! 雰囲気だけBL



ひつひつ、と乾燥した空気が彼の水分を奪っていく。肌が新しい水分を求めて喘いでひきつった。
冬の夕焼けは美しい、とナギは思う。テラスから臨む橙から紺のグラデーション。雲は灰にたなびく。1日のケガレが洗い流された気になった。早めにシャワーを浴びたので血も泥もすっかり綺麗になって、久しぶりに清々しい気分だ。全てが晴れやかではないが、それでも息はしやすかった。
いつものヘアバンドは首から提げて。長い前髪が流れていく。隙間から街を見た。
冷たい空気が肺を満たす。足の先まで酸素を吸って、目を閉じて風に当たった。

ひととおり深呼吸をして、部屋へ戻ろうとテラスを出る。ひきつる肌が、はやく帰ろうと彼を急かした。夕日が蜃気楼のようにちらついている。

自室の前まで来て、ぴたり、ナギは歩みを止めた。扉の前に何かが、いや誰かが寝ている。彼の位置からでは後頭部と左半身ぐらいしか分からないし、よくある黒のTシャツで、それが誰かは判別できない。しかし華奢な肩とミスマッチに節くれ立った腕から男子候補生だと知れた。
壁と扉の間にもたれ掛かって、へたれ込むように座ったと見えた。横の部屋番号を確認するが、そこはナギの部屋で間違いはない。

「(誰だ、こんなところで)」

死人とそう変わらない体勢の少年の側に屈んで肩を掴んだ。ゆるゆると揺らしながら、おい、と声をかける。綺麗な薄い金髪が、少年の肩で擦れた。

「んー……?」

いくらか揺らし続けて、何度目かの起きろを言ったとき、少年がようやく呻いた。長い前髪の隙間で、碧い眼と紅い眼がぶつかった。

「……ジャック、か?」

いつも、ワックスできれいに上げられているはずの前髪が金の流れを作っていて、顔をまじまじと見つつも自信なさげにナギは問うた。
すると少年は、へらり、と笑って、ジャックじゃないよ、と言った。

「今の僕は、僕であって僕でないの。ジャックじゃないの。僕は、僕だよ」

意味不明な言葉を残して、彼はまた目を閉じてしまった。寝惚けていたのだろう。いくらか温かいとはいえ、子供を廊下に置き去りでは忍びない、とナギは彼を部屋まで抱えて運んだ。

すうすうと人のベッドで寝息を立てるジャックを、彼は妙な心持ちで眺めていた。そして、少年が夢への行き際に置いていった言葉について考えていた。
僕は僕であって僕でない、と彼は言った。自分はジャックではないと。それはどういう意味なのだろうか。
視線を落とした先にあった少年の指先で、爪が少し、欠けているのを見つけた。また、戦っていたのだろう。0組も大変だな、とぼやいた。

呼吸を合わせてゆっくりと上下する掛け布団と小さな寝息が、長らく孤独だった部屋にささやかな温もりをもたらした。ナギ以外の気配に、空気が喜んでいるようだとさえ思う。
そっと、割れた爪の手をとった。思いの外手は冷たく、ナギのそれと大差なかった。冷え性なのだろう。握り締めても目覚める様子はなかった。
そのままベッド脇の床にへたり込んで、頭を布団へ預ける。

ジャックとナギは似ている、と、最初に言ったのはキングだっただろうか。笑顔が似ているのだそうだ。
白い布の中で幸せそうに眠る少年を見ながら、ふと思った。
ナギにとって今首から提げているヘアバンドは、言わば盾のようなものだった。自分が傷付かないよう、"ナギ"の為の仮面であった。これを着けている時は、他の何でもなく彼はまぐれ組のナギで、また、諜報部のナギだった。
そして、仮に、ジャックにとっての盾が前髪だとしたら。そうすれば先刻の意味不明な発言にも説明がつく。

「(そんなわけ、ないだろ)」

そう、ジャックはやはり自分とは違うのだから。
思わず、ナギは握る手に力を込めた。

この、自分よりいくつも幼い少年が。まだいくらか純粋なこの少年が。自分と似ているなど、そんなのは笑えない冗談だ。
白い布団に包まれ幸せそうな子供の側で、彼はゆると目を閉じる。耳を澄ますと小さな鼓動が聴こえた。

▲▼

ようやく体を起こしたとき、窓から臨む夕焼けはすっかり熱を醒まして、夜を迎えたところだった。
いつ起きるのか分からない眠り姫をずっとここに置いておく訳にもいかず、COMMでもって少年のクラスメイトを呼ぶことにした。ナギがまた運んでも構わなかったが――見かけ通り抱えても苦でない軽さだった――何より今日の彼は疲れていた。正しくジャックの部屋に連れて行ける自信もなかった。

ピピ、と控え目な呼び出し音の後に出たのはキングだった。

『――どうした』
「いんや。大したことじゃねえんだが、お宅のジャック君がウチで寝ててねえ」
『そうか。今、手が離せないから少し遅れるが』

相も変わらず、年下とは思えないほど落ち着いた声に、羨ましいねと心の中でだけ笑った。もう少しくらい、年相応でいればいいのに。

「忙しいならいいよ」
『いや、ナインが課題と格闘してるだけだ。10分で片付けさせる』
「はは、頼もしい」

言われてみれば、ノイズに混じって、ナインの呻き声だか悪態だかが聴こえるような気がした。彼の課題の未提出率も相変わらずらしい。
重々しい口調はそんなBGMも気に止めず、言葉を続けた。

『やっぱり、お前らは似ているな』
「……じょーだん。よしてよ、ナギさんこう見えても結構ズルい奴なんだぜ」

自嘲気味に笑ってみせると、キングは何かを言いかけた。が、それは未提出課題に追い込まれた別の少年に阻まれた。
その隙にこっそりCOMMを切って、ナギは振り返った。すうすう眠る少年に、苦笑いを投げる。
乾燥した空気が水分を求めて喘いだ。洗いきれなかったケガレが、部屋の隅で疼いてた。

「お前は、お前だよ。ジャックはジャックだ。もし、お前に盾が必要でも、俺みたいにはなってくれるなよ。お前にはいま、こうして迎えに来てくれる友人がいるんだから」

目を閉じて、ナギは深く息を吸った。夕焼けのオレンジはもう見えないのだ。疲れてはいたが清々しく、それでいてどこか寂しい夜が来ている。だから、あと十分だけ、と彼はまた節くれた手に縋りつく。
小さな寝息が彼を洗った。


▲ 君の胸で死ねたら
それでも生きるしかないけど


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