新世界よりパロ5

教室のドアを潜ると後ろの席に連れ立って座る硝子と悟の姿を見つけた。
なにやら他愛のない話をしているらしく、気だるげに煙草をくゆらせる硝子と、それにつっかかる悟がにやついている。側にある窓から紫煙が逃げていく。

「おはよ、硝子。悟」

普段と同じ調子で声をかけると、硝子が手を振って迎えてくれた。

「はよ。珍しいじゃん、ナオが遅刻するなんて」
「なんかお腹の調子悪くて」
「なに? 二日目?」
「ちがいますう」

デリカシーのない発言はもちろん悟である。わたしは適当にあしらいつつ席についた。通路側から順にわたし、硝子、悟だ。悟の隣にはもう一人分席が空いている。傑の席であることはいつも通りだが、荷物がない。今日はまだ登校してないのだろうか。
気にはなったが硝子と悟に尋ねる気にはならなかった。
鈍く痛む腹部にそっと手をあてる。原因はよくわかっている。悟がふざけて言った月経痛でも、食あたりでもない。
正確に言うと痛むのは腹部よりもう少し下だ。子宮の入り口あたり。ゆうべ、気絶するまで傑に攻め立てられた。何度も突き上げられた下腹部が今でも僅かな痛みを持っている――なんてこと、言えるわけもなく、努めて澄ました顔で教科書の準備をする。
傑、どうして来てないんだろう……ゆうべは傑の部屋で気を失ったあと、深夜に目を覚ました。それから眠っている傑の横を抜け出して女子寮に戻った。だから今朝は傑に会っていない。
部屋を出る直前、一度だけ振り返った。静かに寝入っている傑の顔は教室で見かける同級生の居眠り顔そのままだった。その顔が、余裕なく汗を浮かべた男の人と重なる。初めて見た、傑のあんな顔は。
……って、駄目だ駄目だ。朝から考えていい内容じゃない。
上辺をなぞっただけでくらくらする思考を振り払おうと頭を振るわたしを、硝子が怪訝そうな表情で覗き込んだ。

「どうしたの、犬みたいに頭振って」
「えっ、と……なんでもない、かな」
「はあ? 意味わからん。てか傑は?」
「んえっ?!」

素っ頓狂な声をあげたわたしに、硝子は今度は心配そうな表情を浮かべた。
あ、頭の心配されてるな。
わたしはすぐにピンときた。

「し、知らない。悟は? 朝一緒にならなかったの?」
「さァ。部屋にはいたみてーだけど。一応声かけたけど出てこなかったから置いてきた」
「ふぅん」

納得したのかしてないのか、硝子は悟の話に相槌を打つと煙を吐き出した。煙は、窓際の席に座っている悟をもろに直撃する。悟は眉を顰めて大げさに咳き込んだ。
「副煙流はんた〜い。将来の俺に謝れ」「将来まであんたと付き合うつもりはないね」話題はすでに移ろっている。高校生がサボタージュするくらい、珍しくない。弁明するつもりではないけどお世辞にも真面目とはいいがたい四人グループで、傑が一日音信不通になるくらいで騒ぐようなメンバーでないのも確かだ。
昨日の今日であることが気になりはしたが、いざ顔を合わせると気まずさが先行するのも目に見えているので、今日は大人しく硝子と悟に倣うことにする。
隣を見ると硝子が悟の手のひらに煙草を押し付けているところだった。初見だと必ず根性焼きだと恐れられるそれは、悟の呪力を利用した即席灰皿である。
手のひらでフィルターの火をもみ消した悟は、魔法使いみたいに煙草を握り潰した。次に手のひらを開いたときには、燃え尽きた灰がぱらぱらと落ちるだけだ。

「ったくさー、灰皿持ってこいよな」
「逆に聞くけどいる?」
「いるいるいる。根性焼き痛いもん」
「嘘つけ」

悟は机に収まりきれてない長い脚を組むといつもの軽い調子でけらけらと笑った。

「悟はいるか」

その時、入り口から悟を呼ぶ声がした。担任の夜蛾だ。
「なァにィ」面倒くさそうに悟が応じる。席から動こうとしない物臭全開の悟に、夜蛾はよく通る声で返した。

「話がある。次の授業は免除するから来い」

わたしたちは三人で顔を見合わせた。
何の話? 視線で訴えると、悟はさあねと肩を竦めてみせた。
夜蛾の後ろをついて教室を出ていく長身を硝子と二人で見送る。

「……密談?」
「わかんない。ま、すぐ帰って来るでしょ」

硝子の予想は外れて、悟はその日一日戻ってこなかった。



「結局夏油も休みだったねー」
「そうだね」

硝子と並んで廊下を歩く。傑は一日現れず、悟は夜蛾とどこかへ行ってしまってそれっきりだ。四人のうち半分がいないというのも珍しい。寂しいような、物足りないような、口にすればたぶん硝子からは賛同の得られないことを考えながら歩いた。
高専校舎の外に出ると、傾きかけた夕陽が周囲を照らしていた。燃えるような朱色が敷地内の寺社仏閣めいた建物を包んでいる。
どこからか夕焼け放送が流れてきた。放送元とは距離があるので明瞭とは言えないが、耳をすますと一つのメロディが奏でられているのが聞こえる。
懐かしさを彷彿とさせるあの音楽は、幼いころから慣れ親しんだ『家路』だ。

