御手杵はあまり夏というのが好きではなかった。じめじめと蒸すような暑さが、何かを思い出させるのだ。割合仲の良い脇差達や見目の幼い短刀達が、審神者から借りたビニールプールにはしゃぐ姿を見るのは、嫌いではないのだが。ひとが楽しそうにする声は、懐かしい。彼が実戦で使われなかった時代、ひとを刺す代わりにひとの輪の中で過ごしていたことがあった。だからなのか、ひとの笑い声は好きだった。それでも、この暑さはいただけないのだ。焼けてしまいそうな日差しより、彩度の高い景色より、何よりもこの蒸すような熱が、溶かすような熱が、悪夢を、連想させて。
「おてぎねさーん! ちょっと手伝ってください! これ! 持って、あっちに立って!」
言いながら駆けてきた鯰尾藤四郎に、御手杵は顔を上げた。せめて日陰にと逃げ込んだ縁側に彼は一人で腰掛けていて、向かいでは粟田口の脇差と短刀、それから他の刀派の短刀が数振り水浴びをして遊んでいた。びしょ濡れのまま、これ、と水撒き用のホースを差し出した鯰尾を見上げる。
「おお、俺でいいのか? 一期一振ならさっきどっかで見たけど」
「御手杵さんだから良いんですよ! 高いところからこう、わーって水出してください!」
ふうん、とホースを受け取って、御手杵は立ち上がった。それを見て嬉しそうに笑った鯰尾は皆のところへと戻っていく。
みずだ、と御手杵は思った。
適当に履物を突っかけて、庭の方へと歩いていく。わあわあとビニールプールで遊ぶ子供の声がする。ひとの声は嫌いじゃない。だけどどこか、悲鳴みたいに思える、のは、何故か。
「おてぎねさん! こっち!」
手を振る短刀達が、御手杵を呼んだ。みず、と、彼は思った。こめかみを汗が伝う。彼の脳内で、どろりと妙な擬音がつく。ひとの声がする。
「……ここ引いたらいいのか?」
「そうです、そこをぎゅって握って」
びしゃ。土が泥になって、ああ、みずだ、と御手杵は思う。汗が顎を滴って落ちる。どろりどろりと音がする。
今度はホースの口を上に向けてレバーを引いた。水が空から降ってくる。御手杵はそれを、ぼんやり、口を半開きにして眺めていた。短刀達がまたわあわあと声を上げた。
時折左右に揺らしながら、上に向けて水を撒く。御手杵にはもうすっかり、脇差や短刀達のことなど頭から抜け落ちていた。幸い彼等は上からの水にはしゃいでいて気づいていない様子だったが、御手杵はただ、水、雨だ、とそればかり考えていた。どろりと水滴が頬を流れた。
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「熱くなければ、夏は嫌いじゃないんだけどなあ」
「暑いから、夏なんじゃないのか」
「うーん、まあ、そうなんだけどさあ。熱いのはやだなあ」
溶けるみたいでさ、と続けたびしょ濡れの槍に、世話焼きの太刀に持たされたバスタオルを渡して、骨喰藤四郎は首を傾げた。たしかに夏は暑い。焼けるようだし、それを快いとは思わない。それでも骨喰が夏を嫌っていないのは、それがただ暑いだけで、焼けるようだと言ったって実際に焼けそうな感じもしないからであった。鉄が焼けるのと、皮膚が焼けそうにちりちり痛むのとではどこかが違う。特に今日のように水を浴びれば尚更、暑さは軽減される気がするし水があれば炎は消えるのだ。
「あんたは、火、嫌いだったか」
体を拭く手を止めて、御手杵は思案を巡らせる。骨喰は、質問を間違えたかと、その様子を見守っていた。
「ええ、どうだろう。好きじゃあないのは確かなんだけど、ううん、どうなんだろうなあ」
煮え切らない返答だ。粗方水気を落とした短刀達が、鯰尾に率いられて縁側から部屋へ入っていく。
「火は分からないが、夏は、嫌いなのか」
そう問い直すと、彼は、嫌いかなあと答える。何故と返すと、先と同じように、熱いからだと言うのだ。きょとんとした顔の骨喰を見て、御手杵は困ったように笑った。
「火は水で消えるけど、あんまり熱いと水も消えちゃうだろ」
骨喰は、ああやはり質問を間違えたかと、御手杵を見た。彼は誰かが落としていったバスタオルを拾おうとしていた。こめかみを伝った汗だか水滴だかが、どろりと妙な擬音を発した気がした。どちらも何も言わなかった。
夏はまだ始まったばかりで、半月以上を残していた。むしむしと湿った熱気が、あたり一帯を充満している。
▲ 炎天下のアメフラシ