あれはいつの話だっただろう。ずいぶん昔のことだったはずだ。そう、まだ僕等が小さな子供で、"兄弟"とマザー以外の人間を殆ど知らなかった頃。いつも眠そうな(というよりはいつも眠たかった)僕と、外を転げ回ってばかりいたナインの前に、当時僕等より背の高かったクイーンが立ちはだかった事があった。

あなたたちはまだ字が書けないの、と、まるで信じられない物を見たかのように彼女が言った。僕は日当たりの良い定位置でいつものように、うつらうつらとしていたし、ナインはその日に限って外で遊ぶ気にならなかったのか、視界の端で丸めた紙の筒を振り回していた。
「クイーン、声がおおきいよ。シンクだってまだ書けないじゃあないか」
「シンクはもう書けてるわ。この前セブンが教えてたのよ」
長机に伏せた顔を上げないまま答えると、何故か得意気に彼女は踏ん反り返る。正直僕は、だから何なんだと思った。ナインは我関せずといった感じで、何か叫びながら筒を振り回している。
「もう! ふたりがどうしてもって言うなら私が教えてさしあげますわ!」
そうやって覚えたばかりの今よりずっと下手くそな言葉遣いで言うものだから、ここでようやく僕は頭を上げた。ひどく不細工な顔をしていたと思う。
案の定クイーンは嬉々として鉛筆とスケッチブックを長机に広げていて、未だ筒を振り回しているナインからその粗末な武器を没収した。
僕が顔を顰めていたからだろうか、少し離れたところから一部始終を見ていたと思われるエイトが「このまえセブンがシンクに教えてたのをずっと見てたから、きっとお姉さんぶりたいんだよ」と囁いてきた。セブンは当時からみんなのお姉さんで、だから小さなクイーンは憧れていたのかもしれない。余計なお世話だと溜息を吐くと、エイトはくすくすと笑って、クイーンがナインを引きずってきたのに遂に声を上げて笑った。不愉快極まりなかったので、ナインの粗末な武器の残骸を投げ付ける。このチビ、と怒鳴って彼の怒りを態々買うようなことはしなかっただけ褒めて欲しい。クイーンのお小言を貰いたくなかったというのが本音だけれども。

それで、お姉さんぶりたいクイーンに巻き込まれた僕とナインは、程なくして問題なく字を書けるようになった。よくよく聞けば、僕等が最後だったらしい。何せ僕は毎日うつらうつらとしていたし、ナインも毎日外を転げ回っていたから。
今でも時々、ナインのくしゃくしゃの報告書や課題を手伝うクイーンがいる。僕は授業を寝て過ごしているだけで報告書も課題も出来ているけれど、あいつはじっと机に座っていられないものだから、隊長に冷ややかな目で催促されたりキングに小突かれたり、サイスがからかってもくしゃくしゃの紙は真っ白だ。それを見兼ねたクイーンお姉さんの有難い説教と指導が入ってやっと、未提出者リストからナインの名前が外される。(ちなみに未提出者リストにはナインとジャックの名前が並んでいるのが常だ。シンクは期限ギリギリに出して再提出をくらうタイプで、ジャックは出せば通るのだ。出せば、の話。) なんだかんだと全員自分一人で課題--特に報告書は他人の力を借りてはいないのだが、ナインに限ってはいつも誰かに助けられていたりする。僕等の中では一応年長であるのに、一番弟みたいだなと言ったのはマキナだった。そうかもしれませんねえとトレイは溜息を吐いた。僕はといえば、頭上で交わされるそれを聞きながら、暇つぶしにこの忌々しい身長差をどうにか埋める手立てはないものかと考えていた。未だこの差を詰める方法は見つかっていない。レムに聞いたら困ったように微笑まれたのがやたらと鮮明に思い出せる。だってナインがペンを持とうとしないのは、十年程前からずっとそうなのだから。今更な話だった。

そう。僕等"兄弟"の年齢なのだけど。僕とナインとシンクが字を書けるようになったのが遅かったみたいに、育ちもマザーのところへ来た時期もまるで違っていたから、姉や兄のような人たちと、弟や妹のような人たちは必ずしも年長や年少で分かれてはない。まあ、セブンとキングは確かに、今もそうであるようにはじめから姉と兄だったよ。面倒見も良かったし。逆にトレイなんかは、兄に"なった"ようなものだ。クイーンもそうなんだろう。僕にとってはいつまでたっても、彼女は姉ではなくてお姉さんぶりたい同い年の兄弟、としか言えないなんて、さすがに怒られるだろうか。それでいけばナインは弟ぶりたがっていたのかもしれない。僕の推測でしかないが、きっと、たぶんそう。

よくよく考えると、字の練習をするようになってから、どういうわけか僕とナインとクイーンは三人でいることが多かったように思う。マザーのところにいた頃も、魔導院に来てからも。特にはっきりとした理由があったわけじゃないけど、そして一番仲の良い誰かを決めることなんて出来ないけど、それでも何故か、他の皆よりは長い時間一緒にいたような気がしてる。それは偶然かもしれないけど、今日も、教室で暴れまわるナインとお姉さんぶるクイーンを見ながらうつらうつらとして、半分寝ている頭で、ああ、生きてるんだなあ、と、考える。たとえ二人が昨夜まで、死んでいたとしても。

僕等は、生きている。

すっかり書き慣れて崩れた文字でノートに書き連ねたのを、クイーンが覗き込んだ。ナインがぐしゃぐしゃと僕の頭を掻き回す。その時なぜか鼻の奥がツンとしたんだ。

▲ とある日の独白
君は僕の特別


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