「むかつくなあ」

立場が違えば、関係はもっと異なったはずだ。

通り魔から助けれくれた茶髪の青年に「ありがとう」と掠れた声で礼を述べると「仕事だからね」と投げやりな返答があった。
彼の手には大型の銃器――ドミネーターと言うらしい――が握られていて、一連の襲撃を見ていた限りどうやらそれで犯罪係数を測定、対象を処理できるようだ。
ごくごく一般人であるわたしにとって、馴染みのないドミネーターは厳めしい獲物にしか見えない。

「なに? お姉さん。こいつに興味があるの?」

物珍しさにじっと見入っていたらしい、わたしの視線に気づいて彼は獲物を軽く持ち上げてシニカルに口許を歪めた。
どうしてこうも笑えるのだろう。通り魔を文字通り『処分』したのは彼だ。わたしと彼のつい隣には、今しがた通り魔が残して逝った夥しい肉片が散らばっている。

「いっ、いえ。別に」

触らぬ神に祟りなしだ。
彼はわたしを助けてくれたヒーローとも呼べる存在だけれど、深く関わるには恐怖が勝っている。
公安局には武装して治安維持に努める部署があると聞いたことはあるけれど、この人がそうであるかとか、だとしたら正義であるとか、そんなことを確認する気にもならない。
この場から逃げ出したい。
血に塗装された歩道や、銃を手にした年端の変わらない青年から、一秒でも早く。

「まあいいや。ほら立ちなよ。いつまで地べたに座ってるつもり?」

す、と片手を差し伸べられた。
ドミネーターを握っていない手のひらは、まるで普通の男の人の手のひらで、なんだか自分が錯覚しているような気分に陥る。人を血生臭いやり方で『処分』しておいて、あんなふうに笑えるなんて、きっと正常な感覚を持っていない。それが彼に対する第一印象だったのに。
立ち上がるように促されて初めて、足腰に力が入らないことに気づいた。

「……立て、ません」
「あーもしかして腰ぬかしちゃった?」

青年は面倒くさそうにうなじを掻いた。
いいから、わたしのことは無視して早く退散してくれ。そう願ったのに、どういうわけか彼は目の前に膝をついて、突然、ドミネーターの銃口をわたしに向けた。
銃なんて今日初めて目にしたけれどもちろん用途は知っている。撃つんだ。あの細い突起がトリガーと呼ばれることも知っている。トリガーを人差し指で引くだけ。それだけで銃弾は宙を一直線、対象は抗うすべなく被弾だ。
銃口が、暗い穴がまっすぐわたしを見ている。
はは、と彼が楽しげに笑いを漏らした。

「犯罪係数96……だって、お姉さん。やばいんじゃない? もうちょっとで執行対象だぜ」
「……目の前で人を殺されて、精神的負荷を感じない人なんていません」
「言うねえ。通り魔に殺されそうになったあんたを助けたのは俺なんだけど。
ストレスで自分の犯罪係数があがったこと、俺のせいにするんだ?」

ドミネーターを引っ込めて、代わりに片手がわたしの頬を撫でた。
引き締まった指の感触。人肌の温度。目尻から顎にかけてするりと滑り落ちる。

「もっとあげてみる?」

冷淡な声音に嫌な予感がした。

「オーバー100であんたもめでたく潜在犯だ。人殺しだと思ってる俺に熱烈なキスでもかまされたら、あんたの精神はもっと混乱するんだろうね」
「っねえちょっと、訳のわからないこと言わないで、」

顔が近づく。
彼の息づかいをすぐそばに感じた。

「いやだっ……」

脱力した足は役に立たない。せめて思いっきり顔を背けた。
……それ以上の衝撃は襲ってこなかった。
数秒、数十秒。おそるおそる目蓋を持ち上げると、悲しげな目をした青年が、そこにいた。
厳めしい凶器を手にぶらさげたまま。
いつの間にか詰めていた息をゆっくりと吐き出す。彼は何もせずにわたしを一瞥すると、疲れてたまらないといった動作で立ち上がった。

「ほんとにしてやろうかと思ったけど、やめた」
「……は、?」
「むかつくんだよな。檻の外にいるってだけで、お前みたいな奴全員むかつく。俺のこと人殺しだって嫌悪してるの丸分かりなんだよ。助けてやったのに、クソ」

歩き出した背中が少しずつ離れていく。
近くにいると分からなかった、遠目で見ると案外細身であると分かる体躯が立ち止まる。
「俺とあんたは今同じ場所にいる。でも全然違うんだ。絶対的な隔たりがあるって、あんたも分かってんだろ?」
彼は一度だけこちらを振り返った。
執行官。頭の奥に引っ掛かって引き出せなかった言葉が、突然目の前に表れた。どうして今まで気づかなかったんだろう。
オーバー100であんたもめでたく潜在犯だ。

「安心しろよ。あんたはまだ俺の対岸にいるんだからさ、」

立ち上がれない。通り魔に襲われた時からそうだ。この足は、ほんとに役に立たない。
彼の口許が綺麗に歪む。

「そんな目で見るなよ」



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