白骨なら救われるのに

 父と母が突然死んで、彼等兄弟はふたりきりで世間に放り出されてしまった。まだ高校生になったばかりだった。双子の弟は病弱で、だからこそ自分がしっかりしなくてはと兄は両親の亡骸に誓った。
 事故や病気ではなく、両親は理不尽な事件に巻き込まれて死んでしまった。死に顔はとても綺麗だったけれど、それはそれは酷いものだったと刑事さんは口を揃えてそう言った。まだ犯人は捕まっていないから、きみたちも気をつけるように、と。まだ父母の死を受け入れられてもいないのに、男達はそう言った。
 隣で弟が声を上げて泣いている。この子の病気に、それは良くない。けれどもこの涙は、流すべきだと兄は思った。泣けてない僕の分まで、泣いて良いよと頭を撫でた。
 しばらくして、さっきの刑事とは別のスーツの男がやって来た。まだいくらか若いけれど毅然とした人で、眼鏡の向こうの顔が良く見えなかった。後ろに控えた銀の髪の男は、少し険しい表情だった。
「第九研究室の者です。突然申し訳ありません。大変失礼であることを承知でお願いがあります、七瀬天さん、陸さん」
 子供相手なんだから、そんなに畏まらなくてもいいのに、眼鏡の男は丁寧に頭を下げた。後ろの男もそれに続いて、深く腰を折る。兄、天は軽く会釈をした。陸はまだ泣いている。
 彼らは難しい話をした。お願いしてきたのは、MRI捜査、つまり、両親の脳を取り出すということだった。この前ニュースで、そういうものがあると言ってたな、と、ポヤポヤした頭で考えていた。その間スーツの男−−特に後ろの男が、ずっと険しい顔をしていた。
「それで犯人が捕まえられるなら」
 ご協力、感謝致します、と、二人はまた深く頭を下げた。そのまま土下座でもしてしまうのではないかと心配になるくらい、彼等はそうしていた。

 そうして両親の亡骸から、脳が抜き取られた。棺に納められたその頭にはぐるりと縫い目があって、髪は良く出来たウィッグにすり替わっていた。ついでに体にも大きなY字の縫い目がある。ここには何もないんだ、と思った。脳味噌がないなら、ゾンビみたいに起き上がることもできない。陸はやっぱり泣いていた。天はまだ泣けてなかった。
 こじんまりとした告別式には、例のスーツの男達−−それぞれ二階堂、八乙女と名乗った−−が現れた。進捗どうですか、と少しおどけて聞いてみると、少し迷ってから、順調ですよ、と微笑んでくれた。
 黒いネクタイがやけに良く似合うと、思った。きっと死神なのだろう。こんなにも泣きそうな顔をしているけれど。
「父と母に、会って行かれますか」
 死神達は頷いた。そのつもりで来たのだろうけど、重い重い足取りで棺に近付く。少し離れたところで兄弟はそれを見ていた。
 銀色の方の死神が、両親の頭の縫い目に気が付いたようだった。手を伸ばしかけて、眼鏡の方に止められた。それから、彼等は深く頭を下げた。泣き虫な死神だねと、天は小さく呟いた。陸はやっとしゃくり上げるのを止め、兄の手を握っていた。

 一ヶ月程が経って、両親を殺した犯人が捕まったと刑事さんに教えられた。背の高いその人は両親の写真に手を合わせてから、陸くんは元気かいと聞く。天はグラス一杯の麦茶を出しながら、ええまあ、と曖昧な返事をした。ふたりきりになって些細な喧嘩が増え、同じ家にいるのに会話が少なかったからだ。
「……、犯人が。見つかってよかったです」
 ありがとうございました。そう言うと、見つけたのは俺じゃなかったんだけど、本当によかったと刑事さんは眉を下げた。彼は事件後、最初に兄弟へ両親の死を伝えた人だった。
 彼と取り留めのない話をして、もう一度礼を告げて、まだ下っ端だという彼を見送る。やっぱり背が高い。そして、気弱そうな人だった。気弱というか、気の良さそうというか。天は刑事の仕事をテレビでしか知らないのだが、それでもまっすぐで優しそうな彼に、あの職業は向いてないのでは、と思う。失礼な話だけれど。後姿がやけに小さかった。

 入れ替わるようにして陸が帰宅した。おかえりもただいまも交わさなかった。マンションの扉は静かに閉まる。
 どうやら弟は両親の遺体から無断で脳が抜き取られたことを根に持っているらしかった。確かにその話を聞いたのも返事をしたのも自分だけだったと、怒りをぶつけられた日に兄は目を伏せた。それから些細な事で言い合うことが増えて、二人になってしまったこの家は異常なほど冷たい。あの日に天が泣いていないことさえも、今の陸には気に障ることらしかった。

 そして一年が過ぎ、二年が経ち、兄弟は高校を卒業してから、まるでそうすることが自然であるかのように別れて暮らしていた。家を出たのは天の方だった。そこに仲睦まじい双子の影はなかった。
 何が正解だったのだろうか。天は未だに、その事について頻繁に考える。どうするのが正しかったんだろうか。たとえば、兄弟がいつまでも二人でいられたような。たとえばあの刑事が、あの死神が。
 狭い部屋のテレビは、偶然にもMRI捜査についての特集を放送していた。だからこそ天はこんな思考に陥ったのだ。あの頃よりは聡明になった頭で、黒いネクタイがよく似合う死神達について思いを巡らせる。たとえば彼等が。
 テレビはMRI捜査の素晴らしさと欠点について事細かに語っている。一瞬だけ、あの時の死神の顔が映った。室長、とあって、ああ出世したんだなと思った。名前こそ出なかったが、銀髪の方も見つけることができた。二人ともまだそこにいた。あんなにも泣き虫な死神は、やはり泣きそうな顔で微笑んでいた。少なくとも天にはそう見えた。
 たとえばあの時泣いていたのが、弟ではなく自分であったら。たとえばあの時、やってきた死神がもっと死神然とした男であったら。たとえば、両親の遺体に、はじめから脳が残ってなかったとしたら。
 テレビのリモコンを探す。なぜだか見ていられなかった。特集は終盤に差し掛かっていて、一分もしないうちに終わりそうだったが、それでも天はテレビの画面を消したかった。
 どうしようもないことを考える。それから、ここにいない弟のことも。たとえば両親がまだ生きていたら。
 リモコンはついに見つからないまま、特番は終わる。何でもないことのように、今日のニュースを流す。どこかで誰かが死んでいる。女性アナウンサーの、トーンの高い声が耳につく。
 なあなあにしたまま、アドレスと番号の変更を弟に連絡しそびれていたのを思い出した。あの日泣いていればよかったのだろうか。

閉幕  表紙
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