えのある、というより聞き慣れた声。
聞き慣れた笑い声。

「……ジャック」
「あはは、正解ー。手、大丈夫?」

目隠しを解いて、ジャックは俺の後ろから手を見る。ナギが帰ってきたっていうから走って来たんだよ、と言う彼は息ひとつ乱さないで笑った。俺はまだ暴れる心臓をなだめるのに必死で、ただ鏡を凝視することしかできない。

首筋にジャックの息がかかる。それはため息にも似ていた。

「あーあ、やっぱり傷になってるじゃん」

何か壊れ物を扱うかのように、ジャックは俺の腕に触れる。さっき鏡を割ったときの傷と、その少し前からあった傷。そういえば任務中引っ掻かれたなあ、とぼんやり思う。
それが誰だったか忘れてしまった。つまり、そういうことだろう。もう俺には関係ないことだから、傷のことは記憶の隅に追いやった。
そもそも。朱雀の上層部にとっての"害"が諜報部の敵で、それが誰であれ俺達の敵。味方を殺すことだってあるし、敵を生かさなければならない時もある。
だから親友や恋人は作ったことがないし、作るつもりもない。後で辛くなるのが分かっているから。友人は多いけれど、それもただ情報の為。友人というよりまだ知人の域を出ない。
とどのつまり、俺は本音や弱音を言えるほどの相手が居ない。

溜め込んだこの感情は、何処へ行くのだろう。
そんなことを考えてたら、上がった息も乱れた心音も元のように規則的になって、すっかり冷めてしまっていた。ヘアバンドを首まで下ろして、俺もまた、ため息によく似た息を吐いた。

振り返るとジャックがいつものように笑っていて、何故か泣き出したいような気になった。けれどいつものように笑ってみせる俺は嘘つきだ。まるで彼の笑顔が無理をしているみたいで、それが俺に少しだけ似ていて、また泣きたい気になる。
まだどこか幼いそれに腕を伸ばそうとして、ついさっき鏡を割ったことを思い出した。簡単に割れてしまいそうで、怖かった。腕は何にも触れずにうなだれた。

寂しくなんかないよと嘘を吐く度臆病になる。傷つけるのが怖くて逃げたくなる。手足をもがれたみたいに、動けなくなる。

「ジャック」
「なあに」

寂しい。
そうやってただ一言が言えたら、どんなに良いだろう。けれど俺は、寂しくなんかないよと今日も笑うのだ。

「……いや、何でもない」

目を反らしながら言った。放り投げた制服を拾って、ゴミ箱に詰め込む。もう洗っても汚れは落ちないから、捨てた。
もう一度彼を見たら真顔だったから、ちょっと驚いた。なんだよどうかしたのか? と苦笑いで聞いたら、怒ったような顔をして言う。

「嘘。本当に何でもないなら、そんな泣きそうなわけない」

ずき、と胸が痛んだ。心が、抉られたようだった。

「どうしたの」

嘘を吐き過ぎて臆病になって、それでも再び嘘を吐いた。
逃げられないんだ。手足をもがれて、動けないんだ。

「(寂しい)」

それでも声に出して本音を言えなかった。割れた鏡から欠片が落ちて、記憶の隅で何かが疼いた。

「何でもないって」

親友や恋人は作ったことがない。作るつもりもない。後で辛くなるのは俺じゃないから。
俺が、朱雀上層部の害になる可能性が少なからずある。洗っても汚れは落ちないのだ、害は切り捨てなければならない。そうなったとき、手を下すのは俺ではなく彼らだ。

寂しい、と。
溜め込んだ感情が、抉られた心から溢れた。


▲ 愛より出でて哀より蒼し


title by 不在証明


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