総合病院にて


一睡もせず早朝を迎えた目蓋が腫れぼったい。眠気は全くないのに目が重いというのが余計に頭を鈍くさせる一因だったけど、目を瞑って睡魔を待つ気にはならなかった。
ここは総合病院の病室だ。ベッドの上で眠るお姉ちゃんをじっと見守る。わたしが呼んだ救急車に運ばれ、当直医の先生に診てもらい、命に別状はないから一先ず安心してくださいと告げられたのはほんの三十分前だ。ただ、今後は精密検査が必要になるので数日間は入院の運びになるという。
事故現場を目の当たりにしていたわたしにとっては幸いという言葉を噛み締めた瞬間だったけれど、病室に横たわる姉の姿を見ていると言い知れぬ不安が心を侵食してくる。膝の上で手のひらを握り締めた。
ポケットに押し込んでいたスマホの着信が鳴った。ショックな出来事が立て続けに起きていたのでマナーモードにするのを忘れていた。看護師さんに通話の許可スペースを教えてもらい、その場所へと向かう。一般病棟とは離れているためか消灯時間にも関わらず廊下は明るかったが、肝心の談話室は真っ暗だった。
そうこうしているうちに着信が途切れ、また鳴り出す。暗がりにぼんやりと浮かび上がるスマホの画面に視線を落とすと、見覚えのない番号だった。
『応答』をタッチしてそっと耳元にあてる。

『春? 今どこにいる?』

第一声がまるでお姉ちゃんが事故に遭う直前に受けた電話に似ている。同じことを繰り返す内容にまたこの電話だと普段なら恐れただろうけど、今のわたしはどこか感覚が鈍くなっていてただ受け流してしまった。

『春ちゃん? 聞こえてる?』
「聞こえてます。あの……」
『五条だよ。朝早くにごめんね、携帯の番号こっちで調べたんだ』

わたしが作った間を驚きによるものだと解釈したらしく、五条さんがそう説明する。

『連絡したいことがあってね。家にいないみたいだから』
「今、病院です」
『病院? なんかあったの』
「お姉ちゃんが……事故に遭って。その付き添いで」

聞き慣れた声に安心する。相手が見えないやり取りの中でも、スマホ越しに伝わる気配がわたしの知ってる五条さんであると身に染みて、涙腺が緩みそうになった。

『そうか。君のお姉さんが』

五条さんの声のトーンが少しだけ低くなった気がした。

『容体はどう?』
「詳しいことは検査しないと分からないそうですけど、とりあえず大丈夫です。今は眠ってます」
『そう。無事ならよかった』
「お昼から警察に行くので、帰るのはそのあとになると思います。わたしに連絡したいことって……?」
『そのことなんだけどね』

視界の端で何かがちかちかと点滅した。談話室の天井に吊るされた非常灯だ。隣の廊下から照明が届いているため周囲は真っ暗というわけでもないが、不規則に途切れる緑色の光がなんとなく心を不安にさせた。

『家には帰らないほうがいい』
「どうしてですか?」
『んー。春ちゃん、怖いの苦手でしょ。ショック受けると思うから』

五条さんの言葉に動悸がして、胸の前で片手を握りしめた。
留守を鑑みてわざわざ連絡を入れてくれたくらいだ、よっぽどのことがあったんだろうと予想はしていた。家に帰ればわたしがショックを受ける。五条さんは確かにそう言った。
昨日から、わたしの周りで起こる出来事は奇怪しなことばかりだ。
気味の悪い電話。様子のおかしかった姉。そして事故。五条さんの忠告。……思えばもっと前にもあった。マンションの階段で見かけた女の子。部屋の前に立っていた女性。
わたしを取り巻く環境はずっと前から異変を来していたんだ。

『お姉さんのこともあって動揺してると思うし、今日は実家とか、友達のところを頼りな』
「……わたし、マンションに帰ります」
『本気?』
「わたしが帰るところ……そこしかないです」

見るのは怖い。だけど、見て見ぬふりを、蓋をしてはいけないような気がした。こうなったからには原因があるのかもしれない。
どのみち一度は帰らないと。生活に必要な荷物は全部、あの部屋にある。

『分かった。僕も一緒にいるから。帰る時に連絡して』
「この番号って……」
『そ。仕事用じゃなくて僕の私物のスマホだから、掛けるのはいつでもいーよ』

通話を切って、五条さんの電話番号を登録しようと操作する。その手が震えた。怖い。自分を待ち受けているものが怖くてたまらない。
僕も一緒にいるから。五条さんの言葉を反芻する。今まで何度も助けてくれた五条さんを、また頼ってしまう。
深く息を吸い込んだ。しっかりしないと。震える手を懸命に抑えて、電話帳を呼び出す。
窓の外では薄闇が少しずつ、明るい橙色に染まっていく。夜が明けようとしていた。


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