七海健人の場合


「クロックムッシュをひとつ。あとそちらのクラバットとカクテルサラダも」
「はーい。お会計773円になります」

七海健斗は会計を済ませると昼食の入った紙袋を受け取った。
最近、都内公園にやってくる移動販売車のパン屋に通っている。キッチンカーに商品棚とレジを備え付けてあり、都内を巡回しているらしい。七海の通勤路にある公園へやってくるのは毎週火曜日と金曜日だ。従ってこのパン屋に通うのは多くても週二回といったところだ。
けして種類豊富というわけではないが、毎回異なった種類のパンが商品棚に並んでいるので飽きることはない。車内でせっせとパンを作っているわけもないし、その種類の豊富さからおそらく製造元である店舗が都内のどこかにあり、そちらは大きな店構えをしているのだろうと踏んでいる。

「七海さんっていつも違う種類のパンを買いますよね。もしかしてパン好きさんですか?」

にこにこと話しかけてくる店員はいつもこのキッチンカーを運転している。車体の外観はレトロなデザインで可愛らしく丸みを帯びているとは言え、普通自動車に比べると大きめなサンバーバンを運転する彼女からは、いかにもまっとうな労働者といった雰囲気がある。
まあ、自分には関係のないことだが。七海はレシートの数字を確認しながら相槌をうつ。

「はあ、まあ。こうして通っているくらいですからね」
「うちが来ないときはお昼どうされてるんです?」
「いろいろですよ。時間がないときはコンビニで済ませることもあります」
「へえ。サラリーマンも大変ですねえ」

サラリーマンではないが、と内心思うが口にはしない。訂正するならば脱サラ呪術師である。
七海は自分の職業を進んで他人に教えるようなたちではない。胡散臭さは自覚している。呪術師であることを誇っているわけでもないので、尚更。
店員は、七海のそうした水面下の感情の動きに気づいたふうもなく(気づくわけもないが。自分の表情筋が人より乏しいことも自覚している)のんびりと笑っていた。
サラリーマンだと言われたことを否定も肯定もしない七海の朴念仁っぷりも、気に障った様子はなかった。

「それよりアナタ、引っ越しはどうなりましたか。順調ですか」

これ以上仕事の話を続けられてもつまらなかったので、七海は話題を逸らすことにした。今日は先輩呪術師の五条の日帰り出張に同伴する予定なので、あまり早く高専についても構ってちゃんな五条にウザ絡みされる可能性が高い。無駄な時間は潰しておくに限る。
客が店員のプライベートの口を出すなど普段の七海ならまずありえないが、彼女とは何度かそういった話をしたことがある。大抵は例の引っ越しに関して、どのあたりの地域が治安がいいだとか、部屋の間取りについてだとか、インテリアの相談だとか、そういった類の話だ。
話を振ると彼女は「はい、お蔭さまで」とはにかんだ。

「七海さんがおすすめしてくれたあたりで部屋を探したんです。買い出しにも困らないし、交通機関は便利だし、街灯が多くて夜道は明るいし。最高です」
「それはよかった」
「大家さんもすごくいい人なんです。この前鍵をなくしちゃったときも親切に対応していただきました」
「……はあ」

それよりも越してすぐ鍵を紛失する自分の不注意はどうなんだ、と突っ込みたくなったが、やめておいた。

「順調なようで」
「あ、でも、一つだけ困ってることがあって……」

彼女の眉が八の字になった。

「お隣さんがヘンな人っていうか、ちょっと変わった人なんです」
「変わった人?」
「わたしに構いたがるっていうか、馴れ馴れしいっていうか」

その困った隣人を思い浮かべているのであろう、彼女は小首を傾げてう〜んと唸った。悪い人ではないんですけど、と呟く。お人よしなことだ。

「なるほど。構ってちゃんは私も苦手です」
「へえ、七海さでも苦手なものってあるんですね」
「訂正します。苦手ではありません、ウザいんです。信用はしているけど尊敬はしていない」
「ふふ、七海さんがそんな言い方するなんて。気になるなあ、その人」
「会わないほうがいいです。軽薄な男なんで」

七海は腕時計に視線を落とした。いい頃合いだ。頭を下げてパン屋『hirumi bakery』を離れ、呪術高専へと向かう。
ありがとうございました、また来てくださいねー、と彼女の優し気な声が聞こえた。



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