「ナオはさ、五条がどこに行ったか知ってる?」

硝子がふいに問いかけた。
それは昼間に話した内容と同じだった。わたしは首を傾げる。

「さあ。硝子は見当ついてるの?」
「んー」

硝子にしては歯切れの悪い返答だった。

「倫理委員会じゃないかなあ」
「どうしてそう思うの?」
「ただの想像だよ。話は変わるけど、ナオ、私らが小学生の頃に夏季キャンプでミノシロモドキ捕まえたこと覚えてる?」
「え? ああ、覚えてるけど……帰ってきたら教育委員会にすっごく怒られたよね」
「あれ、説教だけで済んだのって、学生側に五条がいたからだと思う」

『家路』はまだ微かに聞こえている。
わたしは硝子が言っていることの意図が汲めず、彼女の横顔をじっと見つめた。
わたしの視線を催促と捉えたらしい。硝子は近場にあった石造りの階段に腰をおろした。袖をひかれ、わたしはワンテンポ遅れて彼女の隣に腰を並べる。
硝子は制服の裾から煙草を取り出し、ライターで火をつけると話し始めた。

「五条って最強じゃん」
「? うん、それが何か関係あるの」
「ほんっと犬みたいに素直だよねあんた。まあいいけど。私的に上の連中は……倫理委員会は後釜探してんじゃないかなって」
「後継者ってこと?」
「そう。この町で権力者として祀り上げるには、呪力のステータスが手っ取り早いでしょ。だから、連中はあの場で五条を殺したくなかった。つまり私らを見逃した」
「ころすって……」
「殺すよ。この町は。私らを」

刃物みたいな鋭い言葉で硝子は断言した。夕焼けに染められた横顔が赤く沈んでいる。整った硝子の顔は冷徹で、人形みたいだ。現実味のない景色を、硝子の吸う煙草の匂いだけが現実たらしめている。
わたしは親友の言葉を反芻した。
この町はわたしたちを殺す。



……殺す。

その夜、わたしは夢を見た。
雑踏の中、立っている夢。いや違う。誰かを探している夢だ。
スクランブル交差点で行き交う人たちを見ている。だけど、おかしい。歩いている人々はみな顔がない、のっぺらぼうだ。あるべき場所にあるべき器官がない。目、鼻、口をはじめ、眉や顔の皺、ほくろのひとつさえ無い。無い。無い。不気味なほどに無表情な人の群れがただ交差点を蠢いている。その真ん中に立ち、わたしは誰かを探していた。
……誰を探しているのだろう。
硝子?
悟?
傑?
同級生の顔を思い浮かべる。……違う。わたしが探しているのはもっと、凶悪な何か。
後方で悲鳴が聞こえた。女の人の断末魔だ。振り返ると雑踏の隙間から血飛沫があがった。頭が潰れたようだった。
同時刻、反対側で絶叫が聞こえた。今度は男の人。宙に浮いた身体が四方に引きちぎられる。肉塊となった両手足が地面に落ちる。だるまになった胴体が歩行する通行人の足にあたり、蹴り飛ばされる。
また、別の悲鳴。

……どうして。
どうしてここにいる人たちは、この惨劇に無関心なの?

新たな悲鳴があがる。だけど、群衆は我関せず歩き続ける。スクランブル交差点を機械的に交差し続ける。

「やめて……もうやめて! 殺さないで!」

わたしは叫んだ。隣にいたブレザーを着た女子高生の首が飛んだ。頭部を失った頸部から細い血がぴゅーっと湧き出ている。断面図はスライスされたように綺麗に切り落とされ、骨まわりの筋肉の筋がはっきりと見て取れた。頬に雨があたった。生温かい、これは血の雨だ。

「待って」

マネキンみたいな群衆の中、不規則な動きをする人影を見つけた。人々の隙間を駆け回っている。姿の全容はわからないが、横顔や足が場所を移動するたびに見え隠れしている。
あいつだ。わたしが探しているのは。
直感して、咄嗟に追いかけた。流れを逆走しているためすぐに人の壁にぶつかる。人垣を掻き分けてわたしは進んだ。
行く先々で死体を見た。黒焦げになった子ども。腹部を大きく切り裂かれた女性。ふと見上げたビルの壁には老人が叩きつけられていた。背中の後ろでは赤い花が花びらを広げている。あまりの血生臭さにわたしは目を逸らした。
相手は順序を知っている迷路を駆け抜けるようにすいすいと逃げていく。人の流れに翻弄されながら走るわたしとは裏腹に、その動きは軽やかですらある。
あと少しだ。後ろ姿が視界に収まる瞬間が増えた。あと少し人垣を掻い潜れば捕まえられる。肩を掴んで振り向かせることができる。
最大限に腕を伸ばした。いつの間に付着したのだろう、わたしの手のひらから腕にかけてが、誰のものかもわからない血液でべったりと濡れている。

――止まって、お願いだから、これ以上殺さないで。

肩に手が届いた、瞬間わたしは力を込めて相手を振り向かせた。
全力疾走をつづけたせいで息が切れる。肺の中で熱い塊が暴れまわっている。それでも、目の前の人物から目が離せなかった。
ゆっくりと顔を上げ、向かい合わせとなった殺戮者を、わたしはよく知っている。

「……あなたは、」

硝子の声が耳の奥で警鐘を鳴らしている。
この町はわたしたちを殺す。



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