「もうだめ……!」
背中を汗がツツと流れ落ちる。
上がりきった息を吐き出してみても身体に篭る熱は発散しきれない。
「しっかりしろ、」
恵くんが眉を寄せた。その額にはわたしと同じように汗が浮いている。
わたしはギュッと口を引き結んで−−全力疾走した。
ああもう無理、限界。足が重くて上がらなくなってきた。だけど。
夏特有のむわりとした熱気の中、先を走る恵くんも苦しそうに顔を歪めている。時おり振り返って様子を伺ってくれるのが有り難かった。
「どこまでっ、走ればいいの……?!」
「俺だって知りてぇよ! クソッ、広すぎんだろこの帳!」
走りながら恵くんは悪態をつく。バテきって辛うじて足だけ動いてるわたしとは大違いだ。体力お化けか。
「つーかお前体力なさすぎだろ」
「仕方ないじゃん、体育2だし……っ」
正直今こうやって話すのもやっとである。肺が爆発しそう。
恵くんが呆れた顔をしたのが見えた。何も言わずに前を向き直ると、ペースを保ったまま帳の落ちた河川敷を駆け抜ける。
「多分、もう少しだ」
低い呟きが流れてくる。
わたしは耳を澄ました。自分の荒い呼吸音と、恵くんの独り言。その範囲内だけではなく、あたりに向けて意識を集中させる。
(あ、)嫌な気配を察知した瞬間、激しく咳き込んだ。カラッカラに渇いた喉がひりついて痛い。呪力を使った集中なんて走りながらするものじゃない。底をつきかけていた体力と気力がごっそり持っていかれた気分だ。
「め、ぐみくん、後ろ……っ!」
必死に腕を伸ばした。なかなか届かない、恵くんの背中。
指先まで力を込めた。制服の表面に爪が掠った。もう少し。
すぐ後ろに呪霊の気配がある。追いつかれるのも時間の問題だ。
恵くんの横を並走していた玉犬がガウッと大きく吠えた。同時に恵くんの後ろ姿に手が届き、押し出すようにして、二人して土手を転がり落ちた。
落ちた先は川縁だった。不意打ちを受けた恵くんは仰向けに倒れ、覆いかぶさるようにわたしが転げた。
「ってぇ」
「ご、ごめんっ。追いつかれると思って、夢中で……んむ」
視界がひっくり返ったかと思うと、わたしは恵くんに後ろから抱え込まれていた。情けない謝罪の声が遮られたのは大きな手のひらがわたしの口を押さえたからだ。
恵くんの素早い動きに何が起こったのかわからず、振り返りつつ視線だけで疑を訴える。「黙ってろ」と同じく視線だけでわたしに言って、恵くんはさっきまでわたしたちが走っていた河川敷を見上げた。
奇怪な形をした呪霊が歩いている。全体像は黒く塗りつぶされているのに、ぎょろりと血走ったまなこと小さな歯がずらりと並んだ口だけは真っ赤に濡れている。
わたしは辺りを見渡した。背の高い草木がうまいことわたしたちを隠してくれている。
「めぐみくん」
「喋るな。このまま泳がせる」
「じゃなくって、あの呪霊……っ」
全身の産毛が逆立った。
呪霊はわたしと恵くんのすぐ後ろで、ニタニタと笑みを浮かべていた。
(絶体絶命?)