このくらいでちょうどいい2

 差し出された小銭を受け取ろうと何の気なしに右手をあげて、鋭い痛みにナオは顔を顰めた。

「ってぇ……。あ、大丈夫です。どうも」

 何か言いたげな店員にヘラッと笑い返して左手で釣り銭を受け取る。
 三角巾で吊るした右腕を見下ろして舌打ちした。
 コンビニを出ると街は快晴に包まれていた。五月晴れというやつだろうか。もうすぐジメジメした梅雨がやってくるとは思えない開放感だ。ナオのテンションは季節と反比例するように低空飛行している。
 数日前の出来事だ。仕事でヘマをした。その結果、利き腕の骨折。最近気が弛んでいるのかもしれない。
 弛むほど環境に変化があったわけじゃないんだが。少し動かしただけで痛む骨を恨めしく思いながら大通りを歩いていると、目の前のパチンコ屋から人影がぬっと現れた。
 その人物はまるでナオが待ち合わせ場所にやってきたのを迎えるように自然と声をかけた。

「よぉナオ。いると思った」
「は? 何それ怖……」

 さらっと恐怖発言をした甚爾はいつもの気だるげな黒スウェットに両手を突っ込んでナオを見下ろした。にやけた顔で見下ろされるとつい顎をあげたくなる。十五センチの身長差が忌々しい。
 パチンコ屋の自動ドアの隙間から漏れ出る騒音から耳を逸らすようにナオは首を傾けた。

「また負けたんかよ」
「いーや? 途中で切り上げた」
「へえ。珍しい。いつも有り金なくなるまでやってんのに」
「だから言ったろ。店の外にお前がいるような気がしたから」
「……あんたの五感どうなってんの?」

 やたらと視力も聴力も嗅覚も利く男だとは思っていたけど、パチンコ屋の喧騒に包まれながら他人の気配を感じ取ったのだとすると流石に引くレベルだ。露骨な表情でナオは甚爾を見上げるが、本人はどこ吹く風である。

「……あ? 腕どうした」
「別に。あんたには関係ないよ」

 包帯で吊るした腕を問われたが答える気はない。目立つ処置はいやだと医者にごねたが、全治五週の負傷は人目を憚れるものではなかった。
 はぐらかすつもりで甚爾から視線を逸らしたナオの首に、太い腕がするりと巻きついた。シャツから露出した皮膚を擦られる感覚に、甚爾の言わんとすることを瞬時に理解する。
 そもそも甚爾との関係はセックスフレンドだ。誘われているのは明白だった。けれど。

「今日はヤんねーよ。てかこの怪我でヤれると思う?」
「動くのは俺だから大丈夫だろ」
「そういう問題じゃねえよ。こちとら全治五週だぞ。安静にしとかなきゃ駄目なの」
「五週? 大変だなそりゃ」

 ナオの肩を抱く甚爾は本気で同情する目をしている。
 骨折したら普通こんなもんだろ。回された腕を傷に障らない程度にゆっくりと外しながらナオは思う。甚爾ほど頑健な肉体であれば怪我とは無縁なのかもしれない。羨ましいことだ。
 その時、うっかり右肘が甚爾の腹部にあたった。鉄板でも仕込んでるのかと言いたくなる硬さが自前の腹筋であることを、裸の付き合いをしているナオはよく知っている。
 小さな衝撃でも負傷した骨には十分響いた。眉を顰めて痛みに耐える。

「……ったあ、」

 患部がじぃんと痛む。嬉しくない余韻に目蓋をぎゅっと閉ざして悶絶するナオを、何を思ったか甚爾は無言で見つめる。
 切れ長の瞳に穴が開くほど見つめられ、その視線に気づいたナオは回復を待たずに言った。

「な、んだよ。人が痛がってんの、そんなに面白い?」
「……まあな」
「性格わりーな、ほんと」
「なんつうか、ムラッとした」
「はあ?!」

 晴天の下、健全な真っ昼間から爛れた文句を口にした甚爾は至って涼やかな顔をしている。
 なんでだよ。噛みつくように言えばそれだけで骨に響いて墓穴を掘る。痛がっている人間に興奮するたちは理解できないが、甚爾にそういう性質が備わっていることを骨の髄まで思い知らされていたはずなのに。

「あんた……マジでドMの女捕まえたほうがいいんじゃねえの?」
「そうか? お前で間に合ってるからいいわ」

 甚爾は口端を片方だけあげてにやりと笑う。
 快感を身体に教え込まれているのは事実だ。その端を掴まれて、思い出して、理性とは別の部分がぐらつかないわけがない。心臓がいやにざわつく。
 いつの間にか甚爾の腕が再びナオの首に回されていた。「な、だから良いだろ」とでも言いたげに性悪な笑みを浮かべた面がナオを覗き込む。痛む右腕をわざと意識しながら、こんなクソ男に流されてたまるかとナオは唇を噛んだ。
 
「やめろ離せ、怪我が悪化する」
「大丈夫だって。優しくすっから」
「優しくされたことねえんだけど……っ!」

 分厚い筋肉から逃れようと身を捩れば更なる痛みがナオを襲った。

「甚爾、おれ本当に痛いんだって……。治ったらいくらでも相手するから」

 せめてもの譲歩をしたつもりだった。手を握られたから痛いとか、そういうことじゃない。互いに欲求を解消するための都合の良さで選んだ相手ではあるけど、今は実際に骨が折れてるんだからさすがに事情は汲んでほしい。
 甚爾の顔がすぐ横にある。その奥には清々しいほどの青空と、往来を行き来する人々の雑踏がある。それらがもう視界に入ってないような、たっぷりと色を映した目で甚爾はナオだけを見ていた。
 
「いいなァ。そのツラ。ますますヤりたくなった」
「……。おれがやめろって言ったらやめろよ。いいな? わかったら返事」

 結局流されてしまった自分に嫌気がさす。この男からは逃げられる気がしない。関係を持ち始めた当初はそんなつもりはなかったのに、悪いのは全部こいつだ。
 甚爾は喉奥でくつくつと笑うと、何事もなかったかのようにナオからぱっと離れた。

「ま、考えといてやるよ」
「……このドS野郎」
「いやいや。俺なんかまだマシだろ」
「知るかよそんなもん」

 吐き捨てるように言ったのは甚爾の言葉に対してではなく自分の内情に向けたものだ。身体だけの関係というのも案外面倒くさいものかもしれない。
 甚爾の背中を追いかけるうちに自分もその気になっているのだから始末に負えない。数時間後には痛みと快感でぐちゃぐちゃになっている自分を想像して、ナオは諦めの溜め息をついた。



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